ぼこ爺のまだら雑記

じじいがブログをはじめました

年の暮れは、ジジイも忙しいが、バアさんはまっと大忙しだわ

2012-12-30 15:07:14 | 日記

 あぁ、2012年も余すところ1日だ。
なんべんも言うが、ほんとに月日が経つのは早い。一体何をやったのか、と思い浮かべても、際立ってはやっていない。
ところが、年末が迫ってくると、何かしら追いたてられてくる。まぁ、どこでもある年末行事だから致しがたいことだ。

 恒例の年賀状は24日にポストへ。来年の日記帳も買い、不精している髪も床屋で済ませて、25日からガラス戸の拭き掃除から始めて、電灯の整備、浴室の天井、壁とタイル床、そして浴槽の垢とり。また玄関まわりと庭の掃除を済まし、締めは仏壇を清掃して磨けば、ボロ家もサマになる。
これらは数年前では2日間で済んだが、今は4日がかりだ。

 ところがまだまだ我が家の恒例行事がある。
昨29日は、檀家寺へ歳暮として精米3kgに寸志を添えて年末の挨拶に。さらに平和公園墓地に赴き墓参を済ました。
このあとデパ地下ではスーパー以外の特別のオセチ食材を買う。いくぶんケチって、昼食は煮込みうどんで済ませた。

 そして今日は、早朝からバアさんの「餅つき」が始まる。
と・・・いっても(電動式餅つき機)だから労力はいらないが、前日から洗米、水浸しの準備、そして搗きあがった餅伸ばしや鏡餅つくりは、すべてバアさんが裁量と作業をこなすので、ジジイの出る幕がないしやらせてももらえん。

 しかしこの(餅つき機)も20年余の老機だ。年に3回ほど働くが、ギイギイと、ときどきモーターの異音があるので、いつお陀仏になるかもしれん。まぁ正月には、夫婦と孫ら2組の娘家族が当然のようにきて、オセチを食べ、特級酒やえびすビールを飲み、そしてお雑煮餅で仕上げるのが定番だ。そして余りものは2組が均等にお持ち帰りになる。

 それにしても、80歳のわがバアさんは、よく動く。
大掃除をやり、自転車のペダルを漕いでスーパーなどへ買い物、餅やオセチ料理をつくる。その上に寺に挨拶、墓参、デパ地下で買い物をこなすスタミナにはジジイは脱帽である。
まあ今は、2人とも持病こそあれ、他人さまの世話にはならないていどの健康を維持しているが、明日はわからんがね。

 それやこれやで今年も過ぎ去ろうとしている。
率直に言ってこの歳になると、もしこれらの定番行事をしなければ、ただぼんやりと行く年を見送るだけで、新たな年の関心も希薄になってしまうかもしれんがね。
昔、一茶か芭蕉かが
「正月は 冥土へ参る 一里塚 目出度くもあり 目出度くもなし」と詠んだ句は、しみじみと実感せざるを得なくなってきた。

 これらのことは他人さまには無縁のことでしょう。
どうか良いお年をお迎えくださるよう祈念申し上げます

わが家のモチは20年余の老朽餅つき機のおかげ 

搗きたてのモチだから、すぐには角切りはできない

 


あぁ!!ぼこ爺と婆が叱られたがね・・・孫に

2012-12-26 19:16:28 | 日記

 

4日はクリスマスイブであある。
そこで翌日午前10時ごろ、東京の大学に通う孫にケータイをした。
「夕べは楽しかったかね」「う~ん疲れて今も寝床たよ」と、だるそうな声だ。「随
分飲んだんだろう・・・ほどほどにせないかん」。すると孫の声がチョッと改まった。「学校は休みだが午後からゼミででかけるから・・・」と。そしてボコ爺としては心配が故に「そんなら、大いに楽しむことは結構だが、今日のゼミのことを心得て2日酔いになるとは良くないぞ」と嗜めた。

 そのとき孫が急に声高になって「オジイちゃん!!何を言うんだね、そんなもんじゃないよ。ボクは完全なる(クリボッチ)でイイチコ(焼酎の銘柄)で独り飲みだったんだ」「そのクリボッチとは何だ?」「ひどりボッチでクリスマスイブを過ごすことだがね」「何だか侘しくて情け無いな・・・いくら学生でも大人らしくイブをエンジョイせなあかんがね」と、いささか揶揄気味にボコ爺は鼻先で笑って言うと・・・・ 

孫の声が急に改まった。
「オジイちゃんそんなものじゃないよ。ボク3年生だよ。今が一番大事な(就活・・・就職活動)の時期で、昨日一日中は、企業の合同説明会や個別面談会に参加して、みんな真剣なんだ」「・・・・」「それだけにもうクタクタなんだ」「あッそうだったのか。チットモ知らなんだ、余計なことを言っていかなんだな」、そして孫の決定打が口をついた。

 「今は(学業)と(就活)の両輪のどちらも欠かせない時期だ。だからこれ以外のことは関心がない。正月だって落ち着いて過ごせないかもしれない」 「成程そうかそうか・・・。でも折角の正月だけは、
ハジメ(本人の従弟で大学1年生)たちといつものように、オバアちゃんのオセチで祝おう。それがオジイとオバアの最高の楽しみだからね・・・」、すると最後のキツイ決まり文句がボコ爺の脳天を叩く。

「うん、そうだね。一年に一度のオジイちゃんフアミリーのイベントだから楽しみだね。でも今度はゆっくりできないかも・・・。それでオジイちゃんに言うけど・・・もちろんオバアちゃんもだが。ボクは23歳の大人だから、余程のことでないかぎり、黙って見守って信頼をして欲しい。もしもキツイ言い方すれば、ボクに対する見方を新たに認識してほしい・・・というよりも、認識を改めてくださいよ」

あぁ・・・ここまで一気に言われた・・・というよりも(叱られた)のである。そもそも孫本人の母親(娘)は子育て中は病弱で、われわれがしょっちゅう孫を預かっていた。そして悪戯や羽目を外した時は、厳しく躾けてきた覚えがある。それが今では、ジジババが孫に叱られるときになってしまった。それも理路整然にだ。
嗚呼!! 諺に言う。老いては子に従えどころか、孫に従えという歳になってしまったんだ・・・と。


 

 

 


「若もんは 窓拭きやらずに スマホ拭く」 といったご時勢かね

2012-12-21 14:47:23 | 日記

 

        

    年末掃除には、窓ガラス拭きは欠かせない 

 

あるテレビのCMで、年末に向かって大掃除で「窓吹き」をしている親やジジババたち。
そしてその近くに座り込んで夢中になって「スマホ」のモニター画面を指で撫でている子供ら。
それを親たちは何も言わずに、冷たい風を受けながら黙々と窓ガラスを拭いている。
そんな2つの異なる場面を観ていたら、憤りに近いものがこみ上げそうになってきた。

拭き取り用具のCMでも、極端に違う場面展開だ

その途端に下手な川柳ができた。

 ・・・・若もんは 窓を拭かずに スマホ拭く・・・ 

 だが,単なるCMだからでは済まされんがね。
戦後の始めに生まれた、いわゆる団塊の世代と言われる人たちは、普段から掃除や片付けたりなどの用事を手伝うのは当たり前のこととして過してきたと思う。
もちろんボコ爺のような戦前生まれの者たちは、当然の義務として育ってきた。

 そんな気持ちを抱いていたとき、ご存知の夜回り先生のコラムが新聞に掲載されていた。
「機器の奴隷になるな」のテーマで青少年に警鐘した内容で、読むうちに一つ一つに共感を覚えた。
そして先生が指摘されているなかで、これは大人にも当てはまるのでは・・・とボコ爺の見解をチョッと記したい。

 「われわれ人類は道具を作り、利用することで文明をつくってきた」と先生の冒頭の言葉である。たしかに他の動物には出来ない。人類の特権だ。今はさらに優れた道具が発明され、活用して恩恵を受けている。だが人類は、殊更に無意識な感覚で道具を使って生活している。 至近な例では、パソコン、ケータイ、スマホやゲーム機など。使ってみれば確かに娯楽性や便利性があることは言うまでもない。

 だがほとんどは、ただ単に使うことだけの知識だけで、その機器の原理や仕組みは知らないし、覚えよともしない。確かに機能が思う様に働けば、その必要はないだろう。そして慣れてくると、「取扱説明書」には目を通さない。技術者ではないからそんな必要はない。だが使う以上は「なぜ?」ぐらいの疑問は持っていてもいいと思う。

 例えば、自動車は便利牲と危険牲が表裏一体だ。
ただ運転ができればいいというものでは
ない。
だから自動車のエンジンや駆動関係の仕組みも知っておいて運転する段階を経て免許される。
その為に自動車学校で教習をすることになる。
そして、異常が起きても最小限度の対処ができる。

 ボコ爺も16年間、高学年の小学生対象に「科学のモノづくり」を指導してきたが、ただモノをつくるだけではなく、原理、仕組、働き、そして危険を伴うものには、しっかりと教えてきたつもりだ。
かって昭和の初期、チャップリンの「モダンタイムズ」の映画は、機械文明が発達して、使いこなした人が、やがて機械にこき使われて、人間性が失われていくといった内容であった。

 つまりは、先生の言う「機器の奴隷」になってしまうということである。ボコ爺も年賀状の書面と宛名までパソコンでやってしまう安易さに溺れてしまっている。 率直に言って、頂いた年賀状の中で、すべて手書きで、筆文字のハネやトメの美しさに思わず目が止まってしまうのがある。そこで思う。も一度原点に戻って、皺だらけの手によって、作り、書くといった原点に戻れるだろうか?・・・と。

  モニター画面の

    ガラスばかり拭かないで

        

 

 

 

 

 

 

 

           

 

 

 

 

 

 


こちらのモーニングはいらん。あちらのは欲しいがね

2012-12-15 18:46:43 | 日記

 山中教授がノーベル賞授与式に参加されている映像を見た。
そして参加者の男性が、一様にモーニングスーツ(燕尾服)に白いワイシャツを着用した姿と荘厳な雰囲気が、こちらまで伝わってくる。そのなかで山中教授のモーニング姿が一段と映えて見えるようだ。

 そんな状景を見ていたとき、はたと気がついた。(そうだ私にもモーニングがあったなあ・・・すっかり忘れていたがね)と。それは25年前、次女の結婚式に、新調して作った。英国の老舗メーカーの高級生地をお気に入りの店で仕立てたもので、決して安くはなかった。そして3年後、後になってしまったが、長女の結婚式で2度目の役目を果たした。

 だがそんな貴重な(?)な燕尾服(ここではこんな呼び名がぴったりかもしれん)・・・つまりモーニングスーツが2度のお役目以外は日の目を見ること無しにタンスの奥に収納されたまま、すっかり忘れさられたのである。現代は特例を除けば、すべてが略式の服装で済んでしまう。つまり衆目が認めるようになったのではないか。私もこの後の慶弔の出席は、すべて略服で済ましている。

 それ以後、すなわち昭和60年(1985)から23年経った今、このモーニングは遠い遠い存在になってきたかもしれない。もし気が変わって、何処かの慶弔にモーニングで出            席したら、誰しもが(こんなジジイが何か間違えたか、脳の病気か?)と奇異な目で見るだろう。だが残りの人生を思えば、栄誉ある表彰なんか絶無だけに、もう3度目に着ることはあれせんということだ。
もし棺桶で着用したら、葬式屋が文句をつけるだろう。

 クリーニングして防虫剤で保管してバッチリだが、たぶんネットオークションに出しても成約不能だろう。
ならば近日、燃えるゴミの袋に入れて処分してもいいが。
そこで思うには、行付けの喫茶店で、週に3度ほどだが、モーニングコーヒーだけは欠かしてはいかんと再認識をした。
古きよき時代の「モーニングスーツ」を捨てて、明日もモーニングで目覚め、あぁ今日も生きているな・・・ということを自覚してみよう。
 

新品同様だけど、ゴミ袋行きかねえ

  

 

       このモーニングならいつまでも・・・・・

   

 

 

 


「ディ」が本当だが「ヂ」でいく心意気にぼこ爺感激だがね

2012-12-11 16:02:35 | 日記

                                               

 

    ****新聞の記事から****

 名古屋駅前の本格的な開発が始まった1965年当初に12階建てビルが竣工した。
そして名称は「大名古屋ビルヂング」と名付けられ、当時の駅前のシンボルでもあった。しかし周辺に高層ビルが建ち並らんでくると、老朽化して未耐震ビルであるから空室も増えてきた。
こうした状況のため、建て代えることになり、50年の幕が降りた。この一件については、9月26日のブログで投稿しております。

 

 そこで取り壊しについて、関連の新聞記事と写真がでたので、
ねてボコ爺の関心事でもあったから、チョッと書く気になった。

 いまはビルの名称は「〇〇ビルディング(Building)」という。
だがこのビルは「ビルヂング」であって(ディ)が(ヂ)である。
いま50年前を振り返ってみると、ビルだけではなく、その他でも有ったような気がしてきたわね。至近な例では「ジーゼルエンジン」では4~50年前は「ヂーゼル」という文字を見たような気がするし、自らもそのように書いた覚えがあるがね。
日本人の耳の入力がなせることだったかもしれんわ。

 だがよく考えると、初から日本語の語句では(ジ、じ)は(ヂ、ぢ)と標記した文言が多かったような気もする。 小学校時代の本には、自動車をカナで⁽ヂドウシャ」と書いてあった覚えがある。
いまでは当たり前だが「ジドウシャ」でパソコンのキーでもローマ字入力では「IDOUSYA}とキーを叩くが{IDOUSYA」ではない。

  ところが「痔」は普通は「じ」だが、ある有名専門店では、「」の専門といううたい文句だ。ちなみにパソコンで「ぢどうしゃ」を漢字変換してみると「ぢ同車」になってしまった。「ぢぶん」は「ぢ文」だ。つまり現代では「ぢ」は死に文字になったかもしれんわ。
冒頭に戻すと、「大名古屋ビルヂング」の「ヂ」は新ビルになっても、名称はそのまま引き継ぐと決まったのは、古い感覚のボコ爺にとっては、と手嬉しい限りだぎゃあ・・・と言いたい。

思うには、日本人は目よりも、耳に入った音声語をそのまま日本的に固定してしまうようだ。例えば、「エア・コンディショナー(air、conditioner)」が正しい名称だが、日本的には「エアコン」と略しつしまう。ボコ爺と同年代の方は「エヤコン」と(ア)が(ヤ)と書く。

 まあ書き出したらキリがないがね。さて、ほかの方はどんな感相だったか・・・と、知りたゃあがね。

      ビルングです       

 

 有名な痔薬専門店の看板(ぢ)