たらちね日記

日々のつぶやき

「干支」

2007-12-30 22:44:04 | Weblog
ちょうど12年前になる。シルバー人材センターでお年寄りを対象に
折り紙教室をされている 先生から折り紙の干支(子)の色紙をいただいた。
それから、毎年12月末になると、翌年の干支の色紙がとどけられた。

昨年は何故か届かなかったが、たぶんご多忙なのだろう と思い、電話するのも
催促がましく なるので年賀状だけ送りましたが、12月に突然喪中ハガキが
とどいたのです。今年1月に亡くなられていたのです。

生前からとっても静かな方でしたが、遺品となった11枚の色紙は
私の生ある限り、毎年々額縁に入れ替え、そのたびに記憶を新たにする
ことでしょう。
残念ながら「亥」がない。

「不幸中の幸い」

2007-12-30 02:11:33 | Weblog
いつも大きなスーパーに買い物に行く時は、銀行カードやショップのカードを
入れた折財布と小銭入れ(がま口)の二つを持って行き、
近くのスーパーへ行くときは小銭入れに1万足し がま口だけ 持って
買い物にいきます。
夕方買い物に行こうと思い がま口をさがしたが、見あたらない。
最後に買い物したのは昨日の夕方だ。雨の中ボトルコーヒーをケースで購入し、
近くのよしみでカートを借りてかえってきた。

店内は正月モードで気ぜわしい。
レジで代金支払ったところまでは、記憶にあるが、その後はプッツンである。
兎に角丸1日たっている。大騒ぎしていると夫が
「これがオレやったら ブツブツ言うやろ」と笑う。私も、そうだなーと思う。
4千いくらかの買い物をして1万円でおつりをもらったのは記憶にある。
少なくとも6千円は消えてしまった。
「探してくれたら半分懸賞金」と言うと
孫は必死になって探しはじめ、あげくのはてスーパーへ
「落し物でとどいていませんか」と聞きにいったが、
てぶらでかえってきた。不幸中の幸いで その財布には
現金しか入っていなかったことです。

思いついて・・・

2007-12-28 17:20:03 | Weblog
やはり、クリスマスイブをまだ引きずっていて、S神父の晩年を知りたくて
最後の勤務地? 加古川カトリック教会をたずねた。

あらかじめパソコンで調べて行ったので、苦労なくたどり着いたが、
そこの神父様は「会議があって大阪へ行かれた」と女性の方が対応して下さり
色々お話をして「やっぱり来てよかった」と思った。しかし
最後にお勤めされたのはここではなく園田教会とのことでした。


平日とあって人の出入りもなく静かなところでしばらくお話をして
晩年のお写真をもらって帰りました。12:00に大阪駅発~かえってきたのが17:00
片道50分の距離初対面なのに親しく対応してくださり又尋ねたいと思いました。

教会の前の掲示板に私に警告しているようなポスターがあり、「ドキッ」とした。

玉造界わい 散策

2007-12-26 02:34:06 | Weblog
教会にたどりついたものの ミサの時間までかなりある。
いったん帰ろうかとも思ったが、この際ゆっくりと 見て回ろうと教会を出た。
近いところで、すぐ横に隣接する 私立の学校 城西学園小・中・高校
昔は 教会の敷地内に小学校だけが、こじんまりと建っていたような記憶があるが
ずいぶん立派な大きな学校になっていてびっくりした。

難波の宮跡 広大な公園

やがて歩道橋が、そこから望む大阪城。歩道橋をわたりきると そこは、NHK。

NHKの中にただ1軒ある食堂で軽い夕食をとる。一人で食事をする侘びしさ…
 NHK歳末助け合いのイベントがあっておもちゃや や風船に
子供たちが群がっていた。中の売店で「NHKみんなのうた」のテキストを買った。
いつもは書店で購入しているが、この場で買うと なんだか特別な
テキストのような 気がした。

1年間の総懺悔(ざんげ)

2007-12-25 11:10:20 | Weblog
およそ、50年振りくらいになるだろうか?

若い頃 住んでいた空堀から歩いて行ける距離で、毎週々通った場所である。
なのにJR玉造で電車を降りて、そこへたどりつくまで何度もゆきずりの人に
道をたずねた。それほど周囲の環境・建物も変わってしまっていたのです。


クリスマスイブということで今夜は深夜ミサがあるはず、何故か私は、
何かに引き寄せられるように、たどり着いた。

正面右手に 細川ガラシャ像

左手に高山右近像が

そして中央に聖母マリア像

「玉造カトリック教会」その建物を目にした瞬間、懐かしさと 感激で
胸がつまった。

これだけ大きな教会なのに、クリスマスでも つつましい
電飾の飾りつけで あの街中のケバケバしいどんちゃん騒ぎと異なり
静かに荘厳な中にイエズス キリストの誕生を祝うミサが行われるのです。

ここを訪れた理由にもう1つ、ぜひもう1度お目にかかっておきたい
神父様の消息を知りたかったからです。

当時 私は 20代 悩み多き、若かりし頃 なにかと相談にのってもらい、
ちょうど その時最愛の母を亡くし、たちなおれそうにないわたしを
励まし、母のために祈りをささげていただきました。あらゆることで
アドバイスをもらい 音楽の影響を受け、いつも心のどこかで私を戒めてくれて
現在に至っているのですが、その間連絡も取らず、卑しい人間世界に
どっぷりつかり、神の教え「十戒」には程遠い、生活をしてきたので
自分が偽善者に思え、逃げていたのです。

おそるおそる近くにいたシスターに S神父のことを尋ねると
1昨年のクリスマスが終わったあと元日に天に召されたことを知り愕然となった。
なんか心のよりどころを、なくしてしまったようでショックでした。
シスターは優しく微笑みながら「きっと今日あなたが、ごミサに来て
くださったことを、神父様は喜んでくださっているでしょう」と
わたしを なぐさめて下さいました。

当時S神父からいただいたカードは48年も経ちボロボロになったけど
あるときは聖書の中に、あるときは小説の栞となって 今は財布に入れ
お守りとして毎日持ち歩いています。カードの裏には
1960年10月8日
○○さんへ † 「愛はすべてを許し、すべてを信じ、すべてを希望し
        すべてを耐え忍ぶ」と聖書の中の1節が書かれてありました。
ミサが始まって おおきなパイプオルガンの音色に
「ああ、昔あのオルガンを演奏して聖歌を教えていただいた」と又
こみあげてくるものがあり、ずっとミサが終わるまでS神父のために祈を捧げ
「世界の平和のために~」と祭壇から司祭の声が聞こえてくるものの・・・

私はやっぱり教会に行ったときは、「悔い改めて」と思うのですが、
帰ってくると 思い通りにならないと、家族に暴言をはき、いやな自分に
戻っているのです。

「生きる力」

2007-12-20 23:45:11 | Weblog
 いつだったか、娘が「これ、森のバター」と言ってアボガドの皮をむき、
スライスして わたしに差し出した。
あまり美しい植物でないので 気はすすまなかったが、言われるまま食べたが、
中からでてきた種も実と同じくグロテスクで大きなものだったので
コップに水を入れ その種を入れて 水栽培を試みた。
その後ずっと忘れていて
今日気が付いて見ると なんと立派に成長し子孫を残すべく けなげに
新芽をつけ、「木」らしくなっていたのです。
肥料も与えていないのに なんという生命力なんだろう。

種を突き破り太いもやしのような根が…

本体からは想像も付かないような、可愛い葉っぱが・・・

あちらでも 第九・こちらでも 第九

2007-12-17 01:10:41 | Weblog
案内状をいただいていたので、第九を聴きに「プリズムホール」に行った。
毎年不思議に思うのだけど、何故12月になると第九なの?クリスマスソングなら
わかるるけど…この日は「リック」でも「リビエルホール」でも
第九が演奏されていた。
このような時期だけにオーケストラのメンバーも
あちこち分散されているのか、プログラムには☆印の賛助出演が目立った。
昔、昔わたしも若かった頃 
某合唱団に所属していて第九を歌う機会があったが
  まず、ドイツ語の発音から 
今は故人となってしまわれた「キムラシロウ」氏の特訓を受け、
大フィルの演奏で歌ったことがよみがえる。
私達の頃は合唱団は、はじめからオーケストラの後ろに控え、
第4楽章になって合唱に入ったものですが、
今は2楽章が終わってからゾロゾロと大勢の合唱団員が入場してくる…なので
1・2楽章の余韻がそこで途絶えてしまうのです。
わたしだけがそう、思うのかもしれませんが…

第九の合唱は別名「喜び・歓喜の歌」であるはずなのに高音が苦しそうで
「苦しみの歌」にきこえました。アマチュアなので仕方ないか・・・

最後4人のソリストに花束が渡され終了となった。

「もったいない」

2007-12-14 12:43:51 | Weblog
賞味期限が今日で切れようとしている食パンが5/6枚も残っているのに
又6枚切り食パンを買ってきてしまった。たかが、200円そこそこだが、
戦後を経験した者にとっては、
「捨てる」という行為は 罪の意識さえ感じるのです。
明治生まれの親に育てられた わたしは、子供の頃
「ごはんを残したら目がつぶれる」とたしなめられ、それを信じて育ち・・・
でも毎日々捨ててばかりです。
今日は、残った食パンの耳を取り除き 卵・牛乳・バターを使って
「フレンチトースト」にし わたしは3切れ  主人に 大盛りにして
「栄養あるんやから全部食べて」と
言ったものの、結局 卵・牛乳・バターが無駄になりそうです。
 今日にかぎって「オレ、お茶漬け食べたい。」と言う・・・

あと、1日後に又消費期限迫っている。

「ああ、もったいない」

大阪城の歴史 の講演を聴いて

2007-12-14 00:11:34 | Weblog
 この日の講師は 大阪城に何十年も住み、大阪城の研究に没頭されている
北川 央氏 の話である。
先だって ある演奏会がNHKホールであり出かけた時、
ホールの眼下に 難波の宮跡の館が、そして前方には大阪城が凛と聳え建つ。
そのときは ただ、漠然と見ていたが、
このおおきなビルが建ち並ぶ、このあたりが

(1496年)今から500年前は「虎狼ノスミカ也、家ノ1モナク 畑 バカリナリシ所」 の1節が感慨深い。
無知なわたしは、この北川さんの講演を聴くまでは、大阪城は秀吉が権力を駆使し
多くの人材を奴隷のごとく使い、大きな石を運ばせて 築城させたものと
思っていたが、それ以前に信長が城に入ることになっていたのだ。

 大阪城天守閣研究主幹 の北川講師は
早い口調で目を輝かし、しゃべりまくり、止まらない。テキスト最後まで
いくことなく、予定の12時になってしまった。

以前歴史考古学科の人数名とお茶を飲んだことがあるが、その時私以外の
ひとり ひとり が 歴史談議に 花を咲かせ ちょうどこの北川氏のように
得意げにしゃべっていたことを思いだした。

学生のころから歴史といえば、年号を暗記しなくてはならない いやな
科目だったけど、興味を持って研究すれば以外と面白いのかもしれない…

きらびやかな大阪城

古墳時代の倉庫模型 NHKホール前
たぶんこの石は全て柱の跡かも。

「散歩」

2007-12-11 19:09:31 | Weblog

雨が降ろうが、おかまいなく散歩を要求する我が家の「欲求不満犬」
それもそのはず、今彼は青春真っ只中なのです。普段は朝・昼・夕方と3度だが
最近になって、真っ暗闇の夜にも「ひ~~ん」と声にならない声で悲しい
悲鳴で、私を外へと誘導する。もう、たまったもんじゃない。
主人にたのむと「オレとは行かん」と言う。
仕方なく何度も公園に向かうのですが、真っ暗な公園で一人ベンチに座って
夜空を見上げていると東の方に青い光を発見。
近ずいてみると、近くの自衛隊の敷地内に作られたクリスマスツリーのイルミネーションだった。
門には門番が直立不動で立って居て 警戒がきびしそうだったが、
犬を連れた老婆とわかると シャッターを切って写真を撮ってもなにも言わず、
敬礼をしてくれた。
犬さえつれていなければ、図々しい私のこと 門の中に入れてもらって
もっと近くで撮影できたのに…