現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

アッツ島玉砕

2021-08-06 20:10:21 | 太平洋戦争

瀬戸線清水口駅前の小さな洋品店。私の舞台衣装のタキシードは皆ここで仕立ててもらった。ブランド名を「Attu」。

店の主 曰く。 「太平洋戦争で、アッツ島の守備隊は全員、無事脱出したんですよ。それにあやかって」と。
 

 

アッツ島の戦い | 戦車兵のブログ

おいオイ。無事脱出したのはキスカ島。アッツ島は全員玉砕したのだ。でもそう信じている人に 言っても気の毒かと、そのまま否定はせずにいた。

ネットで「アッツ島の戦い」を見れば、実に詳細に語り尽くされている。大半が、軍上層部の無能、無策、責任隠蔽で、「全滅」よりは「玉砕」の方がかっこいいと、その後の戦意高揚に利用されることになった と。

兵隊はずっとずっと「援軍が来る」と信じていたのだ。それが最後の最後、「全員玉砕せよ」の命令を受けて、重症者は自決、かろうじて歩ける傷病兵も、武器も持たされず、米軍の前に立ちはだかり、非業の死を遂げたのだ。その幽鬼の如き形相に、米兵の中には発狂する者もいたとか。

戦死 2,638名。負傷して意識を失い捕虜となった者29名。うち一人は、意識が回復すると投身自殺した。他の者も意識が回復すると、自決しようとしたという。
なんということだ。生き残った者も「戦史」から消され、戦後は悲惨だった。

アッツ島守備隊を見捨て、見殺しにした責任を転嫁し、それを戦意高揚に利用した軍上層部に怒りがこみあげてくる。守備隊長「山崎保代」は、僧侶の次男だった。名古屋の陸軍幼年学校を出ている。最後のバンザイ突撃では真っ先先頭を駆け、銃弾に倒れた。カナダの医学校に学んだ医師「辰口信夫」の日記も 涙が止まらない

アッツ島は「熱田島」と呼ばれていた。名古屋に縁があったのだ。

 

131 「玉砕」の島アッツ島をゆ... | 金平茂紀ブログ ハートに火を ...

 

アッツ島の戦い・地図・生存者・昭和に行われた日本とアメリカの戦い ...

 

 

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。