しげるの自遊学

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外国語を学ぶということ

2005-08-13 18:03:29 | Weblog
 いままで長い年月、英語やら中国語を学習してきましたが、その学習が根源的に片手落ちだったことを痛感しています。今回「日本語の手ざわり」という本(石川九楊著)を読んで、初めて長い年月、時間をかけた割には、何にも分かっていなかったこと思い知らされています。ある意味仕方ないことかもしれません。誰も教えてくれなかったのですから。

 断片的にしか紹介できませんが、少しだけ、この書物から引用してみます。

 以下は引用です。
 <中国語は「断言言語」です。言語の構造として、あいまいさを許しません。先般中国で「愛我中華」というスローガンが至るところで揚げられていました。これは「我が中華を愛そう」あるいは「愛すぞ」というような意味です。中国語ではここまでの断言的表現はできても、平仮名をもつ日本語のように助辞表現ができないため、「愛します、愛しましょう、愛しています、愛そう、愛しているの、愛しているわよ、愛しているのだけれど・・・」というような、時には話し手の性別や年齢、階層、職業まで明示するような繊細な表現ができず、断言に終始せざるをえないのです。>

 中国外交が日本を非難する場合、断言的に非難する云い方しかできないのは、ある意味仕方ないかもしれません。あいまいな、柔らかい表現ができないのですから。白か黒かをハッキリさせる、グレーは許さない、そんな感じです。

 <一人称を指す言葉には「わたし」「わたくし」「俺」「自分」「わし」「僕」「あたし」「てまえ」などいくつもあり、また二人称もしかりです。これが英語になると、基本的には「I]と「YOU」だけ。中国語なら「我」と「你」だけ。それぞれの言葉には生成の歴史があるので・・・・・>

 ある外国語を学ぶのに、日本語でこういう言い方は、中国語ではこう言う。単に言い方だけ学習するのと、その国の言語の特質をよく承知して学習するのとでは、先行きの理解に大きな違いが出ると思われます。この本を読んでよかった、そのように思います。