数ヶ月前、このコラムで私は、大地震が起こるような場所に原発を建てるなんて気ちがいじみていると書いた。これに対して何通か、読者からのコメントをいただいた。ひとりはこう私に訊ねてきた。「原発に替わる代替案は何か」、と。この人は、代替案なしの反原発論は説得的でない、と言うのだ。
まず私はこの読者がよい質問をしてくれたことにお礼を言っておきたい。ところで、実は私はこの質問に対する答えをもち合わせている。とはいえ、それがあまりにも単純な答えなので、ここに書くのもためらわれるく...らいなのだが。
原発の代替案とは何か、それは原発をもたないことである。椅子に座っている人を想像してみてほしい。それは快適で、豪華な椅子だ。ただ一つだけ困ったことに、その椅子の下にはダイナマイトの箱があって、点火された導火線につながっている。
誰かが言う。「そこにそうやって座っているのはよくないと思うんだけど・・・」
座っている人がそれにこう答える。「じゃあ、代替案は?」。
そう、椅子に座ることの代替案はもちろん、椅子に座らないこと。とはいえ、もちろん、私に質問した読者が訊きたかったのは、そういうことではないはずだ。その人が知りたかったのは、代替エネルギーのことなのだ。あの椅子に座っている人のたとえで言えば、「この椅子くらい快適な椅子を出してくれるまでは動かないよ」というわけだ。
告白すると、私はそんな“椅子”があるかどうか、知らないのである。石炭、石油、水力ダム、天然ガスなどのほかにも、メタンガス、太陽、地熱、風などのエネルギーを使う方法が知られている。これらの“椅子”が、今私たちが座っているものほど快適かどうか、私は知らない。しかし、大事なのは、実はそんなことではない。
原発一基がつくる電力と自動販売機が使う電力はほぼ同じだ、と聞いたことがある。詳しいことはわからないが、まあ、そんなところだろうとは思う。原発がなかったら、たぶん、自動ドアもあきらめなければならないだろう。ネオンサインもたくさん消さなければ。アルミ缶の代わりにリサイクルできるビンに戻す必要があるかも。今までは機械がやってくれたことも、また手でやらなければならなくなるかもしれない。それは新石器時代以降、人類がつい最近までずっとやってきたことなのだが。それはぼくたちにはとても耐えられないことだろうか? ぼくにはそうは思えない。
要するに、「核エネルギーに反対するには、まず代替案を示すべきだ」という意見は、「核エネルギーの“必要性”を前提にしている。でも、ちょっと待ってほしい。もし本当に“必要”なら、どうやって人間はそれなしに長く生きてこられたのだろう?
実は、もっとエネルギーが“必要”だというのは、もっと贅沢が“必要”だ、ということなのである。誤解してほしくないのだが、ぼくだって贅沢は大好きだ。ただ、原発事故で死ぬよりは、自販機なしに生きている方がいい、と思うだけだ。
以前もこのコラムに書いたように、本当の問いは、原発を廃止するか、存続するか、ではない。いずれ必ず、廃止するしかないのだから。問題は、最悪の事態が起こる前に止めるか、後に止めるか、だ。原子力の代替案とは、そういうことなのである。
(『ダグラス・ラミスの英語読本』(筑摩書房、2000年)所収、「Nuclear Alternatives」、訳者・辻信一)
政府、大飯原発に祈祷師200人を派遣へこれは嘘ニュースです
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関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)の再稼動をめぐり、政府は12日、全国から有力な祈祷師200余人を招集し、大飯原発に派遣する方針であることを明らかにした。政府では大飯原発の安全性は十分に確保されているとしながらも、そもそもの原因となる地震などの天災を制御することはできず、結局は「困った時の神頼み」を露見させた格好だ。
政府関係者が取材に対して明らかにした。野田佳彦首相は8日、記者会見を行い、大飯原発再稼動の必要性を訴えた。この中で首相は「今夏の電力不足を回避するためにも、(大飯原発の)再稼動は必要不可欠と判断した」と話すとともに、「万が一全電源が喪失した場合でも、福島のように原子炉の炉心が溶融する事態は起きない」と明言した。
だが一方で、大飯原発には安全対策として重要視されているベント設備や免震重要棟などの設備が整っておらず、国際的な安全基準に則ってまだまだ安全であるとは言えないという指摘もある。
そこで政府は12日、大飯原発が再稼動を始める7月に向け、全国から有力な祈祷師200余人を呼び集め、おおい町に配置する方針を打ち出した。「仮に安全対策が不十分であったとしても、原因となる大規模地震が起こらなければ万事問題ない」(政府関係者)との考えから、招集した祈祷師をおおい町とその周辺の活断層に沿うかたちで配置。24時間体制で護摩をたき、地鎮のための加持祈祷を行う。また、万が一放射性物質が飛散するような事態になっても、被害を最小限に抑えるため、おおい町全域に広域結界を張り巡らせる。
祈祷の有効性・実効性について、政府関係者は「神のみぞ知る」として、再稼動前からすでに事故責任の所在を神になすりつけており、原発が文字通り「安全神話」でしかなかったことを改めて裏付けたかたちだ。
野田は自民党と不倫すると小沢一郎に言ったようだ。野田が代表なのだから止められない。どーぞとしか言えない小沢一郎。
ここまでになればもう党内離婚が正式離婚になるのは避けられまい。相手が自分の政治生命の為に不倫も辞さずと言ってるんだから、どうにもならない。こんなバカと党内に一緒に留まっていたいた事がやはりおかしかった。
野田は詰んでいる。権力犯罪集団はもう完全に行き詰まった。この事態の打開はまともなやり方ではできる筈がない。
検察は田代不起訴もできない。原発再稼働でも、安全神話は無くなった事を前提とした。野田政府はまともにやれば完全に行き詰まる。即ち詰んでいるのだ。
... 元々が検察犯罪を前提にあり得ているのが野田政府。検察の詰みは野田の詰みである。検察の罪は野田の罪である。
消費税でも原発でも極悪センゴクが裏で仕切ってるようだ。センゴクは米に仕切られている。野田やセンゴクは米の絶対命令に従うだけだから迷いは無い。詰んでも強行突破する。
小沢一郎はこれで小沢新政研を小沢新政党に正式に衣替えできる。その為の大義を得た。政権交代のDNAを受け継ぐのは小沢新政党という事になる。
政治は大義である。大義を重んじる者が国民に支持される。旧体制を破壊するには巨大な力が要る。その為に大義を国民に訴えられなければならない。
政権交代を支持した国民との約束を守る事が民主党の中心に据えるべき大義である。しかし、その民主党が大義を捨て去ったのであるから、小沢新政研としてはもうそこに留まる訳には行かなくなった。
小沢一郎はどこまでも大義を重んじる。初心を忘れない。国民との約束に縛られる。その姿勢を貫いた為に、野田は自民と不倫せざるをえなくなった。不倫は重い代償を伴う。家庭崩壊、社会生活崩壊の結果が待ち受ける。自分で行くんだからしょうがない。小沢一郎の大義人生が齎した不倫劇である。
凄い事になりそうだ。国民革命劇場が始まりそうだ。
作成者 ryuubufan : 2012年6月3日(日) 16:33
前回フェイスブックからの記事を掲載させていただきましたが、
読者の方から震災商法の疑いがありますと、指摘して頂き
疑わしきは掲載せずの観点から削除させて頂きました。
真偽の程は定かではありませんが、
震災以来色んな悲しいドラマが数多くあると思います。
私も岩手にて本当の話しを利かせて頂きましたが、
1日では聞き取れないぐらいのドラマがあり涙
なくしてきけませんでした。
そちらでは70人程の方がお亡くなりになり
高台に一軒だけの、御家でしたが
周りは津波で泥だらけ、その中にスプーンが落ちていて
それを見ると、そのスプーンを何方が使っていらしたかと思うと
何とも言えないきもちが込み上げてきました。
震災から1年最初の頃は義援金も沢山集まったとの事ですが
今は段々忘れられて行きNPOの運営も中々難しくなってきている
ようです。このブログをご覧の皆様
東日本の復興はまだまだです。
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