しのぶwaves

有馬忍 ライブ情報 日々記

出した事の無い声は経験を超越するか?

2005-04-05 12:16:18 | しのぶ記
もちろん超越するわけですが、だって出した事ない声ですから・・・最近15歳でデビューしたソウル歌手の「ジョス・ストーン」は天才的歌唱力でみごとに、年齢的体験を超越した歌を体言してくれました!私は、(魂の叩き出し)的、声に弱く、そんな声を聞くと何はともあれ一緒に歌わせて頂くわけです。声の個性が魂の陰陽を人それぞれの形で表す時、自分以外の魂を体言できると言う感じ・まあ~乗り移り状態ですが、そこで、今まで出した事の無い声に出会うと、「まあまあ、よくぞおいで頂きありがとう」感動の出会いの中から、新しい感情の表現を体言できるのです。それは、快感であります。まあ、かといって、声出ればいいってもんではないので、そこの所、複雑に「ボブおじさん、聞きたい」日常のなか、バランス感覚発達隊長なのです。声の世界は非常に奥深いと思うのですが、声が出ないとき歌いますと、それをカバーするための、でちゃったら見えない世界もあるみたいで・・・まあいい声の方も、だみ声の方も、ツクラレタうたからウマレタモノとしての歌を共に歌っていこうではありませんか!(弁論大会かい!ここは・・)

経験は詩考の敵か!

2005-04-05 10:40:31 | しのぶ記
恋だの愛だのと歌うことも多い訳で、よく沢山の恋愛経験があるみたいに言われるのですが、20曲20体験なわけないのであって、経験即ち歌になる訳でもなく、なんとゆうか経験ー発酵ー熟成みたいな期間があると、ひじょうにいいわけです。しかしながら、歌詩特有の魔術は(アプリオリ・経験に元ずかない論理的にそれに元ずく概念<カントの用法>音楽への孤立した領域へ変容させる力があるので、うーんむずかし、経験的現実から歌に移行するための第二の現実が先取りされることが、許されるのです。そんな訳で、私の経験に元ずかない?恋と愛の唯一の体験が過去と未来を縦横無尽に飛びまくり一個の歌がただ一つのモノとして存在するのです。