『名古屋叢書』 第18巻 随筆編 (1)
p.47 「塩尻拾遺」巻10
「渡辺右馬允(初め源次と号す)満綱は 後小松院の御子。
太政大臣足利義満将軍に仕え、諱(いみな)の字を賜り、
武者所に補せらる。其の子「源次元綱」、その子「右馬允頼綱」、
その子「源左衛門安綱」、その子「源次道綱」初めて三州額田郡
浦辺村に住せしより、子孫かの国に広まる。
然れば、この流れ実は「後小松源氏」といふべし。
甲州武田家に仕えし「渡辺源五郎守綱」の17世「源二縄」の子。
後に織田信長公に仕え、また神君(家康)に属せし。
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後小松天皇の子には 「実仁親王(101代 称光天皇)」の他に
「小川宮」、そして「一休」 が いたが、いずれも史実はあいまい。
さらに もう一人 居たということになる。