お釈迦様だったか、名僧の言葉だったか、出典不明だが、
「托鉢に行くなら、金持ちの家より、貧しい人の家に
行きなさい」
という話を聞いたことがある。本当にその通りだ。
大邸宅や、繁盛している店、大企業の門前で尺八を
吹いても、全く反応はない。
シャッター通りや古い町並みの、戸も開け放ったままの
店や家では、たいてい布施していただける。
しかし、この言葉の意味は全然違う。貧しい人が、わずか
ばかりの財を布施することで、功徳を得られる。「良いことを
した=徳を積んだ」という幸せの心になれる。「貧しい人に
心の“ともしび”を授けてあげなさい」という意味なのだ。
でもやはり、お客も来そうもない店から布施をいただくのは
心苦しい。門口に立つのはねだりがましいので、最近はやめて
いる。駅頭に立ち、相手の心に委ねている。
先日の中日新聞の占い、「哀れみを乞うて求めるな」だった。
以前は、わざと古ぼけた着物に、ぼろぼろの天蓋で、虚無僧に
出たこともあったが、今は、白の着物に白の大房をつけ、
清楚で毅然とした恰好で尺八を吹いている。
昨日今日、4人の若者が、丁寧に手を合わせて布施をしてくれた。
私もはじめて「無言」で受けた。
「仏像も拝まなければただの木偶。人に拝まれることで、仏と
しての輝きを増す」とは、瀬戸内寂聴の言葉。私も人様に手を
合わせていただくことで心磨かれるのだ。
「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。
「托鉢に行くなら、金持ちの家より、貧しい人の家に
行きなさい」
という話を聞いたことがある。本当にその通りだ。
大邸宅や、繁盛している店、大企業の門前で尺八を
吹いても、全く反応はない。
シャッター通りや古い町並みの、戸も開け放ったままの
店や家では、たいてい布施していただける。
しかし、この言葉の意味は全然違う。貧しい人が、わずか
ばかりの財を布施することで、功徳を得られる。「良いことを
した=徳を積んだ」という幸せの心になれる。「貧しい人に
心の“ともしび”を授けてあげなさい」という意味なのだ。
でもやはり、お客も来そうもない店から布施をいただくのは
心苦しい。門口に立つのはねだりがましいので、最近はやめて
いる。駅頭に立ち、相手の心に委ねている。
先日の中日新聞の占い、「哀れみを乞うて求めるな」だった。
以前は、わざと古ぼけた着物に、ぼろぼろの天蓋で、虚無僧に
出たこともあったが、今は、白の着物に白の大房をつけ、
清楚で毅然とした恰好で尺八を吹いている。
昨日今日、4人の若者が、丁寧に手を合わせて布施をしてくれた。
私もはじめて「無言」で受けた。
「仏像も拝まなければただの木偶。人に拝まれることで、仏と
しての輝きを増す」とは、瀬戸内寂聴の言葉。私も人様に手を
合わせていただくことで心磨かれるのだ。
「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。