現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

運の良し悪し?

2013-08-04 14:09:00 | 私の尺八遍歴
「(社)実践倫理宏正会」の創設者で前会長の「上広哲彦」氏は、
8月6日、横川の駅に学生たちを迎えに行き、たまたま
トイレに入っていて 難を逃れた。この日 召集をかけられて
横川の駅にいた学生たちは一人残らず即死した。

学生たちは「原爆の効果測定のために、8月6日の
朝8時に到着するように仕組まれていた」とすると、
運の良し悪しでは片付けられない思いが募ります。

会津の白虎隊もそうですが、いつの世も“純心無垢な”
少年が犠牲にさせられるのです。

原爆のことも風化しつつある今日、歴史に学ぶとしたら、
「歴史的事件は、必ず 裏で 仕組む者がいて、それに
翻弄される者がいる」。特に10代の若者は利用され
やすいということでしょうか。若者よ、もっと歴史に
目を向けてみなさい。




至高の芸 新内の「岡本文弥」師

2013-07-14 22:04:13 | 私の尺八遍歴
「新内」といえば、1996年、101歳で亡くなられた「岡本文弥」
私の半世紀に及ぶ 長い尺八人生で、今もって忘れられないのは
「岡本文弥」師との出会い。琵琶の水藤五郎師に連れられて
文弥師の事務所を訪ねたことがありました。

これぞ、真の芸、誰もが認める至高の芸。「新内」で
無形文化財保持者、いわゆる“人間国宝”になられた。
文弥師は「人間国宝」でなく「人間骨董」ですと。

虚無僧では「人間国宝」にはなれぬべい。本物の「骨董」じゃ。

芸のすごさに感服すると同時に、日本の伝統芸に携わる人は
皆 保守的で、右翼で、自民党支持者かと思っていた私でしたが、
昭和45~6年頃の学生運動が過激だった時代に、「岡本文弥」が
根っからの「共産党」と知ったショックは強烈でした。

真の芸術家は かくあるものかと、大きく方向転換させられた
私でした。

文弥師匠の「邦楽いろは歌留多」は、芸を志す人に金言


い : 一芸一途 余念なく

ろ : 路地暮しでも、あの師匠

な : 名前売るより 芸磨け

き : 気が滅入れば 芸も滅入る

や : 野心が芸を 堕落させる

け : 芸知らぬ人の芸評 気にしない

め : 免状は 世間がくれる

み : 身にしみる あの人の芸 またききたい

す : 好きな芸でも 押し売りせず

し : 自慢より 自信

(自慢はしゃべり 自信は沈思黙考す)

か : 金追って 芸追い付かず


ある人のブログで「たった一回の出会いで、生涯懐かしむ
音楽家が一人 ここにいるのです」と。まさに私も同感です。



『籠釣瓶花街酔醒 (かごつるべ さとのえいざめ)』

2013-07-14 09:44:02 | 私の尺八遍歴
9月7日 京都リーガロイヤルホテルでの「富士松松園」さんの
会で尺八伴奏を相勤めることになり申した。「松園」さんは、
毎年「新内」の会を開いてござる。お食事付きで一万円。
そういう世界にお招きいただけることは、ほんとに光栄な
ことです。

詩吟、一絃琴、ご詠歌、そして「新内」。もちろん「楽譜」
なんてございません。いつも「初(はつ)体験」。
して、出し物は?
籠釣瓶花街酔醒(かごつるべ さとのえいざめ)』

はて、とんと存じませぬ。ネットで調べました。何でも
でてきて便利な世の中になりました。ストーリーは


佐野の「次郎左衛門」という実直な商人が、吉原の花魁(おいらん)
「八ツ橋」に一目惚れし、吉原に通い詰めて「八ッ橋」の身請け話に
まで漕ぎつけます。ところが、今日は身請けの返事をもらいに・・・
というところで、「八ツ橋」は 心変わりをしたか「主の顔を
見るのもいやでありんす」と断り、満座で「次郎左衛門」に
恥をかかせます。その場は怒りと涙をこらえて、いったん
故郷に帰った「次郎左衛門」でしたが・・・。
「八ツ橋」への未練と屈辱 堪(こら)えがたく、四ヶ月後、
再び吉原を訪れ、「八ツ橋」刃傷に及びます。

「新内」では サワリの部分だけを 30分ほどにまとめてあるので
なぜ「八ツ橋」が心変わりしたのか、事情が判りません。そこで
衛星劇場で放映された「歌舞伎芝居」を観ました。「次郎左衛門」を
中村勘三郎。なんと疱瘡をわずらって醜いアバタ顔。これで「顔を
見るのもいや」という理由がわかりました。その花魁「八ツ橋」を
「玉三郎」。もう次郎左衛門が人目見て放心状態になるのもわかります。

美しさの中にも、遊女の哀(かな)しみと、花魁の誇りと気位の高さ、
「八ツ橋」「次郎左衛門」そのどちらにも“哀れみ”を感じる話です。


ところで「籠釣瓶(かごつるべ)」って何だべ。なんと「八ツ橋」を
斬った刀の名称でした。「籠(かご)」で作った「つるべ」は
「水が溜まらない」に掛けて「水(血)もとどまらずに はじけるほど
よく斬れる」。その刀はなんと「妖刀、村正(むらまさ)」。

家康の父と祖父が 家臣に殺された時の刀が「村正」だったことから
「徳川に仇(あだ)なす妖刀」と、江戸時代では帯刀を禁じられていたもの。

この『籠釣瓶花街酔醒』は、江戸時代の享保年間に起きた
「吉原百人斬り」事件をもとにした作品で、歌舞伎として
初演されたのは 1888年(明治21年)。そうでしょう。
江戸時代には上演できなかったでしょうな。そんな知識が
あればこそ、理解も深まり 面白いのです。

さて、ところで「歌舞伎」では、二人のやりとりの場面で
全く鳴り物がはいりません。緊張の駆け引きの場を 顔の
表情で演じるのが見所。となると、尺八はどこで入るんだべ。
ここが思案のしどころ、腕の見せ所でありんす。

天から響く尺八の音

2013-05-30 03:28:52 | 私の尺八遍歴
私は、子供の頃、夏休みには母方の叔父の家に遊びに行って、
叔父から尺八を習った。叔父の名は「山室重遠」。耳鼻咽喉科の
開業医だった。「重遠」は「徳川家康の遺訓」「人生は重き荷を
背負って遠き道を行くが如し」のから名づけられた名前だ。

「重き荷を背負って遠き道を行くなんて、やだなぁ」と、豪快に
笑い飛ばしていた。昼間は いつも明るく賑やかに振舞っていたが、
夜は自室で独り酒を飲みながら、深夜遅くまで尺八を吹いていた。

敷地500坪、部屋数50以上もある豪邸だから、近所迷惑にならない。
夏などは窓を開け放って吹くのだが、「200メートル先の〇〇さん
宅まで聞こえるそうだ」と豪語していた。それほど豪快な尺八だった。

ある晩、すばらしい尺八の音が一階の居間にいる私たちにまで
聞こえてきた。すぐ鳴り止んだが、「また叔父さんが吹いている」と
思っていたら、叔父が居間にはいってきて言う。

「今の伸ちゃんかい?」と、みんな「ぎょっ!」と顔を見合わせた。
叔父は風呂に入っていて、風呂場まで聞こえてきたと言う。
私は一階の居間にいた。住込みのお手伝いさんたちの部屋に行って
「今尺八聞こえた?」と聴くと、皆「聞いた聴いた」という。

二階の叔父の部屋には誰もいなかった。ラジオもテープもかかって
いない。屋敷全館に鳴り響いたあの音は何だったのか、今もって
不思議でならない。

あの天から響き渡るような尺八の音を私は今でも鮮明に記憶している。
あの音に近づきたいと、今でも思って努力している。

血液検査の結果

2013-05-08 14:56:26 | 私の尺八遍歴
この歳になると、仲間内の話しは“健康”のこと
ばかり。

会社勤めの時は 毎年健康診断を受け、オールAで
悪い所無しの私でした。会社を辞めて 15年、
健康診断など受けたことがなかったのですが、
先週「血液検査」だけやってもらいました。

案の定、コレステロールと血糖値が少々高め
とのこと。

毎朝、喫茶店のモーニングで、サラダと卵に
マヨネーズ、バターにジャム、さらに 饅頭か
ケーキなどの菓子付きですから、ヤバイとは
思っていました。

「マヨネーズと卵と饅頭やケーキ類をやめ、
毎日30分以上は歩くこと」とのご指示。

今日から実践すべし。


ビデオコンテストの受賞歴

2013-01-16 10:30:07 | 私の尺八遍歴
今年、NHKは「テレビ放送開始60年」だそうですね。
あれは 1985年(S60)年でしたか、NHKが放送開始60年を
記念して「アマチュア・ビデオ・コンテスト」を行った時です。

応募作品 1000点以上の中から、私の作品『あつ~い夏』が、
ドキュメンタリー賞の大賞に選ばれました。賞金は「60周年」に
因み「60万円」。これは「美空ひばり」並みの、NHKで
出せる最高額と言われました。

作品の内容は、小学校5年生の娘が、中学受験のために、
夏休みも毎日、早朝から勉強をし、昼は進学教室に通い、
夜遅くまで勉強にあけくれるという一日を追ったもの。

当時は、進学教室にも家にもクーラーなんかありませんでした。
扇風機を回しながら、汗を拭きふき、母親に叱られながらの
勉強、勉強。涙あり、ずっこける笑いあり。まだあどけない
10歳の女の子の姿に、司会の松田アナウンサーも審査員の
「草柳大蔵さん」、「山田洋次監督」も、目に涙を浮かべ、
笑い、そして「“受験戦争、受験地獄”を みごとにえぐり
出した」と絶賛してくれました。

翌年も「ビデオコンテスト」があり、私は「ジョン・
海山・ネプチューン」の一日を撮った『ザ・スーパー
尺八』を出し、「優秀賞」となりました。

その時のディレクターがなんと「神(じん)正」氏。
「神如道」のご子息で、今はNHKを退社され、
「2代目 神如道」として「古典尺八」の継承と
普及に努めておられる。また、そのご子息が「神令」君。

審査員が、こそっと教えてくれたのは「あなたの作品は
できすぎ。このままNHKで放送できる。これでは
『アマチュア・ビデオ・コンテスト』のレベルを
越えていて、他の人との手前・・・・」でした。

(過ぎたるは 及ばざるがごとしぃ~)

虚無僧 6日目

2013-01-11 22:37:31 | 私の尺八遍歴
1月5日の伊勢を皮切りに、寒の100日修行に
はいりました。6日は大須観音。7日、8日は
名古屋駅前。9日は豊国神社参道の「9の市」。
10日は中区平和。11日は中村公園駅前。

10年前より 時代が進み、虚無僧はますます
過去の記憶の中に忘れられていくようですが、
不思議と、お布施が0ということはなく、
むしろ以前より、喜捨される方が増えた気が
します。世情不安からでしょうか。

悩み事の相談も毎日持ちかけられます。類は
類を呼ぶのでしょうか。私の周りには、独居
老人がどんどん集まってきます。孤独と、
経済的な先行き不安を抱える人が急増しています。

私としては、話しを聞いてあげるだけで、何も
してあげられない“無力”です。でも話しを
聞いてあげるだけでもいいのでしょうか。
いろいろ意見を述べても、相談される方は、
自分なりに結論を用意されています。



大河ドラマ、視聴率トップは『独眼流政宗』

2013-01-09 21:13:45 | 私の尺八遍歴
NHK大河ドラマ、期間平均視聴率のトップは
昭和62(1987)年の『独眼流政宗』で39.7%。
続いて翌年、昭和63(1988)年の『武田信玄』も
39.2%と近接している。
その翌年の『春日の局』も32.4%と、昭和の
終わりが「時代劇ブーム」だったのかも。

最近は「歴女」などが現れてはいるものの、
「時代劇離れ」で 2008年の『篤姫』の24.5%を
最後に20%を落ち込み、『平清盛』は 12%と
最低となった。

起死回生、再起を図っての『八重の桜』である。
NHKも新しいカメラを投入するなど、気合が
はいっている。期待したい。

ところで、You-tubeで『独眼流政宗』を見た。
「渡辺謙」の人気がアップした作品だった。
「徳川家康」役は「津川雅彦」。「秀吉」は
「勝新太郎」。「勝新」の ど迫力はさすが。
大物俳優を相手に 若い渡辺謙が丁々ハッシと
やりあう、そのバランスが良かった。

こうした大物俳優が今はいなくなった。小者
ばかりじゃのォ。


初夢は・・・・・

2013-01-06 11:59:33 | 私の尺八遍歴
初夢といえば「一富士、二鷹、三茄子」が 縁起の良い夢として
知られているものの、実際にそれらの夢を見たことがある人は
いないのでは?

●「一富士、二鷹、三茄子」には続きが。

「一富士、二鷹、三茄子」には「四扇、五煙草、六座頭」と
いう続きがあるのだとか。

「富士」と「扇」は“末広がり”、「鷹」と「煙草」は“運気上昇”、
「ナス」と「座頭」は“毛がない=怪我ないので家内安全”を
意味しているそうです。知りませんでした。

はて、私の「初夢」は??? 熟睡しているからか、
目覚めたとたんに忘れてしまうようです。何も覚えてないっす。
(「なす」か)。

元日は 時代劇『御鑓拝借』を見ました

2013-01-04 16:27:03 | 私の尺八遍歴
2013年1月1日は、早朝4時45分、「朝起き会」の
「元朝式」での「尺八演奏」で始まりました。

正午は、熱田神宮の垣内にて「奉納吟詠」。大勢の
参拝者が拝礼している前でやおら詩吟。「いいのだ
ろうか」と初めは緊張しますが、垣内はなんともいわれぬ
清浄な空気がみなぎります。やがて背後の大群集のことも
忘れて、自分の世界に浸れます。つくづく詩吟を
やっていて良かったと至福の時です。

夜は、NHK正月時代劇『御鑓(おやり)拝借~
酔いどれ小籐次留書~』を見ましたぞ。

殿様が3大名から辱めを受けたため、厩(うまや)番の
「赤目小藤次」(竹中直人)が、仕返しに3大名の
参勤交代の際「槍」を奪い取るという話。

藩主は「豊後・九重=玖珠(くじゅう)藩」久留島 通嘉。
作家の創作かと思ったが、さにあらず。実在している。
「森藩」ともいわれる。「久留島」家の祖は瀬戸内海の
「来島水軍」だった。関が原の役で西軍(石田三成)方に
与(くみ)したため、所領を没収され、後、福島正則の
取り成しで、慶長6年(1601年)豊後国の内陸部「森
(大分県玖珠郡玖珠町)」に 1万4000石を与えられた。
これによって「来島水軍」は壊滅し、城は造れず、
陣屋だけだった。

そのことを、他の大名から嘲笑されたのだ。それで、
「讃岐丸亀藩」「播州赤穂藩」「豊後臼杵藩」の
参勤交代の折、「槍」を奪い、藩主の「詫び証文」と
引き換えに返すという話。
そんな事実があったかどうかは不明。作家の「佐伯泰英」の
創作のようです。

これもやはり、作家の頭の中だけの発想でリアリティが
無い。大名行列でシンボルの槍を奪われたら、ただでは
済まない。槍奉行は切腹でしょう。この物語では一人だけが
切腹した。