しげるの自遊学

自由に遊び、自由に学んで生涯現役。
ソプラノの森岡紘子さんを一人のファン
として応援しています。

バスツアー(浅草仲見世と隅田川下り)

2013-03-30 15:19:58 | Weblog

バスツアー(浅草仲見世と隅田川下り)

 

 3月26日(火曜日)、町内の有志10名で隅田川下りを楽しみました。はとバスで浅草まで行って仲見世通りや浅草寺周辺を散策。そのあと、船に乗ったのですが、天候に恵まれ、仲間にも恵まれ、それはそれは楽しい一日になりました。「花」という曲(武島羽衣作詞、滝廉太郎作曲)を思い出していました。

 春のうららの 隅田川 
 のぼりくだりの 船人が
 櫂のしずくも 花と散る
 ながめを何に たとうべき

 読み返すほどに詩の素晴らしさに感動します。

 桜を愛でることが出来る幸せ。日本に生まれてよかった。

(50枚位の写真でスライド作成、音楽も入れました。曲は勿論「花」です)

 

 

 

 

 

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アメリカ橋

2013-03-25 11:14:19 | 音楽

 最近、カラオケを歌う時はきまって「アメリカ橋」を歌っています。メロディが軽快だし、歌詞にもなんとなく共感するものがあります。

風が足もとを 通り過ぎてゆく
久しぶりだねと 照れてわらいあって
アメリカ橋のたもと ふと通うぬくもり
やるせない恋 埋めた街 角部屋の灯り
石だたみ 石だたみ 思い出続く
いつか いつか 熱かった青春

君は変わらない 月日は過ぎても
髪を切ったので 少し若くなった
アメリカ橋のたもと 黄昏が間近い
煙草やめたの いつからと それとなくきいて
眼をそらす 眼をそらす ガラスのむこう
遠い 遠い かえらない青春

アメリカ橋のたもと それじゃと手をあげる
そっとコートの衿たてた さり気なさおいて
人の群 人の群 誰もが他人
はるか はるか あの頃が青春

 昔の恋人に偶然会ったのか、或いは昔の同級生の集まりで再会したのか、いずれにしてもかえらない青春を懐かしむ、素晴らしい歌詞だと思います。

 しかし、それ以上のことは何にも知らないで歌っていました。2週間ほど前の町内のカラオケでも、またこの歌を歌いました。とその時、「アメリカ橋」ってどこにあるの?と聞く人がいたのです。そんな名前の橋があるのかどうか、あったらどこにあるのかなどということが話題になったのです。知らないで歌っていたのが恥ずかしくなり、調べてみようと思ったのです。

 ありました、ありました。実在するのですね。23日(土曜日)その場所へ行ってみました。 山の手線「恵比寿駅」から近いところに「恵比寿南橋」という橋が山手線の上に架かっていました。この橋の通称が「アメリカ橋」なのですね。橋に隣接して「恵比寿ガーデンプレース」がありました。

 もともとはアメリカセントルイスで1904年に開催された「セントルイス万国博覧会」に展示されていたもの。それを日本の鉄道作業局(当時)が買い取り、鉄製の橋のモデル橋として1906年(明治39年)に現在地に架設したそうです。橋は1970年(昭和45年)に改築されたとあります。(以上はウィキペディアからの引用です)(明治39年といえば、亡くなった母の生まれた年ですから、随分と古い歴史のある橋だと分かってびっくりです)

 この「アメリカ橋」という曲のほかに「あめりか橋」という同名の曲があり、「狩人」が歌っていたとのこと。You Tube で「あめりか橋」という曲を検索したら、ありました、ありました。歌詞も、メロディも全く違いますが、なかなか素敵な曲です。妻に聞いたら「あめりか橋」のことよく知っていました。これからは胸を張って、「アメリカ橋」を歌いたいものです。

 

 

 

     

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郷愁、遠い昔を懐かしむ

2013-03-23 19:40:19 | Weblog

 現役時代の最後の6年間は東京の大手町で働いた。25階建てのビルだったが、私がいたのは24階だった。ビルはお堀端にあったから、皇居の中が良く見える。ビルが建設された当時は、お堀端に高層ビルを建築するのはかなり問題だったそうな。その後、丸の内、大手町界隈にも高層ビルが建築されるようにはなったが・・・。

 企業の合併などということは、現代の社会にあっては珍しいことではない。合併によって、社名も変わり、ビルが消滅するのも仕方ないことかもしれない。それにしても、やはり淋しいことだ。ビルの外壁はカナダから特別に輸入したという黒色花崗岩だった。この花崗岩で記念品を作るという企画があったので、私は「マウスパッド」と「ペーパーウエイト」を注文した。そして、それは既に手元に届いている。

 ビルの取り壊しが始まったということを聞いてから、早く現場に行ってみたいと思っていたのだが、なかなか行く機会がなかった。今日、別の用件があったので、東京駅から足を伸ばして、ビルの解体現場まで行ってみた。

 シートを被ったビルを眺めて、現役時代の辛かったこと、嬉しかったことなどを一度に思い出していた。親しくしていただいた先輩たち、そして同僚も少なからずこの世を去った。過ぎ去った青年時代、壮年時代、そして中年時代、あれは古き良き時代だったかもしれない。

 

 

 

平将門の首塚(仕事の上でなにかまずいことがあった時など、道路を隔てた向かいの「将門塚」へ行ってお祓いをしたことを懐かしく思い出す)

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ゼロ戦(所沢航空公園)を見に行った

2013-03-10 17:39:35 | Weblog

  

ゼロ戦(所沢航空公園=http://www.parks.or.jp/tokorozawa-kokuu/

 最近、「永遠の零」という感動的な小説を読んだばかりである。航空公園に「零戦」が展示されてあるとあっては、何をさしおいても見たいと思った。

 日本の敗戦からすでに60有余年。「零戦」の名を聞いて感慨を覚える人は減ってしまったかもしれない。零戦の座席は想像していた通りの狭い空間だった。一人で5時間も、6時間も飛んで、そして戦って・・・。そんな光景を想像してしまった。会場に来ている皆さんは何を思ったのだろう。

 今日は日曜日とあって、大勢の人が会場につめかけていた。午前中の早い時間に公園に行ってよかった。午後は急に風が強くなり、空は黄色になってしまった。

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雪女さんのリサイタル

2013-03-03 14:45:40 | Weblog

 2月27日(水曜日)、森岡紘子さんのリサイタルへ行って来ました。「今日の天気や如何に?」朝起きてすぐに外を見ました。リサイタルは夜だったので、とてもお天気が心配だったのです。なんとみぞれが降っているではありませんか?一寸憂鬱でしたね。いっしょに行く近所の方に相談したら、天気予報では「このあと晴れ」です、と。しかし、その時は俄かには信じられなかったです。

 天気は良くなるはずだから、早めに出かけ「湯島天神」の梅でも見ましょうよという近所の方の提案で、午後早々と出かけました。予報通りでしたね。嬉しいことに天候が回復したのです。そういうわけで、湯島天神の梅も鑑賞することが出来ました。素人目には、梅はしっかり咲いていました。

   

  

 時間の余裕があったので、湯島天神近くの「旧岩崎邸」にも行きました。そのあとは、ホールが近い場所で皆さんといっしょに食事を楽しみました。歩いたあとで疲れていたせいか、ビールのなんと美味しかったことか。

 

 いゃー、コンサートは予想通り素晴らしかったです。素敵な森岡紘子さんのソプラノにうっとりする至福の時間でした。終演後、真っ赤なドレスに身をまとった紘子さんとロビーで会って言葉を交わすことが出来たのも嬉しかった。コンサートが終わったあと、舞台から彼女の挨拶があったのだが、東日本大震災のあと、何度も被災地へ行って活動されているとか。彼女の人柄に心打たれました。支援活動で仲間と被災地に行く時の交通費の募金をやっていたので、ささやかながら募金箱へ入れてきました。

 あとで彼女からもらった御礼のメールに「私は雪女ですから・・・・・」というくだりがありました。コンサート当日の朝、雪が降っていたので、そのことを言ったらしかった。前にもコンサート当日雪が降ったとか、そんなことがあったらしい。

 雪女伝説(小泉八雲)によれば、雪女はほっそりしとした美しい女性だとある。自分の素性がばれた時は、お前(亭主)を殺すと言っていたのだが、寝ている子供達(10人)を見るとどうしても殺せない。で、お雪の体は溶けて白い霧になってしまったとか。紘子さんはもしかしたら本当に雪女かもしれないなどと勝手に想像をめぐらしている私です。

 

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