木村 和美 Architect

建築家木村和美の日常活動とプロジェクトについてのブログ

ウィーン・ゼツェッシオン

2008-01-14 23:58:07 | Weblog
連休はじめの土曜日の夜にNHKテレビの番組で”世界遺産ウイーン”の特集でウィーンの世紀末芸術について放映をしていた。
何故世紀末ウィーンに新しい芸術運動(ウィーン・ゼツェッシオン)が起こったのかを、現地の建築物や絵画を紹介する中でわかり易く解説をしていて中々興味深い番組であった。

1870年代と言うと、産業革命の影響でそれぞれの国の経済が発展し様々な問題が発生していたが取り分けハプスブルグ家のウィーンは立地的に多民族都市であり、その統治に工夫が必要であった。
皇帝は有名なリング・ストラーセ周辺の街づくりを行うことで大衆の支持を得ようとし、城壁を壊して劇場や国会議事堂等の施設を建設したがそれらはギリシャ・ローマのまったくの模倣であり、新しい技術や材料を手にしていた若い芸術家達にとっては大きな不満であった。
彼らはそのような過去の様式から分離する意味でウイーン分離派(ウィーン・ゼツェッシオン)と呼ばれ、絵画のグスタフ・クリムトを中心に、エゴン・シーレ、建築家のオットーワグナー、ヨーゼフ・ホフマンなどが参加して、ここに新しい芸術活動が始まったのであった。
興味深いことには、これらの運動を支えたのはカール・ヴィトゲンシュタインに代表されるユダヤ人実業家であった。

日本で、1980年代の末から起こったバブル経済と同じような金余り現象がヨーロッパ各地で当時起こったが、時の為政者達はこの余分な資金を全部豪華な建築物に変えている。ハプスブルグ家のウィーン、ロシアのサンクト・ペテルブルグは代表的な都市であるが、同時に上記のような大きな文化芸術活動も起こっている。これらは一部その贅沢さの故に退廃的な世紀末芸術として括られてはいるが、日本のように土地や、株券に投資して後に何も残らないよりは余程マシだろう。と同時に日本のバブルはどれだけの文化活動を起こしたのだろうかと思う?

当時新しい芸術運動は、ヨーロッパの各地で起こり、ドイツ工作連盟、アーツ&クラフト運動等で、いずれはコルビュジェなどに代表される近代建築、インターナショナル建築へと結びついていく重要な芸術運動であった。その過程で我々になじみの深いアントニオ・ガウディのサグラダファミリア教会やマッキントッシュのヒルハウス、ハイバックチェアなどの名作が生み出されていく大きな変化、濁流のような時代であった。
ウィーンは又1914年に起こったオーストリア皇位継承者のサラエボでの暗殺事件をきっかけに第一次世界大戦の発端を開いた激動の都市でもあった。

高度情報化、工業化社会における現代の建築は多くは管理化された組織によって行われているが、多くの問題を抱えるこの地球のどこかで、又新しい文化芸術運動が今起きつつあるのかもしれないと、ウィーンの素晴らしい建築群を見ながらしばし楽しい想像を巡らして見た。