それから、私たちはそのお墓に入って遊ぶことはなかった。
子供の目線にあるお墓への柵の穴は修繕されていたのだった。
お墓を守る小屋があり、スピーカーから子供たちを追い出した管理人が、私たちを
怖がらせたと、信じていたのだった。でも、
そのお墓にはそんな小さな小屋などなかったと知ったのは、
町内会長さんが亡くなってしばらく経ってから。
お墓参りした私たちが見たその場所はただの草むらで、
私たちは、親の目を盗んでその場所に集まり、勇気と真実を確かめる術を競った
あの日の思い出の場所に立ったのだった。
私は4歳で兄は5歳だった。
私は好奇心旺盛で、あまりに無防備、兄は思慮深い臆病さと正義感で、私を守ってくれた。
草むらを走りまわる私の身体が前のめりに倒れる寸前に、兄の手が私の手を握って引き寄せた。
その時兄と私が見たものは、草むらに横たわる男の手が伸びる瞬間だった。
私は兄の手が、草むらから伸びた手から聞こえた声を聴く、一瞬前に差し出された記憶を、今でも覚えている。
以来二度と、お墓で遊んだことはない。
子供の目線にあるお墓への柵の穴は修繕されていたのだった。
お墓を守る小屋があり、スピーカーから子供たちを追い出した管理人が、私たちを
怖がらせたと、信じていたのだった。でも、
そのお墓にはそんな小さな小屋などなかったと知ったのは、
町内会長さんが亡くなってしばらく経ってから。
お墓参りした私たちが見たその場所はただの草むらで、
私たちは、親の目を盗んでその場所に集まり、勇気と真実を確かめる術を競った
あの日の思い出の場所に立ったのだった。
私は4歳で兄は5歳だった。
私は好奇心旺盛で、あまりに無防備、兄は思慮深い臆病さと正義感で、私を守ってくれた。
草むらを走りまわる私の身体が前のめりに倒れる寸前に、兄の手が私の手を握って引き寄せた。
その時兄と私が見たものは、草むらに横たわる男の手が伸びる瞬間だった。
私は兄の手が、草むらから伸びた手から聞こえた声を聴く、一瞬前に差し出された記憶を、今でも覚えている。
以来二度と、お墓で遊んだことはない。