現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

門松や冥途の旅の一里塚

2021-01-04 22:05:20 | 虚無僧日記

正月元旦の中日新聞コラム「中日春秋」

一休和尚の狂歌 <餅つかず、しめ飾りせず、松立てず、かかる家にも正月は来つ>」を引き合いにして、「帰省ラッシュもなく、街に賑やかさは無くとも、正月はやってきた」というような内容の記事でした。

コロナ禍で、例年とはすっかり様変わりの正月。全く正月気分もなし。

例年なら元日の早朝からあちこち呼ばれて、大忙しの私でしたが、今年は全部キャンセル。大晦日の晩からずっと布団の中でウダダ ウダダの寝正月でした。

 

一休の噺なら、こちらが有名

一休さん、堺の町で 正月に髑髏(どくろ)を振りかざしながら

門松や冥途の旅の一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし。ご用心、ご用心」と。

人々は驚き「けったいな、正月だというのに縁起の悪い」と。

一休「なに、これがめでたくないとは? 髑髏は目が出てるから目出たいじゃ。ハハハ」。

そして続けていう「骨になってしまえば皆同じ。男か女かも、やんごとなき姫君か遊女かもわからぬではないか面(つら)の皮一枚のことで、やれ美人だのブスだのと比べるのはおよしなさい」とも。

一休寺に伝わる「一休が作ったとされる髑髏」

 

この比較をするなというのも「普化の禅」です。虚無僧は比較をしない。

尺八の上手下手を比べない。ボロもいれば派手な衣装の虚無僧もいる。

善人も悪人もいる。いろいろな虚無僧がいて、すべてを容認する。

それが虚無僧の悟り。明も暗も心の内。

「虚無僧の元祖一休」をテーマに尺八と講演を行ってきましたが、もうその機会もなくなりもうした。

 

 



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