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内務省復活とは、「小さな政府」の必然か  金澤忻二

2005-07-25 20:30:29 | Weblog
静岡知事選は、低い投票率の中で、石川4選知事となった。投票率が50パーセントを切ったら、その選挙は本来成立すると云う事でいいのであろうか。今回の選挙でも40パーセントすら切っているようだが。

石川氏は自治省(現総務省)出身と云う事だが、総務庁が省になった時は、旧内務官僚たちが内務省復活を夢に描いてきた大きな一歩だったようである。

世界の趨勢として「小さな政府」がいわれているが、地方自治体の3割自治から地方自治の権限拡大を云ってきた人たちにとっても、同じ軸を共有する事になったのだが、それを進めるために「広域行政」の環境整備をすすめて市町村合併が進められている。小さな市町村では財政的にやりきれない条件が出てくれば、それもやむおえないと思わせられてしまうのである。それが「環境整備」と云うやつである。自己矛盾を抱えながら進んでいるようだ。

ところで、明治維新で国の形を作る時に大鉈を振るえる機構が必要で、巨大な権限を持つ「内務省」が出来た。大蔵省は別として、内政関係は全て内務省に統合されていたのである。

初代内務大臣が大久保利通である。カミソリといわれ、冷徹の一方清貧を信条にしていた。その彼も、西郷隆盛を信奉する郷士の一団にあんさつされる。その背景に財閥形成期の三菱と大隈があったと言うのに材をとった「大久保郷謀殺」という小説がある。

戦後改革で財閥解体と内務省解体が同時に進んだ。今、どのように再編されているかと云う事は十分考える意味があるようだ。

さて、世界恐慌が事実上起きている今日の情況では「米の負債」を米国籍であった多国籍企業や国際金融資本にその責任を取らせることを前提として、世界で「戦争」を起こさせない方法での軟着陸策をとるべきである。

世界が、監視しなければすぐに「戦争」を起こして混乱させ、その「混乱」を利用してわけのわからないようにして誤魔化そうとする。それで解決するわけではないのにである。



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