木村 和美 Architect

建築家木村和美の日常活動とプロジェクトについてのブログ

●性悪説とは何だろう

2011-06-20 21:48:33 | Weblog

 

 

今日はあの地震が起こった東北の中心都市仙台に行き建物の調査をした。

東京発のやまびこに乗り、宇都宮を過ぎると車窓に展開する風景は、ほとんどが緑豊かな農村風景である。(写真左)

東海道新幹線ではこんな田園の景色が連続する様は中々見れないが、今回の仙台行きはその緑一杯の風景の印象が特に強い。

この豊かな農村が今回の放射能に犯されているというのは、確かに恐ろしい事だと思う。

 

新幹線の中からは被災地の状況も、原発の放射能の状況も見えはしない訳だから、この緑の風景のどこかで、ニュースで見る畜産業の悲惨な出来事や農作物の出荷停止が行われていることなどちょっと想像できない気分である。

新幹線の中に置かれているトラベル小冊子を見ると、作家の津本陽氏の東北に捧げるエッセイが目に付く。

そこに書かれているのは、東北の人たちの質朴だが暖かい人柄、、、。

津本氏でなくとも、私も東北に来るとそれを実感する。それはつまり性善説の世界ではないかと思う。

 

調査した仙台市内の建物は思ったより被害が少ない。あの地震は市内では震度6強から7ぐらいの強さだったという。

それだけから見ると関東大震災と同程度で、確かにコンクリートの剥離があったりクラックが発生してはいるが新耐震設計基準で建てられた高層建築にそれほどの被害は見られなかった。

一安心だが、余震が続いてまだまだ注意が必要である。

 

最近の世相を反映してか、書店の店頭にはあの君主論を書いた”マッキャベリ”(写真右)や人間不信の書といわれた”韓非子”などの書物が多く見られるようになった。

これらはいわゆる性悪説をベースにした言説といわれている。

 

厳しくなる一方の経済状況、予想もしなかった震災と原発事故の被害、どうしようもない政治家の無責任さ、等等、そして何が起こっても不思議でない社会のなかで、常に最悪の状況を想定して生きることになると、人はいやおうなく性悪説に基いた行動を取らざるを得ない事は歴史が教えるところでもある。

 

ニッコロ・マッキャベリは16世紀フィレンチェのメディッチ家が、韓非子は紀元前250年頃かの秦の始皇帝が取り入れた言説、思想であった。 

それぞれ性悪説云々というより、現実的な人間学に基いた行動規範だと言ってよいだろう。

 

マッキャベリは言っている。”運命の神は女神である。女神はイタズラ好きだ、身を任せていると翻弄される。こちらがひっぱったり突き飛ばしたりする必要がある。”と。

つまり人は慎重であるよりは、思い切って進むほうが良いのだと教えてくれる。

 

仙台からの帰りの新幹線の中、ほぼ一杯ですべて指定席の車両で勝手に席を替えても車掌さんからは一言もおとがめがなかった。

東海道とは違う雰囲気に戸惑いながら、この震災復興も民主政権の中を色々ガタガタ揺さぶってでも早く進める方策は無いものだろうかと思ったものだった。