放射能除去と骨炭 一筋の光

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被曝による子どものがん死・・・ごまかされないのは親の責任だから理論武装

2012年06月17日 | 武田教授





子どもに法定以上の被曝をさせようとする自治体、専門家、マスコミの記者が跡を絶ちません.

このような非常識な人が出てくるのは、「除染や移動、食材に余計なお金をかけたくない.それなら子どもに被曝させた方が安上がりだ.子どもは法規を知らないから」という理由や単に「仕事が面倒になるから(主として自治体)」、「被曝する子ども達だけを切り捨てれば、保守層のおじさんが満足するから(主としてNHK、保守系の新聞、雑誌)」という理由があるからです.

また、法規で原発の事故からの被曝は大人でも1年1ミリ以下と決まっていて、子どもはその3倍の余裕を取らなければなりませんが、なにせ被曝も統計も難しいので、ごまかしがかなりあります.

最近、「1年1ミリなどという非現実的なことを言い続けている」ということを書いてある雑誌に、ごまかしが多くありましたので、子どもを守る親として以下にできるだけ丁寧に彼らのトリックを示しましたので、是非、被曝量の低減に役立ててください.

とくに「1年100ミリまで安全だ(山下医師らの発言)」、「ガンで30万人死ぬのだから、大したことはない(原子力安全委員会の女性の元委員長代理の国会発言)」に対する反撃材料です.

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【被曝による子どもの危険性の増大】

小児ガンによる死亡数は10万人あたり3人程度です(人口動態統計から。年齢は0才から14才まで)。これに対して「1年100ミリで発ガン率は100人に0.5人だから大丈夫」という事との比較をします.

1年100ミリの被曝によってガンになる人は「100人に0.5人」と言うことは「10万人あたり500人」です。医療関係の疾病数などは常に10万人あたりで表示するのが普通です.

子どもは大人に比べて3倍の危険性があります。つまり子どもの場合、10万人あたり1500人です。つまり1年100ミリの被曝は子どもがガンで死ぬ可能性を通常の状態の500倍にするということを意味しています(普通は3人で、1年100ミリなら500倍になる)。

ここまでの数値は「原発推進派」、「被爆注意派」、「産業優先派」など日本のあらゆる人が合意しています.つまり1年100ミリで、大人も入れた平均で10万人で500人ががん死をして、子どもは大人の約3倍という数値だけを使っています.

●ここで、もし相手が「1年100ミリまで大丈夫」と言ったら、「1年100ミリと言うことは山下医師の数値を使うと、通常の時の小児ガンに対して500倍も危険ということですが、なぜ500倍が「大丈夫」なのか説明してください」と明瞭に求めてください.これは被曝する子どもの代わりに親が質問するのですから、気を強くして単純に聞いてください.

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【ガンで死ぬ人は多い?】

私が出席した2011年5月頃の国会の委員会で、元原子力安全委員長代理だった女性が「ガンで死ぬ人が30万人もいるのだから、被曝で死ぬ人の数など問題ではない」という趣旨の発言をして、これも山下医師の「1年100ミリまで大丈夫」と同じく、子どもを被曝させたいと思う人を勇気づけています.

でも、大きな錯覚があります。小児ガン死は10万人で3人ですから、日本の小児人口が約1700万人(2011年)なので、全部で510人です。それが山下医師の「1年100ミリで100人に0.5人」という数値では小児で25万5000人という膨大なガン死が予想される事になります.

この女性の元委員長代理が使ったトリックは、被曝については1年100ミリを想定し、ガン死については1年1ミリを基準にするというダブルスタンダードを採っていることです.たとえば、「被曝については1年100ミリ以下では医学的にガンの発症は明確ではありません.また、通常のガン死30万人に対して、被曝によるガン死の数は比較にならないほど小さいのです」という説明をします.

なかなか高級なトリックなので何となく被曝は安全だという錯覚に陥ります.この手の人の特徴は「ずる賢く恨みを持つ」という特徴があり、なかなかやっかいです.

人の死には何種類かあります。第一に天寿を全うしてガンなどで死ぬという場合で、これは「天寿を全うしたけれど、死亡原因はガンだった」というものです。第二に天寿を全うするには少し早かったけれど60才を過ぎて病気になって死んだという場合です.さらに第三に病気ではなく階段から落ちたり、交通事故に遭ったりして60才以上で死んだという場合、さらに最後に子供の頃に事故や他人の責任で死んだというようなものです。

これらの同一に考えることはできません.たとえば、80才の老人が間違って階段から落ちて死亡する(年間10万人に30人)という場合と、10才の子供が誰かに(故意ではないが、偶然に)突き落とされて死亡するというのはまったく違います.

80才の人でも天寿を全うせず、事故で亡くなったのは残念ですが、偶然でも10才の時に人に突き飛ばされて死ぬというのは悲惨です。これを同一にすることすら許されません.まして、80才を過ぎた人が死んだときの原因がガンであるということと、10才の子供が東電の事故で被曝して死ぬのを同列で比較する感覚はまったく異常です。

原子力安全委員会が機能せず、事故になり、事故後も委員が居座っているというのは、このように感覚自体が異常な人が担当しているという事にもよります.

通常ならこういうべきです.・・・「通常の小児ガン死は年間510人ほどですが、1年100ミリの被曝があるとそれが日本全体では25万5000人まで増える可能性があります。」

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【ICRPに従え?】

もう一つ、私が見た保守系の雑誌には、「ICRPは緊急時に20ミリから100ミリまで被曝しても良いと言っている.外人が言うのだからそれに日本人は従うべきだ」という趣旨のことが書いてありました。

なんと情けない日本人か!と思います.まず第一にICRPは外国のNPOであり、国連などの正式な機関ではありません。たとえば環境で過激な活動を続けるグリーンピースもNPOです.

自分の都合の悪いことでは「グリーンピースの言うことなど聞けるか!捕鯨は正しい!」と言い、除染のお金がもったいない時には「ICRPに従え、なんと言っても相手は外人だ」という論理なのです。こんなにひどい大人の判断で子供達が被曝したら可哀想に思います.

ICRPはなかなか優れた学者の集まりですから、その意見を尊重するのはかまいません.でも、ICRPは「直線仮説」を採っていますから、子供のガン死については、1年100ミリなら500倍、1年1ミリなら5倍のガン死ということになります。

もし、ICRPの勧告を議論するなら、「東電の事故で、日本の子供達のガン死を500倍にして良いなら1年100ミリ、5倍なら1年1ミリ」と言うことを明示し、その上で「日本人としてどうするか?」を考えなければなりません。

その点では「1年20ミリ」を決めた文部科学省は、「東電の事故で子供のガン死を100倍までOKとする」という事なのです。1年に階段から落ちて死ぬ子供が5人とすると、東電が495人を突き落としても良いということを言っているわけです.

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親や先生が少しでも子供を被曝から守るために、日本の「大丈夫おじさん」、「NHKや保守系の新聞、雑誌」に対抗するために科学的な事実を整理しました。是非、活用して子供の被曝の低減をしてください.子供を守るのは戦いですから、緩んではダメなのです.私も攻撃的になりましたが、それはやむを得ません。

 


東日本大震災:「忘れていないよ」 被災・阪神からのメッセージ込めて、奥野さん熱唱--いわき /福島

2012年06月17日 | 毎日新聞

 東日本大震災で被災した広野町やいわき市の人々が暮らす同市四倉町の鬼越仮設住宅で16日、「巡るいのちの歌コンサート」があった。広島県のミュージシャン、奥野勝利さん(38)が、阪神大震災(95年)の犠牲者が母にあてた手紙に曲をつけた歌を熱唱。住民約50人が集まった会場は笑顔と感動に包まれた。

【中尾卓英】
 奥野さんは昨夏以来、福島から岩手の三陸沿岸の津波被災地でボランティア活動を続ける。「20メートルを超える津波に襲われても無事だった村が宮城県女川町にあります。日ごろから『こんにちは』が言い合える集落は災害にも強かったのです」
 阪神大震災で犠牲になった神戸大学生、加藤貴光さん(当時21歳)が母りつこさん=広島市=に残した手紙に曲を付けた「親愛なる母上様」は、07年の発表以来、全国の小中高生らに親しまれる。
 「お母ちゃん(加藤さん)は言います。私も17年間、毎日泣いて暮らしてきました。悲しい時は思い切り泣いていいんですよ」
 印象的なメッセージとともに、「ふるさと」「見上げてごらん夜の星を」など全10曲をオカリナや電子ピアノに合わせて参加者と合唱。また、地元の県立平商業高のフラガール愛好会「マハロハ」のメンバー8人も、華麗な舞を披露した。
 原発事故で8カ月間、兵庫県の次男宅に避難し昨年末から仮設住宅に暮らす主婦、北郷百々子さん(70)=広野町=は「心に染みる演奏だった。震災や原爆に遭った神戸や広島から届く『忘れていないよ』とのメッセージは、先の見えない生活の私たちには、何よりの励まし」と話した。


東日本大震災:福島原発事故、風化させるな 酪農家・長谷川さん講演−−高松 /香川

2012年06月17日 | 毎日新聞
 ◇「飯舘村であの日、何が起きたのか」

 福島第1原発事故で計画的避難区域に指定されている福島県飯舘村の酪農家、長谷川健一さん(59)が16日、「飯舘村であの日、何が起きたのか」と題し、高松市片原町の市生涯学習センターで講演。「大飯原発(福井県)が安全対策を先送りして再稼働されようとしている。福島の原発事故を風化させてはならない」と訴えた。【馬渕晶子】

 被災者の一時避難や移住を支援している「福島の子どもたち香川へおいでプロジェクト」(渡辺さと子代表)が主催した。

 地域の区長も務める長谷川さんは、事故直後から住民に屋内避難などを呼び掛けたという。しかし、原子力保安院などは政府が計画的避難区域の村全域指定を発表する直前まで安全説法を繰り返し、子どもたちは外で遊んでいたなどと、国への不信感を吐露した。

 また、放射線汚染について「原発は国策なのに事故対応の準備は何もされていない」と、効果的な除染方法さえ確立されていない現状を批判。除染できない可能性も踏まえ「子どもや若者は村に帰るべきでない」と話した。


水俣病と原発事故の類似点考える

2012年06月17日 | 報道

新潟でシンポジウム

 新潟水俣病と東京電力福島第1原発事故の被害と補償を考えるシンポジウム「新潟ミナマタからフクシマへ、フクシマから新潟ミナマタへ」が17日、新潟市北区の県立環境と人間のふれあい館で開かれた。市民や関係者ら約100人が理解を深めた。

 新潟水俣病被害者の会と新潟水俣病共闘会議が主催。水俣病の被害補償について調査、研究する大阪市立大の准教授が講演した。准教授は水俣病などの公害問題と原発事故について、被害状況や補償問題などにおいて類似性があると指摘した。

大飯原発再稼働/「福島」を忘れ去るつもりか

2012年06月17日 | 報道

これでは「喉元過ぎれば…」ではないか。
関西電力大飯原発(福井県)の再稼働が、きのう決まった。経過をたどると、まるで福島第1原発事故がなかったかのような錯覚にとらわれる。
原発事故で故郷や仕事を失ったままの人たちや、放射性物質の危険にさらされて暮らす人たちの視点は、どこにもうかがえない。地元のおおい町から福井県、そして国へと何事もなかったかのように淡々と手続きが進められた。
 再稼働をめぐる一連の動きのポイントになったのは8日の野田佳彦首相の記者会見だった。だが、その内容は「福島のような事故は起きない」と意味もなく繰り返したにすぎない。
 事故への何の反省も示さないまま、この期に及んでなお「安全神話」を振りまく。原発事故の影響は生易しいものではないし、一体いつまで続くのかも分からない。一国のリーダーとして、その重大性をどこまで理解しているのか甚だ疑問だった。
 今、国民の前で原子力を語るのであれば、事故の原因と教訓、国策として取り組んだ原子力開発への評価、さらに将来の選択肢などについて丹念に説明すべきだった。その上で、再稼働の是非に言及すればいい。
 そうした理念が欠落しているばかりか、具体的な根拠も示さないまま「原発を止めてしまっては社会は立ち行かない」「東日本大震災のような地震と津波が来ても事故は防止できる」などと言ったところで、まったく説得力がない。
 福島第1原発が立地している福島県双葉町の井戸川克隆町長は「何十年も安全と言われ続けてきた。今回も同じような判断でしかないのかと、非常に残念に思う」と話したが、まさしくその通りだ。
 多くの原発事故被災者も同様に感じたのではないだろうか。それほど、被災地の人たちの心情と懸け離れている。
 福井県の同意によって、原発事故後初めて再稼働に向けて動き始めることになるが、関西地方の夏場の電力需要に備えた緊急避難と位置付けるべきだ。
 夏さえ乗り切れば当面、電力は足りるはずであり、安全性の追求を犠牲にしてまで急ぐ理由は見当たらない。そして全国のほかの原発については、福島第1原発事故の検証と原子力政策全体の見直しを踏まえ、あらためて考えた方がいい。
 原発事故には依然、未解明の部分が多すぎる。どの原子炉がどんな損傷を受け、どれほどの量の放射性物質を放出したのかという、基本的なことすらよく分かっていない。
 大量の放射性物質が放出された原因と経過を究明し、住民を被ばくから守る避難対策に反映させなければ、あの事故から教訓をくみ取ったとは言えない。
 原発事故は決して福島県だけの問題ではない。事故で放射性物質がまき散らされたら、どこまで広がるか予想もつかない。その教訓を置き去りにした原子力政策はあり得ない。