近頃めっきり体力の衰えを身に沁みて感じるようになった。
それだけに外出して公共の交通機関のなかで私鉄に乗ると、いち早く空席をさがす。
だが、あいにく満席ゆえに立つことを余儀なくされることがしばしばある。
そんなとき優先席の前に立ち、わざとよろける風をして席を空けてくれと無言の圧力をかけているような老人を見受けることがある。それならハッキリと譲ってもらいたいと懇願したらいいと思うが・・・。だが私は座席の端の手すりに掴まって弱々しさ見せまいとして意固地になって立つ。それでも本心は誰か気付いて席を譲ってくれないかと、浅ましい根性の自分に嫌悪感を覚えることもある。
外出の際は、ほとんどの場合帽子を被る。なぜなら脳天のてっぺんはほぼ毛が抜け、頭の回りは白髪といった典型的な高齢者の頭である。それでも色気こそ毛頭にないが、一応は身だしなみ(?)として着帽をして出掛ける慣わしにしている。
或る日、車内の冷房の効きが悪いのか、ジッとしているだけで汗ばんでくる。
そこで頭から顔にかけて滴り落ちる汗を拭おうと帽子(シャッポ)を脱いでハンカチで拭いた。すると優先席の対面席にいた学生らしい青年が「オジイさん、どうぞここへお座りください」と、私の手を掴んで空いた席へ引き寄せてくれた。「有難う。でももうすぐですから」と一応は遠慮気味に格好をつけたが、青年の再度の勧めに応えて着席した。
外出先で用が済み喫茶店で一息入れながら、席を譲られたときの状況を思い浮かべ(どうして帽子を脱いだら席を譲ってくれたのか)と自問しながら・・・ふと思いついた。
そうだ着帽して手すりに掴まりながら、なるべくよろけないふりで立っていると、初老の
丈夫そうな人と見られていたかもしれないとゆう風な答えが出てきた。
帰りの車内も満席である。そこで思い切って帽子を脱ぎ、例の如く座席端の手すりに立った。案の定「オジイさん・・・ここにどうぞ」と言って若い女性が席を譲ってくれた。
内心(してやったり)と嬉しさを噛み締めながら礼を言って着席したのである。
そこで何故?と考えてみた。脱帽して頭の状態をみれば、我ながら爺むさい毛揃いだ。
そして歳相応な格好をするのに車内では帽子をバッグに収納して頭を剥き出しにする。
そうであれば粋がって見せるより高齢者は年寄りらしく見せればいいと結論が出た。
こうして今は車内では帽子はショルダバッグか紙袋の収納することを心がけている。
その結果はいうまでもなく、それなりの効果の恩恵を蒙っている。
これは自分を卑むものではなく、俗にいうシャッポを脱ぎましたと降参したのではない。
歳は歳なりの行為だと認識したい。だがこれは、私だけに通用する行為であって、他の人たちに通用する保障はないことを付け加えておきます。
それだけに外出して公共の交通機関のなかで私鉄に乗ると、いち早く空席をさがす。
だが、あいにく満席ゆえに立つことを余儀なくされることがしばしばある。
そんなとき優先席の前に立ち、わざとよろける風をして席を空けてくれと無言の圧力をかけているような老人を見受けることがある。それならハッキリと譲ってもらいたいと懇願したらいいと思うが・・・。だが私は座席の端の手すりに掴まって弱々しさ見せまいとして意固地になって立つ。それでも本心は誰か気付いて席を譲ってくれないかと、浅ましい根性の自分に嫌悪感を覚えることもある。
外出の際は、ほとんどの場合帽子を被る。なぜなら脳天のてっぺんはほぼ毛が抜け、頭の回りは白髪といった典型的な高齢者の頭である。それでも色気こそ毛頭にないが、一応は身だしなみ(?)として着帽をして出掛ける慣わしにしている。
或る日、車内の冷房の効きが悪いのか、ジッとしているだけで汗ばんでくる。
そこで頭から顔にかけて滴り落ちる汗を拭おうと帽子(シャッポ)を脱いでハンカチで拭いた。すると優先席の対面席にいた学生らしい青年が「オジイさん、どうぞここへお座りください」と、私の手を掴んで空いた席へ引き寄せてくれた。「有難う。でももうすぐですから」と一応は遠慮気味に格好をつけたが、青年の再度の勧めに応えて着席した。
外出先で用が済み喫茶店で一息入れながら、席を譲られたときの状況を思い浮かべ(どうして帽子を脱いだら席を譲ってくれたのか)と自問しながら・・・ふと思いついた。
そうだ着帽して手すりに掴まりながら、なるべくよろけないふりで立っていると、初老の
丈夫そうな人と見られていたかもしれないとゆう風な答えが出てきた。
帰りの車内も満席である。そこで思い切って帽子を脱ぎ、例の如く座席端の手すりに立った。案の定「オジイさん・・・ここにどうぞ」と言って若い女性が席を譲ってくれた。
内心(してやったり)と嬉しさを噛み締めながら礼を言って着席したのである。
そこで何故?と考えてみた。脱帽して頭の状態をみれば、我ながら爺むさい毛揃いだ。
そして歳相応な格好をするのに車内では帽子をバッグに収納して頭を剥き出しにする。
そうであれば粋がって見せるより高齢者は年寄りらしく見せればいいと結論が出た。
こうして今は車内では帽子はショルダバッグか紙袋の収納することを心がけている。
その結果はいうまでもなく、それなりの効果の恩恵を蒙っている。
これは自分を卑むものではなく、俗にいうシャッポを脱ぎましたと降参したのではない。
歳は歳なりの行為だと認識したい。だがこれは、私だけに通用する行為であって、他の人たちに通用する保障はないことを付け加えておきます。