木村 和美 Architect

建築家木村和美の日常活動とプロジェクトについてのブログ

●人相、骨相、声相

2011-06-04 21:15:15 | Weblog

 

 

先日の菅内閣不信任をめぐる一連の出来事を見ていて、これは本当に一国を預かる政治家のとる行動なのか余りの低レベルのやり取りで何とも言い様のない気持ちになった。

交わした書面の解釈で、やめるやめないなどという事は一般社会でよくある揉め事と同じ類で、あの人たちは、国民の目がすべてみているという事をまったく意識しない典型的な永田町族になってしまったと思う。

あの人たちとは、現在の民主党菅政権の人たちのことである。一晩眠ってやっと自分達のやっていること、言っている事に気がついたのか今日は少しまともな事を話していたようだった。

 

こんな中で、改めて菅政権の主だった人たちの人相を眺め直してみた。”40になれば自分の顔に責任を持て”と言ったのは、リンカーンだったか、今の政権でこれは良い顔だという人は中々見つからない。

菅総理は、与党になってからまったく顔が変わってしまった。

仙石前官房長官も病気をする前はふっくらとして良い顔だったが、官房長官になってからいわゆる悪相で、誠に失礼だがとても見れたものではない。

枝野氏も然りの感がある。岡田幹事長は本当に変な顔になってしまった。

何故だろうと思う。人間、権力を持つと変わるのだろうか?

 

骨相、観相、顔相などをまとめて人相というが、19世紀に学問として流行したのがオーストリアのフランツ・ガルによる骨相学で、頭蓋骨の形でその人の性格等の精神的気質がわかると主張したものだった。

これを拡大解釈して顔の形や表情で様々なものを読み取るのは現在でも占いや多くの人が日常的にやってiいる事である。

又同じように声相学というのは、声によってその人の人となりを判断する学問だが、これも常識的に一般社会で判断の基準に使われている。

建築家の黒川紀章さんは私が知っている頃この骨相学に興味を持ち、都市の骨相診断などと言ってそれぞれの都市の内容を、道路パターンや施設の配置パターンから読み取り、処方箋を書くやり方を全国の都市のマクロ分析に応用したりしていた。

私は当時声相学に興味があり、骨相と声相あるいは人相など黒川さんと議論した事もあるが、氏は声について一家言を持っていた。

学生時代に弁論部に所属していたので取り分け声については関心があったと言う。彼に建築を言葉で語らせるとこれが一品で、当時彼の話を聞くと皆なるほどと納得したが、それも声の質のおかげだと言っていた。

 

前川國男氏と坂倉準三氏はともに日本の近代建築の代表的な建築家だが、坂倉さんは声が素晴らしかったそうだ。

大きな声ではっきりと主張し、前川さんの方が先輩だが二人が論争すると坂倉さんが優位になるのは声のせいだと黒川さんが教えてくれたことがある。

 

学問的には色々あるが、結局バランスの問題で、見て気持ちのよい顔に、聞いて気持ちのよい声になるよう努力することが良識ある一般人の努力目標だろうと思う。

そうしてみると現在の民主党の人たちより自民党や他の野党の人たちの方が余程バランスのとれた顔や声をしているようにも思える。

 

残念だが経済界や官界も同じようなもので、今度の福島原発に登場したそれぞれの人達の顔や声を反芻してみるとよく理解できる気がしてくる。

骨相学の人種的分類の世界では、日本人を含むモンゴロイドは”倫理的に劣り、模倣的で独自性がない”とされているようだ。

 

他人のことをあれこれ批判しても詮無い事で、私は今日からでもカガミを見て少しでもバランスの取れた明るい顔をするよう、声をお腹から出してはっきり物を言うように努力したいと思い直した次第である。