現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

幸田露伴『五重の塔』

2014-03-20 20:51:35 | 虚無僧日記
幸田露伴の明治25年(1892年)の小説『五重の塔』。

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木理美しき槻胴(もくめうるわしき けやきどう)、縁にはわざと赤樫を
用ひたる岩畳作りの長火鉢に対ひて話し敵(がたき)もなく唯一人、
少しは淋しさうに坐り居る三十前後の女・・・、
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いやはや、明治は遠くなりにけり。もう私でも読めない。
現代語訳と解説を走り読みしました。

◆粗筋(あらすじ)

谷中感応寺の住職「朗円上人」が、五重塔の建立を宮大工の
棟梁「源太」に発注する。それを聞いた大工の「十兵衛」。
腕はあるが、愚鈍な性格から世間から軽んじられていて、
日頃は長屋や馬小屋の修理程度の仕事をしていた。その
十兵衛が、「この仕事はぜひオイラにやらせて欲しい」と、
朗円上人に直談判に行く。

上人は、十兵衛の熱意にほだされて、源太を呼び、「二人で
話し合って決めるよう」にと諭す。

「仕事を横取りする気か」と一度は腹を立てた源太だが、
「上人の思いやりに応えよう」と、十兵衛に「一緒に作ろう」と
提案する。しかし、十兵衛はその提案を断る。十兵衛は、
なんとしても 自分一人で造りたいと我を通すのであった。

十兵衛の 恐ろしいほどの執着心に、源太は折れ、「十兵衛
一人ではできないだろうから、自分の弟子たちをも使ってくれ」と
十兵衛に言う。さらに「自分が長年積み上げてきた技術、
ノウハウ、図面も提供しよう」ともいうのだが、十兵衛兵は
「自分の持つ技術だけで五重塔を建ててみせる」と、源太の
申し出を断る。どこまでも意固地な男。

それでも源太は十兵衛を見捨てず、見放さない。最後の最後まで、
十兵衛の「仕事」を、口出しせずに見守る。

朗円上人、源太、十兵衛、その妻たち、それに職人らの
それぞれの思いが からみあいながら、五重の塔の建設が
進められる。
もうそこには、私利私欲を越え、千年の歴史に残る仕事を残そう
という心で一つになっていく。

塔の完成直後、大嵐になり、寺の本堂も崩れる。十兵衛は
絶対の自信を持っていたが、周囲の者が騒ぎたてるので、
「もし、この塔が倒れることがあれば、自分は塔とともに
死ぬ」と、刀を握り締めて塔に上る。しかし、十兵衛の
建てた「五重の塔」は嵐にも地震にもビクともしなかった。

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「十兵衛」は、日頃は 鈍くさく、長屋や馬小屋の修理程度の
仕事しかしていなかった。そんな男が、五重の塔という大仕事を
引き受ける。現代なら、一介の工務店の主が、大手ゼネコンを
押しのけて、スカイツリーの建設を受注するような話である。
まずありえない。熱意と口八丁だけでは 通らない話だ。

十兵衛が、朗円上人の心を動かしたのには、それなりの
説得材料があった。彼は、塔の何分の一かの縮小模型を
持参して、上人に見せている。ということは、日頃から
彼は、千年の重みに耐えている奈良、京都の五重の塔を調べ
つくして、縮尺模型を造っていたことになる。
そして、塔の建立の話を耳にした時、なんとしても受注したいと
思い、直談判に行った。そして、源太から図面やノウハウの
提供を断るほどの自信があったのだ。

まさに、仕事を得るには、日頃の修練、準備、心がけである
ことを思わせてくれる。

さてさて、東日本大震災、大津波、原発事故が起きて、
誰もが「千年に一度、起きるか起きないかの災害に備える
なんてバカげている」と言っていたことが明らかにされた。

建設事業に携わる人々なら、幸田露伴の『五重の塔』くらい
読んでおくべきだった。



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