木村 和美 Architect

建築家木村和美の日常活動とプロジェクトについてのブログ

●震災後一ヶ月

2011-04-10 22:36:59 | Weblog

 

あの忌まわしい東日本震災後、今日で一ヶ月が経過した。その間まったくこのブログに手をつける気にならなかった。

テレビのニュース、週刊誌や新聞の被害写真や記事を見るたびに今度という今度は言葉を発する空しさというか、それは建築という物体を造ってきた私にとって目の前であれほどの勢いで、住宅や様々な建造物が押し流され破壊されていく様は、自らの存在自体を否定されているようで、言葉を発する気力さえ失ったというのが正直なところだ。

 

あれから私の仲間たちは、関東地方や東北地方の地震で被害を受けただろう建築物の調査に取り組んできた。

仙台や福島の直接の被害地にはまだ入れないので、その周辺や都内の建築物を調査したが、決定的な被害はないものの都内や横浜市の建築物にもかなりの被害が出てこの震災の広範囲な影響を実感した。

これらはすべて、修復して行かなければならないがその費用だけでも膨大なものだ。

今週からいよいよ本丸の仙台市内に入るようだが、インフラが破壊されている現状ではことはそう簡単ではないが、被災されている方々のことを思えば物の数ではないだろう。

 

この大変な最中、今日統一地方選の開票が行われている。 

私の住まいの神奈川県知事選は、フジテレビの元キャスター黒岩氏と、開成町前町長の露木順一氏の争い。数日前横浜駅前で露木氏の演説を聴いた。 

露木氏とはもう8年程前、あしがり郷という地元のまちづくりで、大石内蔵助が敵討ちで上京するとき滞在したという旧家の民家の保存利用の件で協力したことがある。 

若くて行動力のある町長さんだった。演説は県の財政改革を目指すもので的を得たものだったが一般の人にどれほど訴えるだろうか心配だった。

私は神奈川県の行政とは様々な接点があり、成り行きを注目していたが、既存政党のすべての支持を取り付けた黒岩氏がやはり勝ったようだ。

 

河村名古屋市長の破壊的キャンペーンで自治体の抱える問題点や実態が少しづ市民の知るところとなっているが、県という組織の問題は住民が日常的に接するわけではないのでわかりにくいのが実情だと思う。

特に神奈川県のように横浜、川崎、相模原等の政令都市を多く抱える県は色々な問題があり、その意味では地方行政のプロである露木氏に期待したかったが、もう少し時間が掛かるようである。

 

何もなければこの時期は桜も咲いて、気分もよい時節だがしばらくの間そうも行かないような状況である。 

この事態に遭遇し様々な人が色々な事を語っている。今日都知事選に4選を果たした石原慎太郎知事も物書きらしく色々と言葉を発していた。

 

いささか言葉のむなしさを実感した私自身は、又改めてこの状況の中で自分なりに発すべき言葉を捜し求める努力をしてみたいと思う。

 

 


●東北・関東大震災

2011-03-14 11:59:52 | Weblog

 

時間が経過するごとに、今回の震災の被害の大きさが明らかになっている。

ニュースを見ていて目を覆うような惨状にとても画面を正視できないが、関西淡路大震災の時と又違った自然の脅威に嘆息するばかりである。

被災され、不自由な生活を余儀なくされた現地の皆様に心からお見舞いとお悔やみを申し上げ一日も早い復興を祈念したいと思う。

 

3月11日午後3時前、私は御茶ノ水の建設現場で打ち合わせが終わったばかりだった。

4階建てのプレハブの現場小屋が激しく揺れ、そのゆれの激しさと長さにキャビネットが倒れ掛かるのを見て普通の地震と違う雰囲気を感じ、咄嗟に机の下にもぐりこんだが、一緒に潜り込んだデザイナーの女性が、携帯ですぐ震源地が仙台近くであることを教えてくれた。

建設中の鉄骨も激しく揺れて、一同皆外に避難したが大型のクレーンが大きく揺れるさまは余り気持ちのよいものではなかった。

その日は交通機関がすべてストップし、やっと12時近く銀座線と東急線が開通、午前3時ごろやっと自宅にたどり着けた次第だった。

 

JR各線は早々と運行中止を発表して各駅のシャッターはすべて閉じられ、帰宅を模索するたくさんの人々が地下鉄や私鉄の駅に殺到してその混雑ぶりは尋常ではなかった。

JR各線が運行中止する気持ちは分かるが、これほどの帰宅難民が苦しい思いをしてしているのを見ると何らかの対応が必要だったのではないかという思いを禁じえない。

 

土曜日も、更に深刻な被害状況が伝えられてきた。

我々建設関係者としては、担当した建物の状況が心配になってくるところである。

多くのビルを所有する不動産会社や、投資ファンドの企業等は自社物件の状況把握が必要で早速あわただしい動きとなってきた。

今回の被害は津波の影響と原発の爆発事故により、より大規模にそして複雑化してきた。

 

原発の爆発という事故の発生で首都圏では計画停電の事態となり、その情報に皆が右往左往する状況である。

加えて幾つかの余震が併発、そして物が段々と不足していく状況は、人を不安に陥れ今日はスーパーやコンビニには物がまったく無くなってしまっていた。

 

大変な地震が起こってしまったことは事実だが、これに怯まず現在自分がやるべきことを淡々とこなしていく事も大切だろう。

そして流れてくるニュースに余り左右されずに、自らの判断で状況を受け入れ対応すべきだと思う。


●スモール・ラグジュアリー

2011-03-08 20:39:52 | Weblog

 

寒い日が続いている。冬に逆戻りだが何となく前向きな気持ちを維持するのが難しい天候になってきた。

今日の夕刊に岐阜の車関係のベンチャー企業”ゼロ・スポーツ”の倒産が報じられていた。

EV時代の幕開けに前途を嘱望されたスモール・ラグジュアリー企業、あの日本郵政から1000台のEV改造車を受注したばかりなのに何があったのだろう?負債総額11億円、、、。

優れた技術をもつベンチャー企業が倒産するほどの負債とは思えないのだが、、、、。

 

又ホテル関係では名門のホテル仙台プラザが閉館に追い込まれたと言う。

明治創業の有名ホテルだが外資系のホテルの進出や、ビジネスホテルチェーンの攻勢の前に、太刀打ちが出来なかったようだ。

仙台では2009年に159年の歴史を持つ仙台ホテルも閉館しており、これで地元の有力資本のホテルがなくなったことになる。

 

ペンション事業に参加したとき、スイスの宿泊業界を現地に見てその小規模経営の多様さと堅実さに驚いたことがある。

それは長い時間を掛けて伝え継続される家族経営のそれであった。そしてそれを愛する人が大勢いることにも感心した。

もっともツエルマットやサンモリッツなどにある高級ホテルは、ザイラー家などの有力家族の独占で簡単に外国資本が入り込める余地はないのだが、、、。

ホテルと言えば大資本の大きなホテルをイメージしていた当時の私にはそれは新鮮な体験であった。

そして快適な居心地を保証してくれるのは、サービスの行き届いた小さなホテルであることもその時良く理解できた。

 

日本では未だにこのような小さくて快適なホテルに中々お目にかかれない。

一時セゾングループが東京テアトル跡地にホテル西洋銀座を作って、スモールラグジュアリーの代表のように言われたが、これは値段ばかりが高い一部の人のための高級ホテルで、本当のスモール・ラグジャアリーとは言えない。

 

今月号のホテル旅館に、アメリカ・ウエストコーストの”ホテル・モンタージュ・ラグナビーチ”が紹介されている。(写真)

アメリカでは久し振りのスモール・ラグジュアリーホテルの誕生で、今のところ中々成績もよいと言う。写真を見てみたが適度な規模でインテリアもシックで控えめだが、ロケーション(立地)には徹底的にこだわり、更に文化的な土壌に恵まれたところでないと進出しないと言う。

ラグナビーチは、周知のとおりアーテストコロニーとして有名で海を望むロケーションは抜群である。

他にチェーンホテルとしてビバリーヒルズにも数年前にオープンしたが、ここもスパニッシュスタイルの伝統を受け継いだスモールラグジュアリーホテルらしい。

 

企業活動にせよ、文化活動にせよこのような一味違ったスモール・ラグジュアリーの存在が今の日本には特に必要なのではないかと思う。

ゼロスポーツの倒産や仙台の名門ホテルの閉鎖はどうにも残念なことだ。

企業そのものの問題もあるだろうが、それらを支援し、応援し、育てようと言う機運をいわゆる世間が持つことも重要な事だと私には思える。


●リードタイムをとる発想

2011-02-25 22:30:19 | Weblog

 

今日は春一番が吹いて気温が20度を超える暖かい日だった。

このところ、仕事の締め切りが重なりいつものあわただしさを感じながらの対応だったが、仕事の処理の仕方について色々と考える事が多い週でもあった。

デューデリの仕事を始めてから、とにかく毎週のように締め切りが来るので慣れっこにはなっていたが、今週は建築設計の仕事で区切りがあり、いろんな人の協力で仕事を収めることを久し振りに体験した。

私が慣れ親しんだ建築設計の締め切りは、ギリギリまで案を検討しそして成果品の作成という順番で、しかも参加する人が多いのでその調整にとにかく胃が痛くなるような経験を何度もしたが特にコンペ、設計競技や重要なプレゼンテーションの1週間前はほぼ徹夜が常態化していた。そしてそれが一つの作品をつくる充実感ややりがいにも直結していたと思う。

しかし今思い返してみるとそのようなやり方は逆に締め切りが迫らないと真剣にならない態度と裏腹だったような気がしないでもない。そして多くの建築設計を業とする人には、今でもそのやり方が抜けない人が多いことも実感する。

 

日本人は国際的に見ても、締め切り型人間といわれ、目の前の課題についてうまく収めてしまうことが上手な民族といわれてきたし、一見無理と思われることでも土壇場で間に合わせてきたことが多かった。建築の突貫工事と同じように、、、。

ただ少し先のことを見通して、将来に備えることがどうも苦手のようで、特に昨今の政治の低迷等を見るとそれが顕著に現れているように思う。

 

リードタイムとは、受注から出荷までとか着手から成果までの期間をさす企業用語で、それを私なりに解釈すればあせって決断せず時間を取って物事を考える、 そのために早い時期から準備する、先手先手と考える、難しい課題でも時間と同化して考えていくとよい案が出る。などと言えるのではないかと思っている。

一つの仕事に専念できれば良いが、現代の複雑な社会では多くの人が様々なことを平行して考え行動し処理しながら生きている。押し迫って処理すべきものが溜まってくると途端に思考が麻痺し、効率が低下してくる経験は誰しも同じように持つものだと思う

したがって、いざという時の備えには、出来るだけ早めに考える、準備しておくことが、余裕を持って事に対処するために必要なことだと思う。

 

若い時、黒川紀章さんの事務所で、仕事をしながら時々人生談義もしたがある時彼が、なるべく物事は早く始めるのが良いと。

事実、氏は中学生の頃から建築家になろうと思い、建築の勉強をしていたという。

大学の建築科に入った時はほとんど知っていることばかりだったから、他の学部の講義を聴きに行ったなどと そんな感じで話すので多少反発し、いや遅い出発ほど真剣になるからそれもよいではないかと反論したりもしたが、今考えてみると氏の言い分が何となく正しかったのではないかと感じている。

 

建築が芸術としての面より、経済の面を多く抱えている現在では特に締め切り型タイプではなく、早め早めに物事を処理し、何かあった時のことを考えて準備を怠らない姿勢、時間的余裕をもって締め切りに備えることが特に大事なことではないかと思う。

 

春一番に対応するように自然界の植物などは、早い時期から花を咲かせる準備を彼らなりにしているのだと思う。

 

 


●仕事の領域の拡大・・・インビィジブル・インタレスト

2011-02-12 16:32:06 | Weblog

 

昨日は大雪が降り、久し振りにここ横浜で雪が積もる風景を見たが、余りに寒かったので夕方からスカイ・スパに行きサウナに入ってきた。

驚いた事に思いは皆同じなのか大変な混雑で、特に女性が多くカウンター周りが人であふれている有様だった。

それに日本語だけでなくアジアの言葉が飛び交うのにも最近の客層の変化を感じる。

 

今週も何かとあわただしく過ごしたが、様々な事がありその対応で結構ストレスが溜まった週でもあった。

今日土曜日の新聞に東京芸大元学長で日本画家の故平山郁夫氏の”仏教伝来の道と文化財展”の記事が出ていた。 (写真左)

雄大なシルクロード絵を見ながら、あわただしく動いてはいるが中々具体的な形にならない私の仕事の領域や範囲について、少しばかり考えてみた。

 

平山画伯は広島修道高校のご出身で、私の大先輩である。

以前からシルクロード近辺の文化財保護活動や、その周辺の風景や人物の絵をかかれ、大きな作品もそうだが軽快な人物スケッチなどは、私は特に好きな絵であった。

私達の建築設計の仕事でもスケッチを書くが思考の参考程度のもので、又建築の設計図にしても、物を作る手段としての絵でそれ自体が芸術作品になるものではない。

有名なコルビュジェのスケッチや白井成一さんの図面等は立派に芸術作品として通用するのだろうが一般的には無理な話しだと思う。

従って私たちの創作過程はまったく表にあらわれず、建物が出来たとき初めて物になったことを実感できる。 しかしそこでも、実際にお金を出した施主や建設会社の名前が取り上げられる事はあっても、設計者の名が出ることは少なくなってきた。 

物になる建築の設計でもそうなのに、今私が仕事としている、デューデリゼンスやまちづくり活動そして様々な調査研究などは、一切形にはならず、レポートや報告書の類で一般の人にはほとんど目に付かないものである。

絵を描くという一つの目的で経験を積み重ねることと、建築を造ることが目的だがその周辺の様々な関連事項を仕事とするプロフェッションの違い。 

もう少し言うと専門を絞り込み込む事と、周辺に拡大していくことの違いと言ってよいかもしれない。

 

今週の出来事を振り返っても、まちづくり活動の会合、ヂューデリの調査、オフィスのリノベーション計画、経営相談の話しと様々な事があり、頭が混乱することもあった。 

若いころは異業種の仕事が幾つか平行して進むほうが、頭に刺激があり心地よく感じたものだが、最近はそうも言って折れない状況ではある。

黒川さんがまだ45歳のころ、当時も黒川事務所の仕事はインテリアデザインから、再開発のビッグプロジェクトまで多岐にわたっていた。

そのうえ彼は、政府関連の審議会委員やNHKの解説委員、経済団体の顧問等を歴任していてそのスケジュールは、気の遠くなるようなものだったが、一緒に出張に行った折等、思わず本音が出て、頭が引きつって分裂しそうだといっていた。

ただその中で誰にも出来ない発想が湧いてくることだけは確かだとも言っていたことがある。

クリエイティビティ、創造性の価値というものを、目に見えるものだけではなく、目に見えないものにより重点を置いた氏の考え方がふと現れた言葉で、大変興味深かっ記憶がある。

 

建築の仕事やそれに関連する多くの領域の仕事は、中々一つの建築を建てて終わりとか、美しい絵を書いて終わりとは行かないようで、私自身はもうしばらく折々の断絶はあっても多方面にわたる活動を続けながら、その過程で起こる可能性に期待してみたいとも思う。

 

 


●共存、共生、合併

2011-02-06 16:18:04 | Weblog

 

先週から多少暖かくはなってきたが、風邪を引いている人が多い。私の身近でも風邪をこじらせ肺炎を併発しそうになった人の話をかなり聞く。

私の仕事の範囲にはオタク的に部屋に閉じこもって図面やレポートを作成する事も多いのだが、地域開発やビッグプロジェクトに協力するとき、あるいはネットワークや共同で仕事をする場合は外に出て様々な人たちと意見交換しながら仕事をすることとなる。

先週は、そのような仕事が多く、改めて共同作業や、共存、共生について考える事が多かった。

 

又企業レベルでは、合併のニュースも多く伝えられ、スカイツリーの新日鉄と住友金属の合併のニュース、色々話があったビッグスリーのクライスラーとフィアットの本格的な統合も発表され、それぞれ状況に対応した企業の動きもあわただしい。

フランスはルノーを持っているが、フィアットはイタリアを持っているといわれるぐらい、フィアットはイタリーを代表する企業で、自動車ではフェラーリ、アルファロメオ、マセラッティ、ランチアなどほとんどを傘下に、サッカーはユベントス、航空機から建設、農業機械までをカバーする有名なアニエッリ一族の企業グループである。

企業は、共存共生等というより、金の力で有無を言わせず支配する。

とは言えそこで働くのは人間だから、その影で様々な共生への努力が積み重ねられているのだろう。

 

私が参加しているまちづくり事業でも、最近では様々なグループが協力しながら一定の範囲を共同開発し、共同運営していく方向で話を進めるものが多くなった。 

先週もその打ち合わせをしたのだが、企業の活動とは相違して、それぞれの立場を生かしながら、共生していくことは中々難しい。

本当は何とか本格的な共同事業をと言いたいのだが、結果的には今西進化論で言う日本的”棲み分け”となることが一般的である。

 

以前、建設省の仕事で”連合都市育成方策の調査研究”という仕事に参加したことがある。

モデルはイタリアの小さなコムーネ(自治体)が共同で一つのプロジェクト、例えばサッカー競技場を共同建設・運営・管理する場合に、国家がボーナスとして資本投下、応援するケースがあり、広域的な行政スタイルとして日本で出来ないかということを研究するものだった。 

イタリアではかなりなプロジェクトがこんな形で造られているようだったが、日本では行政、自治体間の縄張り争いが相当予想され、途中で進まなくなってしまったこともあった。

 

経済が発展すると共に社会が変化し、新しい生活に対応するため様々な仕組みが必要だが、私たちの身近な仕事の中でも、広く世間と接触し、グループで共同して対応しないとこなせない物が多くなっていることを実感する。

その時にお互いの立場を尊重しながら、うまく共生して行ける方法、握手の出来る方法は、どんなものがあるのだろうか

私自身やっと観念ではなく具体的に考えなければならない思いを今感じている。

 

 


●アフリカの変化

2011-02-01 21:00:53 | Weblog

 

 

ここ一週間ばかり仕事の締め切りで、デスクワークに集中し、昨日ほっと一息ついてみたら色々な事が起こっていた。

まず日本国債の格下げ問題と通常国会の開幕、サムライ・ジャパンのアジアカップ優勝、そして中東情勢の新たな不穏な動きである。

チュニジアのジャスミン革命から始って、エジプトに飛び火したアラブ世界の民主化暴動?はエスカレートの一途を辿り、死者も出て100万人集会まで開催される事になっているようだ。

昨年のユーロ危機やドル安状況も一段落し、少しは回復基調に向かうかと思われた国際経済情勢も、ここへ来て又不透明な状況になってきた。

 

先々週、偶々灯油を買いに行き、その値上がりに一瞬吃驚しこれは石油価格の高騰があるのかもしれない、と思ったがひょっとして業界では折込済みだったのかもしれないと思う。

アラブ世界とイスラエルとの確執も、一応落ち着いている状況は、むしろそれぞれの国内の様々な問題が噴出することになるのかもしれない。

中東というところ、イスラム世界は本当に良くわからないところである。

 

黒川さんが随分前、当時の経団連がチームを組んで、中東経済視察団を派遣したとき、一員としてリビヤを訪問しベンガジの地域開発の仕事を請けたことがあった。

日本のODAの対象としてプロジェクトを組んだのかもしれないが、遊牧民としてのベドウィンを定住させ、同時にそこを観光地域として生まれ変わらせる計画で、一種のコートダジュールをアフリカ北海岸に造る物だったと記憶している。

そのプロジェクトはベンガジ・イーストコースト・コーニッシュと呼んでいた。

写真右は現在のベンガジの海岸の住宅団地だが、当時の計画とはまったく似つかなく殺伐とした風景ではある。ベンガジは古くはローマ文化も根付いたところでその遺跡も多くあり、イタリア風街並みもあるのだが、それらはアラブ世界とは異質である。

 

リビヤ隣国のチュニジアも古くはカルタゴと言い、ハンニバルとローマ軍のポエニ戦役で有名な土地で、イタリア半島とごく近くローマ植民地であったところである。モダン・ジャズ・カルテット(MJQ)の名曲チュニジアの夜でもお馴染みである。

写真左は、同じ文化を持つ近くのマルタ島のバレッタの街並みであるが、高密度居住で有名な場所でラテンの血を感じさせる。

 

アフリカはここ数年の資源価格の高騰を受け、経済成長も著しく人口も着実に増えて社会的な変化を感じさせる地域が多くなった。

共和制とは言えほとんどが独裁制に近い形では、多くの矛盾がこれからも表面化してくるだろう。アフリカのいわば中心地たるエジプトの状況は、極めて象徴的な出来事で色んな意味で今後の成り行きが注目されるところである。

歴史の大きな歯車は、今後古代からの文明の先進地、アフリカの地中海沿岸を大きく変貌させるのかもしれないと思う。


●ザ・グランド・ツーリング

2011-01-22 21:15:00 | Weblog

 

昨今の日本での若者の車離れやエコ時代の到来を受けて、何となく車に対する関心が減少している感があるが、海外ではこのところ様々な動きが起こってきたようだ。

昨年秋のパリ・モーターショーとロスアンゼルス・モーターショーにその動きが見てとれる。

 

パリで脚光を浴びたのは、英国の老舗スポーツカーメーカーの”ロータス”、ロスアンゼルスでは、経営再建を遂げつつあるアメリカのビッグスリー、GM,フォード、クライスラーがそれぞれEVカーを含めて、コンセプトカーを出品している事だ。

中でもGMはキャデラック・アーバンラグジュアリー・コンセプトという小型車を出品注目を浴びている(写真右)。

ロータスは昔からライトウエイトスポーツの覇者だったが、昨年フェラーリからCEOを迎え、高級GTカーの開発に乗り出し、フラッグシップカー”ロータス・エヴォーラ”を発売グランド・ツーリングのマーケットに参入するようだ。

 

これは中々車の世界もこれから又面白くなると思っていたら、今日の夕刻NHK特集で”2010北京パリ・クラシックカー・ラリー”の一部始終を編集した番組が放送されていた。

このラリーは1907年から行われており、世界一の過酷なレースで37日間をかけて、ゴビの砂漠や中央アジアの数々の難所、イラン、トルコからギリシャを抜け、フェリーでイタリーに渡り、そこから一路パリを目指す長距離トライアルである。

普通の車でさえ大変なところを、クラシックカーで行うところが味噌で100年前のヴィンテージーカーや、様々な車の参加、そこで展開されるアクシデントや多くの人間ドラマを上手に編集し、久し振りに車をめぐる楽しい番組に仕上がっている。(写真左)

参加者は長年連れ添った老夫婦や、家族を故郷に残して参加した主婦二人のチーム、新婚旅行を兼ねた夫婦など、ユニークな人たちで、一日600キロ~800キロを走破するグランド・ツーリングの楽しさと厳しさを余すところなく伝えていた。

 

日本では、国土の狭さや均一性からこのような大きなツーリングイベントは中々根付かないのだが、国際的には緯度の違いを利用した楽しいグランド・ツーリングコースがたくさんある。中国はその国土の広がりと車の普及から今後の可能性が期待されるところではなかろうか。

 

様々な車のニュースから、若い時小杉さんや仲間達と走ったヨーロッパの楽しいツーリングの思い出が脳裏をかすめ、雪のスイス、シュバルツワルドのアウトバーン、ラインとモーゼル川の麓のお城、ルクセンブルグのエヒテナッハからナムールそして一気にベルギー国内を駆け抜け、パリまでの夜間のドライブ・ツーリング等を楽しく思い出したものだった。


●燕雀 いずくんぞ 鴻鵠 の志を知らんや

2011-01-21 22:53:06 | Weblog

今週は週初めから風邪気味で、ぼんやりした頭のまま過ごしたような1週間であった。先週の札幌の寒さにやられたのかもしれないと思う。

不思議な事に体がだるいと他のことも調子がおかしくなるようで、早速仕事中レーザープリンターのエラーメッセージが出て、印刷出来なくなってしまった。センサーが働いて色々調整してもまったく動かない。

仕事の進み具合にも影響し、イライラが募る。更に仕事の催促や締め切りの変更等、悪い状況が重なり、毎度の事ながらいささか不快で、中々平常心を保つ事が難しい。

 

一瞬、仕事を離れて海を見てきた。相模湾の海は穏やかだが地平線のかなたまで澄み切って遠くの広い世界を感じさせてくれる。

浜辺の海草がはなつ磯の香りと潮騒の音は私の気持ちを少しづつ落ち着かせてくれはしたが、頭のもやもやは残ったままであった。

 

中国のGDPが日本を凌駕し、世界第二位となったことが新聞で報じられていた。既に分かっていたことで特別騒ぐ事ではないが、紙面トップで報じられている。

今月号の文芸春秋で中国の特集記事が掲載されているが、李登輝元台湾総統の中国観は、日本の人たちと又違った志向で主権に対する拘り方と同胞ならではの中国情報の分析がさすがに鋭く興味深い。

折りしも、オバマ大統領と胡錦禱中国国家主席の会談で大型の経済協力が発表され、日本は蚊帳の外の感じである。

 

明るく晴れ渡った相模湾の海を見ていると、小さい事に拘らずもっと大きな気持ちで生きることが大切ではないかと思う。

表題の絵画は、スペインの画家、ゴヤの代表作”巨人”であるが、ナポレオン支配下での庶民のスペイン独立戦争を描いた作品である。

ロマン主義の作品だが抑圧の中での逞しい表現力に感心する。経済に極端に支配される今の日本の状況とは又違った価値観の世界ではないかと思う。

 

燕雀スズメではなく、鴻鵠 オオトリの志。

様々な閉塞感や障害、不如意な事が多々あっても、何事ももっとロマンを持って生きる必要性を、ぼんやりした頭で感じた週末ではあった。


●今年の冬は寒くて長い?

2011-01-14 18:38:41 | Weblog

 

今日の東京は、氷点下0度を記録したと聞いた。北海道では-35℃のところがあったと言うし、青森では最大積雪3m33cmと記録が出ていた。とにかく暖冬という最近の流行り言葉を忘れるような今年の寒さではある。

 

今年もお正月から二週間が過ぎたわけだが、結構忙しい新しい年の始まりであった。

昨年暮れからの仕事の話を引き継ぎ、4日から活動をスタートしたが地方都市のホテルのイメージ構想や高層オフィスのリノベーション・コンセプトとプランの作成そして打ち合わせ。

今週はじめには雪の札幌へ行き建物の調査を行った。あっという間の忙しい二週間、この週末でやっと一息ついた所、何だか既に1ヶ月は経過した感もある。

 

東京も寒いが、札幌はことのほか寒かった。

いつもこの季節は千歳空港から札幌へ向かう雪の風景が美しく、楽しみな列車の中の時間なのだが、今回は窓辺に見える木々がほとんど雪に埋まっている。

列車の走る風によって舞い上がるパウダースノーの向こう側に雪に埋まった家屋や自動車、そして樹木の雪景色を見るとこれは美しいというより大変なことだという感想を抱かざるを得ない。

エアポートライナーも遅れに遅れ、そして混雑し立ったままでの1時間の経過であった。

 

オフィスビルのリノベーションも重要な仕事である。

東京都心に出てみると幾つかのクレーンが纏まって林立しているところを見かけ、それはほとんど、オフィス、マンションそして商業施設の複合体のビッグ・プロジェクトだが、マンションはともかくオフィスの需要が良くあるなというぐらいの規模のものもある。

大型になるほど限られたテナントの気を引くために、オフィス空間のデザイン、照明器具の選択、省エネや機能的な空調設備、そして自動センサー等の導入。

さらにアメニティを保証するためのサニタリーや、アート空間の充実など解決すべき課題は多い。

久し振りにスケールの大きな空間の仕組みを構想していて気分的には極めて爽快である。

 

今週の週末、菅内閣の改造人事が発表されている。この冬の寒さと同じようなお寒い内容となっている。

何時ごろからか政治家から”ディグニティ”というものを感じなくなってしまった。隣のおやじさん達が縄張り争いをやっているようなものである。

”リーダーは好かれなくてもよい。しかし尊敬されなくてはならない”と言ったのは英国の鉄の女性宰相マーガレット・サッチャーだが、日本の政治家からこんな言葉を聴けるのは何時の日だろうかと思う。