放射能除去と骨炭 一筋の光

私たちの想いを全国に

デモや集会などの社会運動は本当に脱原発を後押しするか?

2012年07月19日 | 報道

 開沼 博「“燃料”がなくなったら、今の反原発運動はしぼんでいく」

週プレNEWS 7月19日(木)6時20分配信

 

「今のままでは脱原発は果たせない」と語る、福島県いわき市出身の社会学者・開沼博氏

昨年3月の東日本大震災よりずっと前、2006年から「原発を通した戦後日本社会論」をテーマとして福島原発周辺地域を研究対象に活動してきた、同県いわき市出身の社会学者・開沼(かいぬま)博氏。著書『「フクシマ」論』では、原発を通して、日本の戦後成長がいかに「中央と地方」の一方的な関係性に依存してきたか、そして社会がいかにそれを「忘却」してきたかを考察している。

原発立地地域のリアルな姿を知るからこそ感じる、現在の脱原発運動に対する苛立ち。「今のままでは脱原発は果たせない」と強い口調で語る開沼氏に話を聞いた。

***

■社会システムの“代替案”をいかに提示するか

―昨年の早い段階から、「原発はなし崩し的に再稼働される」と“予言”していましたよね。なぜ、そう考えたのでしょう?

開沼 まず理解しておくべきなのは、現代の日本の社会システムは精密機械のように複雑だということ。もっとシンプルなシステムなら、比較的容易に原発の代替手段を見つけられたでしょう。

しかし、今の社会はシステムからひとつ部品を外せば、多くの人の生活と生命にその悪影響が出るようにできている。もちろん原発にしても然り、です。そのなかで現実的に何ができるか、時間をかけて議論していくしかない。にもかかわらず、それができていない。

―開沼さんは、原発立地地域での反対運動にも懐疑的ですね。

開沼 他地域から立地地域に来て抗議する人たちは、言ってしまえば「騒ぐだけ騒いで帰る人たち」です。震災前からそう。バスで乗りつけてきて、「ここは汚染されている!」「森、水、土地を返せ!」と叫んで練り歩く。

農作業中のおばあちゃんに「そこは危険だ、そんな作物食べちゃダメだ」とメガホンで恫喝(どうかつ)する。その上、「ここで生きる人のために!」とか言っちゃう。ひととおりやって満足したら、弁当食べて「お疲れさまでした」と帰る。地元の人は、「こいつら何しに来てるんだ」と、あぜんとする。

―1980年代にも、チェルノブイリの事故をきっかけに、日本でも大規模な反原発運動が起こりました。

開沼 あの運動は、時間の経過とともにしぼんでいきました。理由はいろいろあります。あれだけやっても政治が動かなかったこともあれば、現実離れした陰謀論者が現れて、普通の人が冷めたこともある。そして今も同じことが反復されています。「原発は悪」と決めつけてそれに見合う都合のいい証拠を集めるだけではなく、もっと見るべきものを見て、聞くべき話を聞くべきです。

―日本で起きた事故が発端という点は当時と違いますが、現象としては同じだと。

開沼 僕は今の運動の参加者にもかなりインタビューしていますが、80年代の運動の経験者も少なくない。彼らは、過去の“失敗”をわかった上で「それでもやる」と言う。「あのときにやりきれなかった」という後悔の念が強いのでしょう。そういった年配の方が「二度と後悔したくない」とデモをし、署名を集めようと決断する。それはそれで敬服します。

でも、そのような経験を持たぬ者は、まず「自分は原発について真剣に考え始めたばかりだ」ということを自覚して、歴史を学び、なぜ3・11以後も日本が原発を選び続けるのか学ぶべきです。この運動は、このままでは近い将来にしぼんでいく。すでに“反原発マインド”を喚起するようなネタ―「大飯の再稼働」「福島第一原発4号機が崩れる」といった“燃料”が常に投下され続けない限り、維持できなくなっている。


―それがなくなったら、しぼむしかない。

開沼 3・11を経ても、複雑な社会システムは何も変わっていない。事実、立地地域では原発容認派候補が勝ち続け、政府・財界も姿勢を変えていない。それでも「一度は全原発が止まった!」と針小棒大に成果を叫び、喝采する。「代替案など出さなくていい」とか「集まって歩くだけでいい」とか、アツくてロマンチックなお話ですが、しょうもない開き直りをしている場合ではないんです。

批判に対しては「確かにそうだな」と謙虚に地道に思考を積み重ねるしか、今の状況を打開する方法はない。「脱原発派のなかでおかしな人はごく一部で、そうじゃない人が大多数」というなら、まともな人間がおかしな人間を徹底的に批判すべき。にもかかわらず、「批判を許さぬ論理」の強化に本来冷静そうな人まで加担しているのは残念なことです。

そして、それ以上の問題は「震災」が完全に忘却されていること。東北の太平洋側の復興、がれき処理や仮設住宅の問題も、「なんでこんなに時間がかかるのか」と、被災地の方たちは口々に言います。原発の再稼働反対にはあんなに熱心なのに、誰もそこに手を差し伸べない。「再稼働反対」しても、被災地のためにはならない。

―確かにそうですね……。

開沼 先日、フェイスブック上で象徴的なやりとりを見ました。警戒区域内に一時帰宅した住民の方が自殺してしまった。その町の職員の方の「今後はこのようなことがないよう頑張ります」という内容の書き込みに対して、ある人が「これでも政府は大飯原発を再稼働するのか」とコメントした。職員の方は「怒ったり、大きな声を出すエネルギーを被災地に向けてください」と訴えました。救える命だってあったはずなのに、議論の的が外れ続けている。

―先ほど「歴史を学ぶべき」という言葉がありましたが、では、デモや怒りの声を上げる以外に何ができるでしょうか。

開沼 原発ありきで成り立っている社会システムの“代替案”をいかに提示するか。どうやって政治家や行政関係者、そして原発立地地域の住民に話を聞いてもらうか。少なくとも今の形では、まったく聞いてもらえない状況が続いているわけですから。

かなり高度な知識を踏まえて政策を考えている団体は少なからずあります。自分で勉強して、そういうところに参加したり、金銭面でサポートしたり。もちろん新しい団体をつくったっていい。「代替案がなくても、集まって大声出せば日本は変わる」と信じたいなら、ずっとそうしていればいいと思いますが。

―確かに、現状では建設的な議論は一向に進んでいません。

開沼 もちろん解決の糸口はあります。例えば、ある程度以上の世代の“専門家”は、原発推進にしろ反対にしろ、ポジションがガチガチに固まってしまっている。これは宗教対立みたいなもので、議論するほど膠着(こうちゃく)するばかりです。そりゃ、「今すぐ脱原発できる、するぞ」とステキなことを言えば、今は脚光を浴びるかもしれない。でも、それができないと思っている人がいるから事態は動かない。立場の違う人とも真摯に向き合わないと何も生み出せません。

若い世代が、その非生産的な泥沼に自ら向かう必要はない。一定のポジションに入れば安心はできます。「みんな脱原発だよね」と共同性を確認し合えば気分はいい。でも、本当に変えたいと思うなら、孤独を恐れず批判を受けながら、現実的かつ長期的に有効な解を追究しなければ。

―世代による“線引き”もひとつの解決策だと。

開沼 僕は原発推進派と呼ばれる人、反対派と呼ばれる人、双方の若手の専門家を知っていますが、ある程度のところまでは冷静かつ生産的な議論が積み重なるんですよ。ここまでは共有できるけど、ここからは意見が分かれるよね、と。例えば「アンダー40歳限定」で集まれば、そこから先をどうするかという建設的な話ができる。僕はそれを身近で見ているから、実はあまり悲観していないんです。

―アンダー40の若手原発討論。それ、週プレでやりたいです。

開沼 面白いと思います。売れるかどうかはわかりませんが(笑)。そういうオープンな議論の試みから現実的な変化が始まります。

(取材・文/コバタカヒト 撮影/高橋定敬)

●開沼 博(かいぬま・ひろし)
1984年生まれ、福島県出身。福島大学特任研究員。東京大学大学院学際情報学府博士課程在籍。専攻は社会学。著書に『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社)、『地方の論理 フクシマから考える日本の未来』(青土社・佐藤栄佐久氏との共著)などがある


衝撃!福島第一原発4号機が再び傾きだした大飯原発再稼働使用済み核燃料が燃え始める

2012年07月10日 | 報道

もう一度大きな地震が福島第一原発を襲ったら、日本は破滅する。優先すべきは4号機の復旧のはずなのに、原発再稼働に血道を上げる政府と原子力ムラの面々。暴走はもう止められないのか。

毎時10シーベルトという悪夢

それは福島原発の復旧作業に携わる人たちにとって絶望的なニュースだった。6月27日、福島第一原発1号機の建屋内の圧力抑制室外側で、毎時10・3シーベルトという破滅的な放射線量が検出されたのだ。

「1号機建屋の地下1階には汚染水が溜まっていますが、東京電力が水面の直上の放射線量を計ったところ、この数値が出たのです。

毎時10シーベルトは人間が浴びると即死するレベルです」(全国紙経済部記者)

もはや1号機の中心は人間が立ち入れないレベルにまで汚染されている。

原発事故から1年3ヵ月が経過したいまになっても、なお続く絶望的な状況。1号機だけではない。4号機においても、外壁にこれまで発見されなかった大きな傾きが生じていたことが、東京電力の調査で分かったのだ。

「去る5月に東電が4号機の(外壁)を調査したところ、原子炉建屋の西側に、水素爆発の影響によって傾きが出来ていたことが確認されたのです。

そこで、改めて6月に詳細な調査を行った結果、先月の調査よりもさらに広い範囲で傾きが確認されたのです」(同)

東京電力は「この傾きは建築基準法で定められた制限値を下回っている」と説明した上で、「解析した結果、耐震性に問題はない」と報告した。

だが、建築基準法の制限値を下回っているからといって「安心である」と断言できるのか。そもそも4号機の地盤が不安定になっていることが専門家から指摘されている上、5月26日に公開された4号機建屋の無残な姿を見ると、とても大地震に耐えられるとは思えない。日本原子力研究所出身で技術評論家の桜井淳氏はこう漏らす。

「東京電力は4号機の耐震工事を行ったので、震度6強までの地震には耐えられるとしています。しかし、先の原発事故で4号機がどこまで壊れたのか、いまだに正確にはわかっていません。日々新しい損傷が発見されているような有り様で、『耐えられる』といえるわけがない」

さらに、4号機の修復作業に携わる関係者からはこんな不安の声が聞かれる。

「たとえ東電の言うように、建屋が地震で倒れなかったとしても、別の問題がある」

と内情を明かすのは、復旧作業に携わる東電協力会社の幹部社員だ。

「現場の人間が恐れているのは、建屋の崩壊ではなく、地震によって冷却システムのパイプが損傷してしまうことです。4号機の貯蔵プールには使用前・使用後のものを合わせて約1500体の核燃料が保存され、水を循環させることでこれらを冷却していますが、水を循環させるためのパイプが仮設のもので、どの程度の揺れに耐えられるのかまったく分からないのです」

万が一このパイプが壊れたら、冷却が止まって核燃料が剥き出しになってしまう。しかし、この幹部社員によると「これを修理するための人材の確保や指揮系統の確立はまったくなされていない」という。

首都圏3000万人に被害

脆弱すぎる4号機。仮に建屋が崩れて核燃料が剥き出しになったり、パイプが破損して核燃料が冷却できなくなった場合、どのような惨劇が起こると予想されるのか。前出の桜井氏が説明する。

「大きな地震や津波などによってこの貯蔵プールが壊れて、冷却水が抜けてしまえば、剥き出しになった核燃料の温度が上がり、崩壊熱によって放射性物質を格納している容器が燃え出してしまう。そうなると昨年の事故の十倍もの放射性物質が放出されることになります」

もしそのような事態が起これば、確実に日本は破滅する、と同氏は警告する。

「放射能に汚染される地域は、昨年の事故で汚染された地域の10倍になる。近藤駿介・原子力委員会委員長が菅直人前総理に示した報告では、首都圏3000万人に影響が及ぶとされていた。ですから一刻も早く使用済み核燃料を安全な場所に移さなければならないのですが、いまだその作業は進められていません」

4号機をめぐる状況は「最悪」の一言に尽きるが、そもそもなぜ危険な核燃料が、原発施設内に保管されているのか。それは「他に持っていく場所がない」からである。

政府は各原発で大量に発生する使用済み核燃料について、青森県六ヶ所村で再処理を施してウランとプルトニウムを取り出し、再利用するという方針を進めてきた。

しかし、現在六ヶ所村では再処理作業が停滞している。物理学を専門とする、弘前大学大学院の宮永崇史教授は、六ヶ所村の状況についてこう説明する。

「ウランとプルトニウムを抽出した後に生じる高レベル放射性廃液の処理が六ヶ所村で進められる予定でしたが、度重なる事故・トラブルによって、この処理を行う実験が完全にストップしている状態です。6月18日から再び処理実験が始まっていますが、基本的な技術面で問題が指摘されており、今後上手くいく見通しは少ないといえます」

六ヶ所村の再処理施設に投じられた総予算は約2兆円。ところがリサイクル計画は完全に破綻しており、ただの「使用済み核燃料の貯蔵地」となってしまっている。

そして六ヶ所村も、現在保管可能容量の97%が埋まっているため、これ以上使用済み核燃料を受け入れられなくなっている。そのため使用済み核燃料は各原発施設内に設けられた貯蔵プールに保管しておくほかないのである。

立命館大学名誉教授の安斎育郎教授は、このことが大惨事をもたらす可能性について、こう指摘する。

「各原発の貯蔵プールも、耐震設計はされていますが、建物も老朽化が進んでおり、大きな地震が発生すれば崩壊するかもしれない。福島第一原発4号機のプールだけが危ないのではなく、各原発の貯蔵プールでも同様のことが起こる危険性があるのです」

いま、多くの原発施設で貯蔵プールの容量が満杯に近づいている。内閣府の資料によれば、2011年9月現在で大飯原発の貯蔵割合は69%、伊方原発は63%、玄海原発は78%、柏崎刈羽原発は79%に達している。間もなく貯蔵量のピークを迎えてしまうほどの使用済み核燃料を各原発は抱えこんでいるのだ。

日本各地に「福島第一原発4号機予備軍」が存在するという恐ろしい状況。仮に大地震や津波によって貯蔵プールの冷却システムが破壊され、核燃料が剥き出しになるような事態が起これば、先の4号機のケースで説明したように、大量の放射性物質が放出されることになる。

たとえば現在六ヶ所村には国内最大となる2860tの使用済み核燃料が保管されているが、原子力資料情報室の調査によると、なんらかの事故で貯蔵プールに保管されている使用済み核燃料が再燃焼し、そのうち約1%にあたる30tが放出されただけでも、北海道から首都圏にまで、急性障害を引き起こすほどの放射性物質が撒き散らされるという。

国を殺める大飯再稼働

こうした状況を踏まえた上で、福島原発事故独立検証委員会の北澤宏一委員長は「すくなくともダメージが深刻な福島第一原発4号機の使用済み核燃料は、いますぐどこか別の場所に移さなければならない。それをやらないまま原発を再稼働することは、国を殺めることになりかねない」と指摘する。

ところが政府はこの問題に解決の道筋をつけることなく、大飯原発の再稼働を決定し、国を殺める道を進もうとしている。

7月から再稼働する大飯原発3、4号機。あいかわらずその安全性については大きな疑問が残されたままだ。その上、再稼働直前になって、次々と新たな「不安材料」が浮上している。

6月27日未明には、3号機の高圧送電線の開閉所で、電流が地面に漏れて1時間以上に亘って警報が鳴る事故が発生。関西電力は「原子炉の安全性に問題はない」と発表したが、このタイミングでの事故には、近隣住民ならずとも恐怖を覚える。

また、6月26日には大飯原発の「安全説」を揺るがす次のような事実が明らかになった。

「各方面から『大飯原発の真下に活断層がある可能性が高いから、調査してほしい』と要請を受けた保安院は、6月ごろから独自に調査を始めました。ところが、保安院が関西電力に『過去に政府に提出した、大飯原発3、4号機地下の破砕帯(脆弱な断層)に関する資料を提出してほしい』と依頼したのに、関電は『写真を探しているが見つからない』として、これを提出しなかったのです」(大飯原発の取材を続ける地元紙記者)

自分たちにとって不利になるかもしれないことについては何でもゴマカす。これぞ「原子力ムラ」の体質だ。活断層があるとないとでは、その安全性に大きな違いがあることは言うまでもないのに、電力会社は「もう結果は分かっているので、詳細な調査は必要ない」と結論を下したのである。

6月28日、与野党の超党派議員で構成される「原発ゼロの会」が、耐震性や地盤状況などを判断材料に作成した全国50の原発の危険度ランキングを発表した。堂々の1位は大飯1号機、2位が2号機。再稼働が決定した大飯原発3、4号機は26位であったが、稼働年数20年程の比較的新しい両原発が中間にランクインしたのは、やはりその地盤状況が不安視されている上に、情報の不透明さが不信感を与えているからだろう。

まだウソをつく東電

政府は次の再稼働計画について、原発に関する新しい規制委員会が発足し、新たな安全基準が作られるまでは大飯以外の原発を再稼働させることはない、としている。

耐震性を含め、新しい組織が原発再稼働についてどんな安全基準を掲げるのか、国民は注視しなければならないが、前出の安斎教授は、今後の「原発再稼働」の動きについて、「政府はひとつの原発を再稼働させたことで、他の原発もなし崩し的に稼働させる方向に向かっている」と悲観的な見方を示す。

事実、6月27日に行われた各電力会社の株主総会では、「女川原発の再稼働に向けて、地域の皆様の理解をいただけるように努める」(東北電力)、「泊原発は11月までに再稼働できるよう努力する」(北海道電力)、「伊方発電所の運転正常化を早期に実現するよう努める」(四国電力)、「島根原発再稼働に向けた取り組みを継続する」(中国電力)と、各電力会社が原発再稼働に向けての意欲を見せている。

そのなかでも伊方原発は早期にストレステストを実施し、政府が次に再稼働させる原発の有力候補といわれているが、ここでもずさんな「安全報告」が行われている。愛媛県議の逢坂節子氏が説明する。

「伊方原発は最大でマグニチュード9レベルの地震が起こる恐れがある南海トラフの間近にあります。現在、伊方原発の再稼働が可能かどうかの調査が行われていますが、原発の耐震性について十分な調査と議論がなされているとは言いがたい」

四国電力は昨年11月、「伊方原発は想定する地震の揺れの1・86倍までなら耐えられ、炉心溶解に至らない」とする報告書を保安院に提出している。だが、保安院が審査したところ、実際は1・5倍程度までしか耐えられないことが判明した。最新のテストでは想定の2倍以上の揺れに耐えられることが認められたというが、逢坂議員は「それでも不安が残る」と続ける。

「たとえ想定の2倍の揺れに耐えられるという調査結果がでたとしても、なぜ2倍なのか。福島の事故は想定の3倍の揺れによって起こったわけですから、『想定の2倍』という数字ですら、妥当とはとてもいえないと思います」

悲惨な原発事故が起きても反省をせず、事故が起こる前のルールと論理をゴリ押しして、それで理解を得られると考える原子力ムラの住人たちには、呆れるほかない。6月27日、東京・代々木第一体育館で東京電力の株主総会が行われたが、総会での東京電力の姿勢にもそのマインドが現れていた。総会に出席した、猪瀬直樹・東京都副知事が語る。

「東京都は東京電力の筆頭株主ですから、私は株主として東電側にいくつかの提案をしたが、その体質は事故前とまったく変わっていないと感じました。『信濃町の慶応病院のそばにある東電病院は相当高額で売却できる。病院のベッドの稼働率も低いのだから、売却して経営建て直しのための資産とすべきだ』と提案すると、東電側は突っ込まれたくないところだったのか、稼働率が低い理由について、『医師を福島に派遣しているため』というウソでごまかそうとした。こちらの調べで、病院から福島に派遣しているのは土日に一人だけ、と分かっている。

こうした対応を見ていると、情報隠しの体質は少しも改善されていないのです。回答を聞いていても、いまだに殿様体質が抜けておらず、原発事故やその後の対応についても、反省しているとはとても思えない」

福島の事故も収束せず、原発の安全性も十分に検証されぬうちに、反省なき人々の思惑によって、日本はなし崩し的に破滅への道を歩み始めている。

「週刊現代」2012年7月14日号より

 


首相の地元・船橋で再稼働反対デモ 約2千人参加と発表

2012年07月07日 | 報道

首相の地元・船橋で再稼働反対デモ 約2千人参加と発表

写真:野田首相の肖像を掲げ、原発稼働反対などを訴え首相の地元選挙区を歩く参加者たち=24日午後2時10分、千葉県船橋市、金川雄策撮影拡大野田首相の肖像を掲げ、原発稼働反対などを訴え首相の地元選挙区を歩く参加者たち=24日午後2時10分、千葉県船橋市、金川雄策撮影

 

関西電力大飯原発(福井県おおい町)の再稼働撤回を求める市民らが24日、野田佳彦首相の地元、千葉県船橋市でデモ行進した。

脱原発に取り組む市民団体が「首相のおひざ元まで声を届けよう」と結集を呼びかけた。主催者側によると、約2千人が参加。「再稼働はダメなノダ」などと書かれたプラカードや旗を掲げ、JR西船橋駅近くから船橋駅前まで歩いた。

ツイッターでデモ行進の呼びかけを知り、小学3年生の長女と参加した船橋市の能田里絵さん(39)は「地元の有権者として反対の意思を表したかった。エネルギー政策を争点に選挙をやって」と話していた。


フクイチ大量の雨で本当に大丈夫だったのか?

2012年06月22日 | 報道

東京電力は20日夜遅くにやっと、台風4号が福島第1原発に及ぼした影響に関する報告書をまとめた。台風の強風――原発のすぐ南にある小名浜で秒速24.3メートル――ではなく、滝のように降り続いた雨が懸念材料だという。雨量は原発の北西に位置する浪江町で降り始めから136ミリを記録した。

Reuters
福島第1原発(5月26日)

福島第1原発にとって、水の管理は大きな課題だ。原子炉を冷却する上で水は重要だが、同時に放射性物質によって汚染されるため、海や原発施設外への流出を防がねばならない。

大量の雨は地下水の水位を上昇させ、原子炉の地下へ滲出する水量の拡大につながる。東電は各建屋内の地下の水量をモニタリングしていると言う。

東電の広報担当、松本純一氏は「台風の際の最大のリスクは、建屋地下のたまり水が地下水流入で増えること。たまり水があふれ出ないよう、一定の水位を維持するためには、水処理施設を着実に動かすことが大事だ」と述べた。

東電の報告によると、今回の台風による雨は福島原発の5号機と6号機のタービン建屋地下のたまり水の水位を上昇させたという。

4号機では使用済み燃料プールの水位が上昇した、と東電は言う。Japan Real Time(JRT)の読者のみなさんは、この使用済み燃料プールが、次の地震に耐え得るかどうかを巡り、国際的に懸念材料になっていることをご存じだろう。しかし松本氏は、使用済み燃料プールからの排水は大きな問題ではなかったと指摘する。

松本氏によると、1号機を覆っているポリエステルの囲いは秒速25メートル以上の風速に耐えられるという。昨年の事故以降、台風による1号機への被害はないという。


大飯原発稼働 金正恩暴発で460兆円 40万人死亡

2012年06月22日 | 報道

 

金正恩暴発で国家壊滅

東京電力のホームページでは、Q&Aのページに「原子力発電所はテロが起きても大丈夫ですか?」との質疑がある。

東京電力が行っているとするテロ対策は、「監視カメラ、防護フェンスの設置」、金属探知機による持ち込み品のチェック」、「IDカードによるチェック」などである。

監視、防護機能を高め、いかに入場者のチェックを試みたところで、武装した警備要員を配備しない限り、「武装した集団が海辺から上陸する」などのケースには対処できない。

また、ノーチェックで原発内に入れる「作業員」に、暴力団関係者などが集めてきた身元の定かでない人間が混じっている、との指摘は福島第1原発の現場でも再三みられている。

福井県の海岸では、地村保志さん、富貴惠さんの拉致事件など、北朝鮮工作員の上陸が何度も確認されている。

昨年、北朝鮮は金正恩体制に移行したが、政権は安定していない。金正恩は過去、デノミの失敗など、政治的なエラーをおかすたびに、韓国護衛艦撃沈や延坪島砲撃など、過激な武力行使にはしってきた。

大飯原発を標的とするテロのリスクは、無視できるほど小さくないうえに、国家が壊滅するほどの被害をもたらす。東京電力のHPでは、テロ対策について、下記のようにまとめている。

しかしながら、何よりもまず、そのような事態に至らないよう、警備体制の強化はもちろん、あらゆる外交的努力、政治的努力が傾注されることが重要です。


政府への丸投げである。投げられた野田政権は、なにもしていない。大飯原発の「安全性」はこういった状況下で保証されたものにすぎない。


20キロ圏に数百~千の遺体か 「死亡後に被ばくの疑い」

2012年06月21日 | 報道

 東京電力福島第1原発から30キロにある「10キロ先立入制限中」の看板=30日、福島県南相馬市

 

 福島第1原発事故で、政府が避難指示を出している原発から約20キロの圏内に、東日本大震災で亡くなった人の遺体が数百~千体あると推定されることが31日、警察当局への取材で分かった。27日には、原発から約5キロの福島県大熊町で見つかった遺体から高い放射線量を測定しており、警察関係者は「死亡後に放射性物質を浴びて被ばくした遺体もある」と指摘。警察当局は警察官が二次被ばくせずに遺体を収容する方法などの検討を始めた。当初は20キロ圏外に遺体を移して検視することも念頭に置いていたが、見直しを迫られそうだ。

 警察当局によると、高線量の放射線を浴びた遺体を収容する際、作業する部隊の隊員が二次被ばくする可能性がある。収容先となる遺体安置所などでも検視する警察官や医師、訪問する遺族らに被ばくの恐れが生じる。

 遺体は最終的に遺族か各市町村に引き渡すことになるが、火葬すると放射性物質を含んだ煙が拡散する恐れがあり、土葬の場合も土中や周辺に広がる状況が懸念される。

 警察当局は現場での除染や検視も検討しているが、関係者は「時間が経過して遺体が傷んでいるケースは、洗うことでさらに損傷が激しくなり問題だ」と指摘している。

 身元確認のため、遺体から爪だけを採取してDNA鑑定する方法もあるが、爪も除染する必要があり、かなりの手間と時間がかかるという。

 27日に、大熊町で見つかった遺体は、除染が必要な基準の一つである10万cpm(cpmは放射線量の単位)まで計ることができる測量計の針が、振り切れる状態だったという。このため福島県警の部隊は遺体の収容を断念している。

2011/03/31 14:02 【共同通信】
 
 
 

現政権は報道管制をしているのではないか?

2012年06月21日 | 報道

『独立行政法人 日本原子力研究開発機構 福島技術部

企画調整部、次長・白鳥芳武』放射能除染研究者に対し、

不適切きわまりない発言がありました。

「放射能、今なくなってもらっちゃ困る!」

予算がなくなるからなのでしょう。

また、ある除染技術を使うなら、

「そういうのはゼネコンにでもいってくれ!」

2012.1.31.PM2:00 頃。誠に不愉快きわまりない。

また、日本政府、閣僚大臣により、福島民放新聞社社長、

福島中央TV社長、この二人を呼びつけ、

『政府の悪口書くな!」裏をかえせば、

分かってるな、ということでしょう。

これにより福島民放新聞支局長 浅見さんが退社されました。

今年春のこと。民主主義国家において

報道への弾圧ともとれるものであり、

断固として抗議する。詳しくは後日 NEWS 掲載いたします。

Cyclone Photographers.
山我 祐生


使用済み核燃料再処理試運転再開 見切り発車、前途険しく

2012年06月19日 | 報道

 

使用済み核燃料が保管されている貯蔵プール=青森県六ケ所村の核燃料再処理工場

 

 日本原燃が、使用済み核燃料再処理工場(青森県六ケ所村)の試運転を3年半ぶりに再開した。福島第1原発事故で原子力を取り巻く情勢が一変した中で、既定路線への強い執着が際立った。国の核燃料サイクル政策は見直しの公算が大きい。再処理で取り出したプルトニウムの使い道は不透明なままで、見切り発車の印象を拭えない。
 再処理の目的は、全国各地の原発で出た使用済み核燃料から、燃え残りのウランと新たに生成されるプルトニウムを取り出し、燃料として再利用することにある。
 だが再利用の本命とされた高速増殖炉は、原型炉もんじゅ(福井県敦賀市)で1995年に起きたナトリウム漏れ事故で開発が頓挫したまま。実用化の目標は2050年に遠のき、廃炉も検討課題に浮上している。
 原発の燃料としてプルトニウムとウランの混合燃料を使うプルサーマルも、福島の事故後は先行きが判然としない。
 核燃サイクル計画自体の実現性を疑問視する声も強まっている。国策として使用済み核燃料の「全量再処理」を掲げてきたが、原子力委員会の見直し論を踏まえ、変更の可能性が大きい。再処理と直接処分の「併存」案が有力視されている。
 再処理を続けてプルトニウムを抽出しても、使い道が限られれば、たまるだけだ。再処理工場が着工して19年。根深くなる一方の矛盾を抱えながらの試験再開となった。

 

 


民主、平氏突然の離党騒ぎ 地元の党関係者ら困惑 京都

2012年06月19日 | 報道

■パフォーマンス批判も

 政府の関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)の再稼働決定に反対して18日、民主党本部に離党届を提出した平智之衆院議員=京都1区。突然の離党騒ぎに、地元の民主党関係者らに困惑が広がる一方、「パフォーマンスだ」との批判の声も上がった。

 平氏の地元事務所(京都市中京区)によると、政府が16日に再稼働を決定した際、平氏は秘書に「これ以上、党にはとどまれない」と話していたという。離党届の提出が報じられた18日午後、事務所には後援会関係者や支持者から「なぜ離党するのか」との問い合わせの電話が相次ぎ、スタッフが対応に追われた。

 民主党府連の中小路健吾幹事長は「原発問題への思い入れが強いとは聞いていたが、何とも言いようがない」と困惑。「党本部からの連絡もなく、状況確認を急ぎたい」と述べるにとどまった。

 一方、民主の地方議員からは不満の声も上がり、ある京都市議は「単なるパフォーマンス。逆風の中で党を見捨てて逃げた」。府議の1人も「もともと独立独歩のタイプ。離党しても不思議ではない」と切り捨てた。


見えない敵(3)郷土喪失/「本当の飯舘」戻らず

2012年06月19日 | 報道

帰還困難区域への指定を前に、原発事故後も住み続けた自宅から引っ越し作業を進める志賀隆光さん=5月下旬、福島県飯舘村長泥

 
 

<下がらない線量>
 放射線量は、なかなか下がらない。
 福島県飯舘村の長泥地区は、村内で最も線量が高い。昨年3月17日に文部科学省の測定で毎時95.1マイクロシーベルトを記録。1カ月ほどで毎時15マイクロシーベルト前後まで下がったが、その後は横ばいが続く=グラフ=。
 豊かな土地を汚染したセシウム137の半減期は30年。74世帯276人が暮らしていた地区は7月17日、5年間は居住できない帰還困難区域(年間被ばく線量50ミリシーベルト超)に指定される。
 「国は今になって、出て行けと言っている。いまさらだよ」
 村が昨年4月に計画的避難区域に指定されてからも1年以上、地区で暮らし続けた食品加工業志賀隆光さん(64)が吐き捨てるように言う。
 福島第1原発事故の約1カ月前、福島市から45年ぶりに生まれ故郷の家に戻った。「両親の墓もある。ずっと、ここに住むつもりだったが、何年も帰れなくなる。村に戻る時は墓の中かも…」

<豊かな農村奪う>
 阿武隈高地の北部に位置する農畜産業の村は人口約6200。面積の4分の3を森林が占める。16の山々の間を流れる川や沢に沿って集落が点在する。
 菅野典雄村長は、豊かな自然とそれを生かす農村文化を最大の地域資源と位置付け、環境保全型農業の振興と地元資源の高度利用を軸に、独自の発想で村づくりを進めてきた。
 スローガンは「までいライフ」。「丁寧な」を意味する方言「までい」になぞらえた「飯舘版スローライフ」の実現を掲げ、学校給食のほぼ完全自給を達成するなど、成果を挙げていた。
 放射性物質は、村が大切にしてきた農地や山菜の宝庫だった山々、イワナの泳ぐ川を容赦なく汚し、住民の村への愛着も奪い去ろうとしている。
 関根松塚地区の山田猛史さん(63)は「息子と一緒に飯舘で牛を飼える日までは」と、自分を励ましながら、避難先の同県中島村で和牛の繁殖を続ける。
 三男(30)が都会での暮らしに見切りを付け、村に戻った直後に原発事故が起きた。三男は妻と子ども2人を連れ、再び村を離れた。
 村内223戸の和牛農家は事故後、大半が牛を手放した。村外で営農を続けているのは山田さん方を含め12戸だけだ。
 地区は放射線量の水準から、居住制限区域(年間被ばく線量20ミリシーベルト超50ミリシーベルト以下)に指定される。

<あえて指定要求>
 「2年で村に帰る」。菅野村長は計画的避難区域への指定による全村避難に当たり、そう宣言したが、多くの地区で帰村のめどは立たない。
 村南部の蕨平地区では、住民らの計測で今も毎時10マイクロシーベルトを超える地点がある。全住民170人は5月、村に帰還困難区域への指定を求め、署名簿を提出した。
 要求は実現せず、居住制限区域となるが、志賀三男区長(64)はあえて帰還困難区域への指定を求めた住民の思いをこう代弁する。
 「村の豊かさの源だった土地が汚れてしまった。山を除染しなければ線量は下がらないが、除染すれば山の恵みも失われてしまう。山菜も採れず、農業もできない村は、もはや本当の飯舘村ではない」

<メモ>国は7月17日に福島県飯舘村の避難区域の再編を実施する。村内20地区のうち長泥を帰還困難区域(年間被ばく線量50ミリシーベルト超)に、村中心部や関根松塚、蕨平などの15地区を居住制限区域(20ミリシーベルト超50ミリシーベルト以下)に、村北部の大倉など4地区を避難指示解除準備区域(20ミリシーベルト以下)にそれぞれ指定する。

 

 


見えない敵(2)帰還困難/「棄宅通告」悩む住民

2012年06月19日 | 報道

毎時5マイクロシーベルトを超える自宅内を見回る佐山さん。放射線量が高く、片付けもできない=10日、南相馬市小高区

佐山さん方周辺の空間線量分布

<鳴りやまぬ警報>
 避難のため自宅を空けて約1年3カ月。東日本大震災前に約300万円をかけてリフォームした家は居間中が水浸しで、カーペットにキノコが生えている。サルかイノシシか。動物に荒らされた跡もある。
 南相馬市小高区金谷の山あい。佐山梅雄さん(54)が10日、仮設住宅(同市鹿島区)から様子を見に来た。避難区域の再編で4月16日、初めての「帰還困難区域」に指定された。住宅は佐山さん方1軒だけだった。
 家はバリケードで閉ざされた地点から約4キロ。山道を進む間も、線量計の警報音が鳴りやむことはない。常に毎時1.2マイクロシーベルトを超えている。敷地内には計測上限(毎時10マイクロシーベルト)を振り切る所もある。
 福島第1原発(福島県大熊町、双葉町)から約18キロ離れた福島県浪江町との境界付近。事故で放出された大量の放射性物質は風に乗り、この阿武隈高地の東斜面に雨や雪とともに降下した。
 「年間の空間線量が50ミリシーベルトを超え、5年後も帰還できない恐れがある地域」。政府は帰還困難区域をそう定義する。

<苦渋の受け入れ>
 環境省は「帰還困難区域でも除染は行う」としているが、その位置付けは「居住を諦めざるを得ないと判断した区域」(内閣府)。指定は住民にとって、事実上の「棄宅通告」となる。
 佐山さんは3月下旬、指定について市から事前に連絡を受けた。
 「うちが『嫌だ』と言えば、市全体の区域見直しが進まない。警戒区域の解除が遅れ、戻れる人たちにまで迷惑が掛かる」と考え、受け入れることにした。
 佐山さん方が帰還困難区域に指定されたのと同じ日、市内は警戒区域が解除され、大半の地域で立ち入りが自由になった。分かっていたとはいえ、自分の家よりはるかに原発に近い地域で、立ち入りが自由になっている現実に戸惑いを感じる。
 30代で東京から戻り、協力企業の社員として原発や関連施設で働いてきた。昨年3月11日の東日本大震災の発生時も、定期検査中の福島第2原発(福島県富岡町、楢葉町)で作業していた。
 深夜に帰宅してから6日間は、母ヒサさん(77)とともに、コメやみそなどの食料がある自宅にとどまった。

<不安募る10年後>
 第1原発建屋の水素爆発の後も「炉心溶融がなければ、さほど汚染は問題にならない。避難範囲も3~5キロ圏内だろう」
と考えていたという。
 山が好きで、家の周りの草を刈り、花を育てるのが楽しみだった。そんな古里での生活を可能にしてくれた仕事場が原発だったが、その原発が放射性物質をまき散らし、親たちが残した家や山を奪った。
 「今でも帰りたい。でも、5年では無理だろう。10年たてば65歳。その時、この家に住めるのか」と唇をかむ佐山さん。どこに怒りをぶつけていいか分からない。
 政府は9日、避難区域に指定された福島県内11市町村で、10年後も年間被ばく線量が20ミリシーベルトを超える地域が残り、18%の住民の帰還が困難との試算結果を明らかにした。
 佐山さんと同じ苦悩は避難区域の再編を控えた被災地で今後、多くの人々が抱えることになる。

<メモ>福島第1原発事故による警戒区域と計画的避難区域について、国は(1)早期の帰還を目指す「避難指示解除準備区域」(年間被ばく線量20ミリシーベルト以下)(2)帰還まで数年を要する「居住制限区域」(同20ミリシーベルト超~50ミリシーベルト以下)(3)5年以上居住できない「帰還困難区域」(同50ミリシーベルト超)-の3区分に再編する。田村市と福島県川内村が4月1日、南相馬市が同16日に再編、移行した。残る8町村でも準備が進んでいる。

 


見えない敵(1)拡散/低気圧、放射性物質運ぶ/雨や雪で地上に降下

2012年06月19日 | 報道
 
 
 

<160キロ北の一関も>
 「住民が町に戻り、農業ができるようになるまで何年かかるのか」。福島第1原発から西へ約6キロの福島県大熊町下野上。今月6日、除染した農地の放射線量を測定した町産業課の担当職員が、やりきれない思いを口にした。
 2日前に表面から5センチほど土を削り取った場所の1時間当たりの数値は水田で3.95マイクロシーベルト、畑で4.46マイクロシーベルト。周辺の空間線量は約8マイクロシーベルトもある。
 除染が必要なのは福島県だけではない。大熊町から北へ約160キロの一関市藤沢町。市立新沼保育園は4月に市が実施した測定で、園庭の放射線量が最大毎時0.38マイクロシーベルトとなり、園児に外遊びを控えさせていた。
 そのままでは1年間の線量限度(1ミリシーベルト)を超えてしまう。
 先月末ようやく除染に取りかかり、線量は3分の1程度に。市はこれから小中学校など30以上の施設で除染を行う。
 市教委の担当者によると、保護者の意識も変わりつつある。「以前は空間線量と外部被ばくに敏感だったが、今は土ぼこりなどによる内部被ばくを心配している」

<「運悪く重なる」>
 ホットスポットは原発のはるか遠くにも形成された。放射性物質はなぜ、これほど広範に拡散したのか。
 国立環境研究所(茨城県つくば市)の大原利真・地域環境研究センター長(大気環境科学)は「大量放出と風向きの変化、さらに雨が運悪く重なった」と説明する。
 炉心溶融(メルトダウン)を起こした福島第1原発からは放射性物質が何度も大量放出された。
 福島県内が深刻な汚染に見舞われたのは昨年3月15日だ。この日午前、2号機の格納容器内にある圧力抑制室が損傷、大量の放射性物質が原発の外へ漏れ出た。
 大原センター長のシミュレーションでは、放射性物質は雲状になり、風に乗って南下。茨城県、栃木県の上空に移動した後、一部はUターンするように北上し、福島県の中通り地方に入った。低気圧の接近と通過で、風向きが変わったためだ。

<山林などに沈着>
 同じ低気圧によって、原発付近の風向きも北から南東に変わった。放射性物質はさらに福島県飯舘村や福島市へ直接向かった。15日夕から16日午前にかけての雨や雪で降下し、大量のヨウ素やセシウムが山林や土壌、建物などに沈着した。宮城県南の山間部にもこのとき、ホットスポットが形成された。
 宮城県北部や岩手県南部が汚染されたのは「5日後の20日から21日にかけて」(大原センター長)だったという。
 東京電力によると、この2日間にも2号機が排出源とみられる大量放出があり、これに低気圧の接近と通過が重なった。
 放射性物質が風で北北西に運ばれたとき、栗原市や一関市では雨が降った。山林や牛の飼料用稲わらなどが汚染された。
 「西高東低の(冬型の)気圧配置が続いていたら、陸上の汚染はずっと少なかったはず」。大原センター長が指摘する。
 シミュレーションによると、原発から放出されたセシウム137の29%は、東北を中心とした東日本の陸地に降り注いだ。
   ◇
 福島第1原発事故は、東北の広い範囲に深刻な環境汚染をもたらした。汚染の主要因となっているセシウム137が半減するのは約30年後。東北は今後、放射性物質という見えない敵との長い闘いを強いられる。生活の基盤だった家や農地、海を奪われ苦しむ東北各地の実態を追う。


水俣病と原発事故の類似点考える

2012年06月17日 | 報道

新潟でシンポジウム

 新潟水俣病と東京電力福島第1原発事故の被害と補償を考えるシンポジウム「新潟ミナマタからフクシマへ、フクシマから新潟ミナマタへ」が17日、新潟市北区の県立環境と人間のふれあい館で開かれた。市民や関係者ら約100人が理解を深めた。

 新潟水俣病被害者の会と新潟水俣病共闘会議が主催。水俣病の被害補償について調査、研究する大阪市立大の准教授が講演した。准教授は水俣病などの公害問題と原発事故について、被害状況や補償問題などにおいて類似性があると指摘した。

大飯原発再稼働/「福島」を忘れ去るつもりか

2012年06月17日 | 報道

これでは「喉元過ぎれば…」ではないか。
関西電力大飯原発(福井県)の再稼働が、きのう決まった。経過をたどると、まるで福島第1原発事故がなかったかのような錯覚にとらわれる。
原発事故で故郷や仕事を失ったままの人たちや、放射性物質の危険にさらされて暮らす人たちの視点は、どこにもうかがえない。地元のおおい町から福井県、そして国へと何事もなかったかのように淡々と手続きが進められた。
 再稼働をめぐる一連の動きのポイントになったのは8日の野田佳彦首相の記者会見だった。だが、その内容は「福島のような事故は起きない」と意味もなく繰り返したにすぎない。
 事故への何の反省も示さないまま、この期に及んでなお「安全神話」を振りまく。原発事故の影響は生易しいものではないし、一体いつまで続くのかも分からない。一国のリーダーとして、その重大性をどこまで理解しているのか甚だ疑問だった。
 今、国民の前で原子力を語るのであれば、事故の原因と教訓、国策として取り組んだ原子力開発への評価、さらに将来の選択肢などについて丹念に説明すべきだった。その上で、再稼働の是非に言及すればいい。
 そうした理念が欠落しているばかりか、具体的な根拠も示さないまま「原発を止めてしまっては社会は立ち行かない」「東日本大震災のような地震と津波が来ても事故は防止できる」などと言ったところで、まったく説得力がない。
 福島第1原発が立地している福島県双葉町の井戸川克隆町長は「何十年も安全と言われ続けてきた。今回も同じような判断でしかないのかと、非常に残念に思う」と話したが、まさしくその通りだ。
 多くの原発事故被災者も同様に感じたのではないだろうか。それほど、被災地の人たちの心情と懸け離れている。
 福井県の同意によって、原発事故後初めて再稼働に向けて動き始めることになるが、関西地方の夏場の電力需要に備えた緊急避難と位置付けるべきだ。
 夏さえ乗り切れば当面、電力は足りるはずであり、安全性の追求を犠牲にしてまで急ぐ理由は見当たらない。そして全国のほかの原発については、福島第1原発事故の検証と原子力政策全体の見直しを踏まえ、あらためて考えた方がいい。
 原発事故には依然、未解明の部分が多すぎる。どの原子炉がどんな損傷を受け、どれほどの量の放射性物質を放出したのかという、基本的なことすらよく分かっていない。
 大量の放射性物質が放出された原因と経過を究明し、住民を被ばくから守る避難対策に反映させなければ、あの事故から教訓をくみ取ったとは言えない。
 原発事故は決して福島県だけの問題ではない。事故で放射性物質がまき散らされたら、どこまで広がるか予想もつかない。その教訓を置き去りにした原子力政策はあり得ない。

 


原発再稼働 これが法治国家なのか

2012年06月15日 | 報道

 関西電力大飯原発の再稼働が秒読みに入った。このままだと安全性をめぐる抜本対策は先送りしたままの暫定的な運転となる。

 野田佳彦首相は「国民の生活を守るため」と強調するが、福島第1原発事故をどこまで深く受け止めているのだろうか。

 野田政権に欠けているのは、ものごとの手順だ。事故の総括を行い、それを踏まえて論議を深め、新たな安全基準をつくる。こうした過程を欠いた再稼働では国民の信頼は得られない。

   <福島の被害を原点に>

 昨年の原発事故は、チェルノブイリと同じ最悪の「レベル7」だった。人類史に記録されるべき大事故は、日本社会を根底から揺さぶりつづけている。

 野田政権が新しいエネルギー政策を打ち立てるに当たっては、事故がもたらした衝撃にまず目を向けなければならない。

 第一は、福島県が受けた傷の深さである。

 原発に近い自治体など11市町村が避難指示区域とされ、基本的に人が住めない状況にある。区域内の人口は8万6千人に上る。

 天災であれば直ちに復興に取り組むことができるが、原発事故は除染を徹底しなければならない。元通りの暮らしに戻るまで何年かかるか分からない地域もある。広範囲に及ぶ故郷喪失の影響は計り知れず、産業だけでなく人々の心にも暗い影を落としている。

 被災自治体の首長らが大飯原発の再稼働に疑問を呈するのは当然だろう。野田政権は、県民が被った傷の深さに思いをはせ、将来のエネルギー政策を検討しなければならないはずだ。

   <根拠を欠いた手続き>

 首相は8日、大飯原発再稼働を決断した理由を国民に語りかけた。被災者の気持ちは「よく、よく理解できる」としながらも、「国政を預かる者として人々の暮らしを守るという責務を放棄するわけにはいかない」と述べている。

 人々の暮らしを台無しにしたのは、政府と東京電力である。それなのに「暮らしを守る責務」を強調するのはふに落ちない。

 福島の被害はひとまず置き、大飯原発を動かして関西圏の暮らしを守る―。首相は、こう言っているに等しい。これが「責務」なのか、首をかしげざるを得ない。

 事故の第二の衝撃は、政府の原子力行政と危機管理能力に対する信頼が根もとから崩れさったことである。

 首相が原発を再稼働させるというのであれば、信頼の土台を再構築しなければならない。

 なぜ事故が起きたのか、政府はなぜ住民を十分に守ることができなかったのか、丁寧に検証する。それを踏まえ、再発防止に向けた抜本対策を講じ、新たなエネルギー政策を国民参加のもとでつくっていくことである。

 現実はどうか。事故の検証は、民間、東電、国会、政府による事故調査委員会が、それぞれ取り組んできた。民間と東電の事故調は報告をまとめているが、残りはこれからである。

 一方で政府は、(1)大飯原発再稼働(2)原子力の安全規制をめぐる新たな仕組みづくり(3)中長期のエネルギー政策の策定―の作業に取り組んでいる。

 このうち最も急いだのが、(1)大飯原発再稼働である。ストレステストの1次評価や政府が急きょ示した安全基準をクリアし、関西圏の理解や立地自治体の合意も得た―と政府は説明するだろう。

 だが、地震のときに必要な免震重要棟やフィルター付きベント装置の設置などは済んでいない。政府は関西電力に工程表を提出させ、その審査でよしとしている。

 そもそも、(2)の新たな安全規制の仕組みづくりは、民主、自民、公明の3党が基本合意した段階である。再稼働までの政府の手続きが、事故を踏まえた新たな法的根拠を欠いていることは明らかだ。

   <国民的議論とは何か>

 首相は「政府の安全判断の基準は暫定的なものであり、新たな体制が発足した時点で安全規制を見直していく」と述べている。首相自身が、とりあえずの見切り発車であることを認めたといえる。

 大事故が起きたというのに、政府の判断で原発を動かすというのは信じ難い。これで法治国家といえるのだろうか。

 (3)の中長期のエネルギー政策の決め方にも注意が要る。

 首相は「国民的な議論を行いながら、8月をめどに国民が安心できるエネルギーの構成、ベストミックスというものを打ち出していきたい」と述べている。

 首相の言う「国民的議論」は欠かせないプロセスだが、どんな形で国民の声を聞くつもりなのだろうか。(2)の安全規制のように、3党協議で進めるようなことになれば、国民的議論どころか国会軽視と言わざるを得ない。

 「脱原発」とか「脱原発依存」といった言葉が先行している。中身を煮つめるには、国民参加の場が必要だ。首相には有権者に信を問う覚悟で臨んでもらいたい。