先日、ギタリストに結婚してる人の歌う歌じゃないよねーみたいに言われてしまった。
まあ、確かに日々日常的な風景を歌の領域で歌う女性もステキだなと思いつつ、私の歌はどこか日常離脱派である。しかし、矢野暁子さんの「ごはんができたよ」的の歌詞が、彼女の声でピアノで歌われれば、それも日常離脱派に聞こえてくるし・・一概に歌詞の内容だけではなさそうにもおもえる。
とにかく、歌う領域に入ったとたんすべては架空の世界であるし、結婚してる女が、現実にリアルに自由をもとめて歌えば「別れたいわ~」とかなってしまって、つまらないわけです。
ヨン様報道での、追っかけミセスの心情を、非日常的恋が現実に実感される瞬間として見た時、彼女達の心の隙間の自由が、大きく開かれて「きゃーー!」っとなる声を自分に重ねてもみれるわけで(重ねたくないが・・)歌の中の自由な心かー心の中の自由な歌を求めて歌い続けていきたいわけです。
まあ、確かに日々日常的な風景を歌の領域で歌う女性もステキだなと思いつつ、私の歌はどこか日常離脱派である。しかし、矢野暁子さんの「ごはんができたよ」的の歌詞が、彼女の声でピアノで歌われれば、それも日常離脱派に聞こえてくるし・・一概に歌詞の内容だけではなさそうにもおもえる。
とにかく、歌う領域に入ったとたんすべては架空の世界であるし、結婚してる女が、現実にリアルに自由をもとめて歌えば「別れたいわ~」とかなってしまって、つまらないわけです。
ヨン様報道での、追っかけミセスの心情を、非日常的恋が現実に実感される瞬間として見た時、彼女達の心の隙間の自由が、大きく開かれて「きゃーー!」っとなる声を自分に重ねてもみれるわけで(重ねたくないが・・)歌の中の自由な心かー心の中の自由な歌を求めて歌い続けていきたいわけです。