ほんとうのことを本事に

真相は深層に、隠れているように見えて、そばにある

ときはいま たみがしたなる ふづきかな 7

2012-07-03 14:44:20 | Weblog
万葉の詞に「ロマン」を求めるものは「真実が見えてこない」

パクビョングシク(朴炳植)が「万葉集の発見」で大伴家持を万葉ナンバーワンの歌い手、と持ち上げているが、「柿本人麻呂」には到底かなわない事を知っている。その本の中軸をなしているのは、「柿本人麻呂論」である。柿本人麻呂は、三つの人生を生きている、という説の本を見たような記憶があるが、今は忘れてしまった。その説が頭のすみにあったからだろうが、私はいつも比較して考えている。
36歌仙絵巻にはこの三つの人の肖像画がある。柿本人麻呂・猿丸大夫・山部赤人の三人である。絵巻では、猿丸大夫が一番若く描かれ、次いで柿本人麻呂、そして山部赤人の順番に表現され描かれている。人麻呂と赤人の間は短い。この三人が同一人物かどうかは、まだ定かではない。しかし、私のオーラはおおいに信憑性を感じている。私のオーラがいうのは・あるいは記憶かもしれないが、百済からきた時は猿丸大夫の名で、天武天皇の和歌指導に引き上げられて柿の本人麻呂の名に、天武の崩御の後事変があり、流刑され顔に赤の入れ墨をされてのち山部赤人に代わったのではないかと思われる。いろいろの比較する史料があればいいのだが、そんなものがあればとうにやっているだろう。猿丸の大夫と人麻呂の同一人物説は「猿丸幻視行」だと思った。また、山部赤人と人麻呂の同一人物説は、「帋灯 柿の本人麻呂」柿花仄 だったと思う。柿本人麻呂の謎を書く人は多い。しかし、全体を通して書かれたものを見ない。そして、また、私は四つ目の人生が日本列島に来る前にある事をパクビョングシク(朴炳植)の「万葉集の発見」で見ている。日本に来る前の朝鮮百済である。

ときはいま たみがしたなる ふづきかな 6

2012-07-03 13:17:24 | Weblog
やわらぎをもって とうとしとなせ


ときどき聞く言葉があります。「平和ぼけ」という詞です。これをきくと、私は「なんと愚かなことを言っているんだろう。」と、情けなくなります。人によっては、その言葉の意味を深く考えもせずに、不容易に使っているのだろうと思います。ですから、そんな時に私は「つぶやくのです」「そんなことを言う人は、日本人じゃあない。」とね。何度でもいいますが、「にほんれっとうじゅうみんは、八百万の神々を尊崇している民の集まりです。」それを「日本人」と言い表しているだけですが、「八百万の神々を尊崇している民」は、日本列島だけでなく、オーストラリアのアボリジニーやアメリカ大陸などの原住民・諸大陸・諸島などの原住民はすべて「八百万の神々を尊崇している民」だと思います。日本の縄文時代は、まさにそれが「こころのルーツ」になっていますから「15000年の歴史がある」といって過言ではない。ですから天皇家は新参者です。NHKは、「800年の冷泉家」と聞くものに「800年にとじこめた」感がありますが。「冷泉家の伝えている事は、天皇家よりもずっと古い、縄文時代の心を伝えているのです」。何故800年としたのか、ディレクターは、私のようなおっちょこちょいを挑発したのかもしれない。さて、「平和ぼけ」の詞に戻します。縄文時代から見れば、新参者の天皇家の祖先をかりに「天智天皇と藤原鎌足」ということにしますと、せいぜい1320年前というぐらいです。同じ頃に、近衛兵としてわたってきた金太里(出雲國風土記執筆者)の先輩が「柿本人麻呂」ですから、隔てられている「民族の壁」は、「めくそはなくそ」のたぐいであるわけです。しかし、縄文の心のルーツである「八百万の神々」は、「平和主義」であり、血で血を洗う戦のむなしさから逃げてきたたくさんの民族や人種が、それぞれの文化を持ち込み寄せ合って、今日の「日本文化」があります。ですから、天皇家の文化もその一つにしかすぎません。だれかが日本を支配しようとしてもそれは無理な話です。いくらお金がたくさんあってもだめです。一時、日本列島の土地を大量に買ってもだめです。HAARPで揺さぶってもだめです。あなたの住んでいる国の大地に「日本」を創りなさい。「日本」というのは、現在国名で使われていますが、じつは「八百万の神々を尊崇する民」が住んでいるところ。であるわけで、実在不明であるけれどその名に象徴させて「血で血を洗う戦のむなしさ」から「みんなで仲良く生きていこう」と宣言したのが「17条の憲法」で、その最も大切な条文が「和らぎをもって、尊しとなせ」なのです。