ぼこ爺のまだら雑記

じじいがブログをはじめました

シャッポを脱いだおかげで・・・

2011-10-29 18:43:43 | 日記
近頃めっきり体力の衰えを身に沁みて感じるようになった。
それだけに外出して公共の交通機関のなかで私鉄に乗ると、いち早く空席をさがす。
だが、あいにく満席ゆえに立つことを余儀なくされることがしばしばある。
そんなとき優先席の前に立ち、わざとよろける風をして席を空けてくれと無言の圧力をかけているような老人を見受けることがある。それならハッキリと譲ってもらいたいと懇願したらいいと思うが・・・。だが私は座席の端の手すりに掴まって弱々しさ見せまいとして意固地になって立つ。それでも本心は誰か気付いて席を譲ってくれないかと、浅ましい根性の自分に嫌悪感を覚えることもある。

 外出の際は、ほとんどの場合帽子を被る。なぜなら脳天のてっぺんはほぼ毛が抜け、頭の回りは白髪といった典型的な高齢者の頭である。それでも色気こそ毛頭にないが、一応は身だしなみ(?)として着帽をして出掛ける慣わしにしている。
或る日、車内の冷房の効きが悪いのか、ジッとしているだけで汗ばんでくる。
そこで頭から顔にかけて滴り落ちる汗を拭おうと帽子(シャッポ)を脱いでハンカチで拭いた。すると優先席の対面席にいた学生らしい青年が「オジイさん、どうぞここへお座りください」と、私の手を掴んで空いた席へ引き寄せてくれた。「有難う。でももうすぐですから」と一応は遠慮気味に格好をつけたが、青年の再度の勧めに応えて着席した。

 外出先で用が済み喫茶店で一息入れながら、席を譲られたときの状況を思い浮かべ(どうして帽子を脱いだら席を譲ってくれたのか)と自問しながら・・・ふと思いついた。
そうだ着帽して手すりに掴まりながら、なるべくよろけないふりで立っていると、初老の
丈夫そうな人と見られていたかもしれないとゆう風な答えが出てきた。
帰りの車内も満席である。そこで思い切って帽子を脱ぎ、例の如く座席端の手すりに立った。案の定「オジイさん・・・ここにどうぞ」と言って若い女性が席を譲ってくれた。
内心(してやったり)と嬉しさを噛み締めながら礼を言って着席したのである。

 そこで何故?と考えてみた。脱帽して頭の状態をみれば、我ながら爺むさい毛揃いだ。
そして歳相応な格好をするのに車内では帽子をバッグに収納して頭を剥き出しにする。
そうであれば粋がって見せるより高齢者は年寄りらしく見せればいいと結論が出た。
こうして今は車内では帽子はショルダバッグか紙袋の収納することを心がけている。
その結果はいうまでもなく、それなりの効果の恩恵を蒙っている。
これは自分を卑むものではなく、俗にいうシャッポを脱ぎましたと降参したのではない。
歳は歳なりの行為だと認識したい。だがこれは、私だけに通用する行為であって、他の人たちに通用する保障はないことを付け加えておきます。











爺さんよ・・いつまでワッパを握りゃあすかね

2011-10-27 13:03:45 | 日記
 東京のタクシーがダイビングしてJRの電車と衝突した事故が一昨日起きた。
私はその報道で、運転手が74歳と知り愕然とした。(大袈裟かもしれないが)
タクシー会社がそんな高齢者に運転させとるのか・・・と。
新聞やTVも会社名は出てない。もしかして個人タクシーかも・・と推定して画像をしっかりと確かめると、案の定ボデーサイドに○○個人タクシーと標記してあった。

 だが、大量輸送機関である電車、船舶そしてバスなどと同様に一般のタクシーもそして個人タクシーでも有償で乗客を運ぶ乗り物である以上、運転手の健康状態、資質そして年齢は同列ではないだろうか。それが個人タクシーでたとえベテランドライバーであっても、高齢者とみなされる74歳になっても認められてもエエのかいささか疑問に思う。
もしかして個人タクシーでも年齢制限の決まりがあるかもしれないが・・・。

 75歳以上になると高齢者運転免許に変わり、技量や資質を確認の為に事前に自動車学校でテストを受ける。自分は長年の免許歴でベテランの域にある過信が誰しもある。
しかし70歳代に入ると大半の老人は衰えを自覚するようになり、それは運転能力の低下をともなうものである。車庫入れが一発で入らないし、しかも斜め駐車だ。また狭隘な道路ですれ違いや回り角へ進入、そしてブレーキのかけ方などなどと緩慢な運転動作になってくる。しかし、このような状態は生半可に自覚する人が多いとおもう。

私ごとだが、70代に入ると運転動作の異常を何となく感じるようになり、家内やj同乗者からも指摘をされていた。しかし無事故(若干の物損はあったが)で半世紀の運転歴であり、自他ともベテランだからという自負があった。そして9年前に75歳で高齢者免許更新のため自動車学校の手続もした。だがそれより半年前、緑内障の眼病の手術をしているので、家内や肉親が更新に猛反対。今後何事もないといった裏付けもない。
そこで2,3日熟慮(?)の末に思い切って更新を断念する決断を自ら下した。
そして今日までの9年間、当初半年ほどは車の便利さが享受できない歯がゆさもあった。

 だが今では昔日のような遠出の必要もなく、周辺地へは様々な交通機関やタクシーを乗りこなす(?)ことによって十分に目的が叶うようになった。また遠隔地の観光地もバスなどで旅行をエンジョイするようになった。そんなことから同年輩の友人が運転する車に同乗して、その運転動作に冷や汗をかくことがしばしばあって、つくずく高齢者運転のあり方を感じさせられるようになった。ひるがえって冒頭の老運転手をいえば、それなりの事情があるにせよ個人タクシーとは言へ、高齢者の運転はできるだけ控えて欲しいと願うのである。
そこでマイカーなど一般の高齢運転者も、昨今の自分の運転技量を勘考して、そろそろ
ワッパ(ハンドル)を握る手を離すことを検討してみゃあたらどうですかなも。、


年寄りでも手に負えんがね

2011-10-24 14:51:29 | 日記
 100円均一ショップで買い物を済ませてレジへ支払いに行くと・・・・
私と同じ年配と思しき年寄りの男性2人がレジの女店員に噛み付いていていた。
「なんでこんなにスイッチが固いのだ・・・・どれもこれもだがね」と文句を言っている老人の手に《ガスライター》が握られている。すると別の老人も「ワシもここで買ったけど固くて火なんか点けれんがね」「ここはこんな壊れた中古品しかないのか」と二人に責めたてられた女店員は「いいえ新品です。うちはこれしかありませんけど・・・済みません、申し訳ありません」と身体を小刻みに振るわせて謝っている。私は(何で謝まらないかんのだね)と女店員に同情の念を抱いた。

 すると私のお節介の虫が頭をもたげてきた。
「お爺さん方がこの人をそんなにひどく責めやぁすな。・・・可哀想だぎゃあ」と口を挟んだ。「だってよう・・・じっさぁのハナシだがね・・・嘘言っとらせん」と相手は納得しない風だ。(あぁこの人たちは知らんのか)と察した私。そこで女店員に向かって、渋滞した(?)他の客の精算を済ませるに促してから、この2人の老人に私が知っている範囲を説明した。
簡易ガスライターによる事故のなかで、幼児や子供の悪戯での火災事故が年々増えてきた。

 そこで通産省が業界に自主安全基準を去年の夏までに作らせ、今年の9月から新基準のライター以外の販売は厳禁された。だが2段目の安全装置が、どこのメーカーのものも指先に相当な力をかけないとロックが外せない。ガスライターの大手有名メーカーT社の価格400円ものでも同様に固い。これは当の私が買っって実証済み。ロック外しが一難儀で指先が痛くなるし、5回で1回しか火が点かない。だから100円ものでは尚更だと思う。
結局は幼児、子供が扱えないことはよいが、私たち老人の殆どが握力や指が衰えている。
まあ、消費者センターや何処かの機関が取り入れて改良してもらわなあかんと思う。

 ひとくさり私のそれほどでもない薀蓄を聞いた2人は曰く「そうか・・・エエこと聞かせてもらって、済まんこったな」と、それまでの引きつり顔が段々と納得した顔に変わっていく。すると2人は異口同音に「やっぱしお灯明はマッチッで点けなあかんわ」と。
かく言う私も今月初めから朝夕の仏壇の灯明には昔に戻ってオーソドックスなマッチで点灯しているのである。そこで女店員に向かって「店長さんにもよう聞いて、商品知識を勉強しときゃあよ」と言ったが、どうもこのお節介は年寄りの冷や水だったかも知れない。

80代じじいの手習い

2011-10-22 13:28:53 | 日記
.始めまして・・・
 パソコン歴は10余年ですが、WebではEメ-ルで親しい人たちとの交信だけです。
とりたててホームページの開設も興味がないまま今日までパソコンで遊んでいました。
そこですでに運用している友人から簡易ブログの運用を勧められ、思い切ってブログの開設をすることになりました。本来、お喋りなら人さまに引けをとらないつもりでおりますが、
ブログの記事を、みなさんのように軽妙洒脱に書ける自信がありません。

 それでもせっかく開設に漕ぎ着けましたので、まだらな凹(ぼこ)頭をひねくり回して、気ままにそして思いついたままに投稿しようと思っています。
定年退職してから、今日まで大病もなく無難に4半世紀を光陰矢の如く過してまいりましたが、昨今は寄る年波には勝てず、耳鼻や目そして手足など十指に余る高齢者特有の持病がありますが、日々騙し騙しのお付き合いをして過しています。

 それでも過去の熾烈な社会に身を投じた時代に比ぶれば、束縛から解放された自由の身である今に感謝しています。住まいは、名古屋の近郊で田畑の緑に桜並木の川が町の中心部を流れるベットタウンの小都市で、幸いクルマの交通量や町の喧騒もほとんどない優しい環境のなかで日常を送っております。もともと名古屋で生まれ育ち、30代半ばで現在地に移っていますが、どちらかと言えば生粋のナゴヤ人だと認識していますから、これからの投稿文で、ややもすると名古屋市の市長になぞらって、随所にナゴヤ弁が出てくるかも知れんけどようカニ(勘弁)してちょうよ。今日はごあゃさつ(ご挨拶)までだで、あんばよう(よろしく)おねぎゃあ(お願い)しとくわね。まぁこんな具合です。

画像はわが町のシンボル
モニュメントで絆を表現