しのぶwaves

有馬忍 ライブ情報 日々記

海ー日々記

2005-06-28 21:14:42 | しのぶ記
なにしろ、手足をばたつかせて生きようとしなくていい
浮いている、とにかく、空は真上さ。
貴方が居て、しばらく、胸がいっぱい。
砂が、熱いと早歩きして、なんとか、間に合わせる。
あなたまでの、遠い距離が
在り来たりの、浜辺を弓なりに描くまで

耐え切れない、と、思った言葉のー日々記

2005-06-14 18:34:19 | しのぶ記
生きてるのだから、生きている言葉の響きが、どこにでも有るのか・・・ない。
日々、なぜか、わたしは死んだように無言のまま立ち尽くしている・。
色々考えちゃう言葉は、日々消えていく。消したくない言葉は、むりやり生き残ろうとするかのように、どこかで生きている。。のを、私は、信じて生きている。言葉、というと、特別な意識の産物みたいに聞こえるが、心の声、が、形になるような感じ。それは、愛、といった完成された概念を、包み込む、包み込める魂が生み出せる、何かなのだろうか?だから、私は、いつも、いつも、耐え切れなくなって、苦し紛れに叫ぶとき、生まれ落ちる言葉がすきだ。女は、強いと言うけど、私だってあの人だって、耐えている。だから、そんないきている瞬間を、分かち合える言葉を求め続けていきたい。

新しい歌詞と古びたノート・・の日々記

2005-06-14 17:11:14 | しのぶ記
歌の詩を書く私は、詩を歌としてしか見れないので、私のノートは、私だけしか解らない、パズルの世界だ。これは、鋭い言葉・・と、思ったとたん・・どん底の感性・・などなどでぐちゃぐちゃ。
書きたいときが、書ける時とばかり、ノートに書き溜める。そのまま、ほって置くか、メロディーがくっついちゃうかは、その時まかせだ。あんまり説明的な言葉は、歌にはならず・・なぜか、心の中の、一番ここ!ここ!みたいな思いがある言葉だけが生きている言葉だ。生きている言葉だけが、、
生き残る。そんな、言葉は、古いノートの片隅で、出番を待っているように、ひっそりと、静かに暮らしている。

23歳の私とー日々記

2005-05-20 20:44:05 | しのぶ記
22歳の別れを体験した私は、傷心と云うより開放感の方が増していた。
行くところも無い所に、偶然の友人からの同居のオファーに即決。
彼女こそいまをときめく、向島ゆりこ。
彼女との数ヶ月のあいだに、私は15曲の歌を作り、ライブの提案。
勝バンドとのセッションなど交流のあった竹田裕美子、こと、金ちゃんに声を掛けて幻の
トリオが結成された。今から25年前の秋・・始めてのライブは高円寺の稲生座。
その後2年間のあいだ 新宿アシベホール、浅草ダウンタウンフェステイバルまで
数えるほどのステージを共にして、それぞれの道に分かれて行った私達。
表面的には、計りしれない出会いと云うものがあるとしたら、きっと私達3デイグリーズかな
と、最近思う・・辛い時も、悲しい時も、女なら誰しもわかる人生の一こまが、今走馬灯のように
巡りながら、私達の奏でる音楽で表現されるとしたら、それは、奇跡の再会。
金ちゃん!ありがとう~、ゆりこちゃん!ありがとう~
皆!ありがとう~私が歌う詩が、すこしでもみなさんの心の友になれますように・・
共に歌う心の日々記をねがいつつ・・・今後のスリー・・・-スに。願。

再会ー日々記

2005-05-18 16:24:22 | しのぶ記
22日のTIPITINAは楽しみだ~!だって、20ん年振りの友人とのライブですから。
久しぶりに聞く、金ちゃんのアコーデイオンはすばらしく、私は思わず涙が・・・
彼女もプロとしての長い経験と愛が一音一音に滲みでているというか。
ぜひ、ぜひ、時間が許される方に、聞いて頂きたい!
女として、私たちの再会をこころいくまで楽しんで、頂きたい!
鎌倉で、お会いしましょう~V

歌の中の自由な心・心の中の自由な歌の日々記

2005-04-12 14:55:07 | しのぶ記
先日、ギタリストに結婚してる人の歌う歌じゃないよねーみたいに言われてしまった。
まあ、確かに日々日常的な風景を歌の領域で歌う女性もステキだなと思いつつ、私の歌はどこか日常離脱派である。しかし、矢野暁子さんの「ごはんができたよ」的の歌詞が、彼女の声でピアノで歌われれば、それも日常離脱派に聞こえてくるし・・一概に歌詞の内容だけではなさそうにもおもえる。
とにかく、歌う領域に入ったとたんすべては架空の世界であるし、結婚してる女が、現実にリアルに自由をもとめて歌えば「別れたいわ~」とかなってしまって、つまらないわけです。
ヨン様報道での、追っかけミセスの心情を、非日常的恋が現実に実感される瞬間として見た時、彼女達の心の隙間の自由が、大きく開かれて「きゃーー!」っとなる声を自分に重ねてもみれるわけで(重ねたくないが・・)歌の中の自由な心かー心の中の自由な歌を求めて歌い続けていきたいわけです。

 

出した事の無い声は経験を超越するか?

2005-04-05 12:16:18 | しのぶ記
もちろん超越するわけですが、だって出した事ない声ですから・・・最近15歳でデビューしたソウル歌手の「ジョス・ストーン」は天才的歌唱力でみごとに、年齢的体験を超越した歌を体言してくれました!私は、(魂の叩き出し)的、声に弱く、そんな声を聞くと何はともあれ一緒に歌わせて頂くわけです。声の個性が魂の陰陽を人それぞれの形で表す時、自分以外の魂を体言できると言う感じ・まあ~乗り移り状態ですが、そこで、今まで出した事の無い声に出会うと、「まあまあ、よくぞおいで頂きありがとう」感動の出会いの中から、新しい感情の表現を体言できるのです。それは、快感であります。まあ、かといって、声出ればいいってもんではないので、そこの所、複雑に「ボブおじさん、聞きたい」日常のなか、バランス感覚発達隊長なのです。声の世界は非常に奥深いと思うのですが、声が出ないとき歌いますと、それをカバーするための、でちゃったら見えない世界もあるみたいで・・・まあいい声の方も、だみ声の方も、ツクラレタうたからウマレタモノとしての歌を共に歌っていこうではありませんか!(弁論大会かい!ここは・・)