ぼこ爺のまだら雑記

じじいがブログをはじめました

人や世間を野放図にしているから、えりゃあことになるがね

2012-05-31 16:12:28 | 日記

 昨今あらゆる面で、事件や事故、はたまた天変地異が起きていることは言ううまでもない。だがそうしたなかで、人智では何ともし難い不可抗力な事やものがある。ただ言えることは、こういった現象が起きる背景のほとんどが、決めたことや決められたことを遵守しなかったことに起因しているように思う。

 だが、決めたことはなかなか守り実行できない・・・それが人の本性でもある。かく言う吾がぼこ爺も然りだ。とは言え、決めてないと勝手な行為に及んで野放図になる、これも本性であるといえるかもしれない。つまり制約を受けずに好き勝手にやれるとなれば、個人的にはこんな楽しいことはない。そこで、あの元総理の施策の目玉である「規制緩和」も大きい意味の好き勝手な自由な施策だといえる。だから国民から喝采を受けたのだ。

 民間事業者は、こぞってこの施策に拍手喝采したのである。そしてキット国が良くなると信じて・・・そして儲かるぞと。だが近年は、この規制緩和があだになって、弊害が次々と顕著になってきたように思う。至近では郵政問題がざわついている。親書の配達サービスや宅配便、そして貯金などが、中途半端なってきた。タクシーは雨後の筍のように倍になって台あたりの売上げの減少と客の奪い合いの激化が、反ってサービスの低下にもなっている。これらは一例だが、バスなんかは安かろう悪かろうの報いが、先日の事故にも関連する。

  これは一例だが、いろいろな面で規制が緩和されて、無用なサービス合戦、値下げ競争は一見喜ばれるが、いずれは消費者にはマイナスとなって戻ってくるかもしれない。いやすでにそんな兆候が見えてきたようだ。規制緩和で行き過ぎた安値競争でデフレスパイラル現象が始まっているからだ。端的にいうと、何の制約を受けずに野放図な商売をやる当事者も自ら首を絞める結果に陥るのは当然かもじれない。

 翻って、一番身近な吾がぼこ爺とバアさんの間には、表のルールと暗黙のルールがある。一つ一つの説明はできないが、夫婦間のルールはどなたでもあると思う。これがお互いが規制しあい、そして守りあっていくことが夫婦生活がエンジョイする秘訣ではなかろうか。そんな夫婦でも、あれこれの制約や束縛から抜けたい心情もあるかも・・・。

 とりわけて一般の亭主は尚更に物心両面で解き放して欲しいと願っており、あわよくば・・・と虎視眈々と女房の隙を狙うというのは、さしずめ男(亭主)の性(さが)だろう。そして女房は、そうはさせじと、女性特異な防衛本能を駆使して、亭主をけん制或いは抑える。同様に吾がぼこ爺でも、パソコンやプリンターそしてカメラといろいろ買い替えたい.そしてあれこれと買いたい。そしてあそこへ行ってみたい。あんなところで飲んでみたいといった欲望に際限がない。しかも80歳半ばになってもだ。

 だが、このように夫婦間で少々不満を抱きながらも、規制のルールを守っていることが、これまで長続きしているのかもしれん。でも・・・でもである。もしもバアさんと家電店へ行き、白物家電の買い替えのため、家電店へ行くことがあれば、こんなときは強引にパソコンの売り場へ連れ込むこもうと、秘かに企んでいるが、そんなチャンスはまず無いだろう。まあぼこ爺自身は、たしかに野放図にしておいたら、何か事を起こすおそれありと睨んでいる財務大臣を裏切れない。やっぱり我が家の「規制緩和」は永劫にあったほうが良いと思うのであります。

 

 


香典返しも時代のさま変わりかね~

2012-05-27 15:58:17 | 日記

 昨晩、家内ばあさんが知人のお通夜に参列した。ふだんそれほどの付き合いはないが、故人とごく親密な方の誘いだから、お付き合いしたというわけ。

 そんなわけで、香典の中味も義理を欠かないていどの程度の額であった。そこで帰宅して香典のお返しの内容を見て、吾がぼこ爺は少なからず驚いた。それは、カツオのだしのほか、カツオをベースにしたいろいろな食品のつめ合わせである。しかし考えてみると、そもそも「カツオ」や「コンブ」なるものは縁起物である。結納、結婚式の慶事物だと思うが・・・。

 まあ額面から推定すると、昨今は特に親密な関係のかたは万円台の香典だが、普通の一般者は、最低の5千円ぐいが相場だから、このたびのお返しは、ばあさんに言わせると半額程度のようだから、ちょうどいい具合に帳尻が合う。一昔前までは、最低額が3千円ていどだから、ハンカチ、タオル、砂糖といったものが定番だった。

 そこで5千以上であれば、忌明けに半額ていどのお返しという、これも定番である。だが、昨今の最低5千円なら、通夜や葬儀の場でお返しすれば手間が省ける。しかもハンカチ。タオルなんかはタンス引き出しの肥やしが多い。それなら、すぐに口にはいるものは実用的だから、縁起物であろうとなんであろうとあり難い。

 最近、お悔やみにいく機会がないので、今はどこでもこんな風なのかは判らないが、もう今どきは慶弔に絶対的な区分はないのかもしれない。またお悔やみの人たちも意に介さない風潮に馴れてきたかもしれん。よくよく考えれば、慶弔をやる〇△殿とか◇◎閣の両方の経営が主流だから・・・まあ玉石混合経営なら、いろいろ融通するのかもしれん、それでは今夜の食事は、一杯やった後に「カツオコンブのふりかけ」をメシに振りかけようかな。

 アルコールの詰め合わせの時代が来るかも・・・・

 


悪筆の日記が、いつまで書けるのだろうかな?

2012-05-17 19:11:11 | 日記

 当然だが、日記は病に臥さない限り毎日書いている。それがどうしたことか、一枚スキップして書いてしまい、三日も気付かずにいた。昨晩、愛用の日記帳の日付が2日先になっているもを発見した。長い間に、ついマンネリ化して日付も確かめずに、何となく惰性で書いていたからだろう。振り返ると書き始めてから30年近いが、こんなぼこ爺でもよくも続いたもんだ。

 だが最近は毎日書くのが億劫になってきたし、だんだんと字が崩れて自他とも乱筆を自覚するようになってきた。確かに日記以外はすぐにパソコン、ワープロに頼ってしまい、肉筆の機会が少なくなったので、加齢ゆえ悪筆になってきたのは已むをえないかもしれん。いや元々悪筆だったから加齢のせいにしてはいけないが。とはいっても、中味がどうあろうと、字が下手くそであっても日記だけはパソコンやスマホがどんなに発達しようとも終生肉筆で書きたい。まあ自筆で書けんようになったらときが、霊界行きだ。

 日記帳でいつも思うことがある。毎年師走に入ると、本屋へ日記帳を買い求めに出かける。日記帳には、1年は当然だが2年日記、3年日そして5年日記もある。そのとき何時も迷うのである。2年は昨年の同時期にあったことが記されて、記憶が甦るとともに、いろいろ比較が出来て参考になる。3年ものはそれ以上があると思う。そんな便利さを思うと、ふっと3年日記にしようと手にすることがある・・・・が。

 しかしその度に(いやいや来年にもお迎えがくるかもしれんから勿体無いわ)と戸惑ってしまう。値段も5割ほとたかいから、結果が無駄になるおそれが字十分にある。そしてその日記帳から手を離して、またまた当年だけの1年日記を手にしてレジへ・・・が数年続いている。反面いま振り返ると、あのとき思い切って2~3年日記を買っておけば、記録帳にもなっていたのにな~と、チョッと残念な気もするが。

 つらつら思うに、日記を書くのは記録を残すためでもない。また他人に見せたり供するものでもない。つまりその日の事象や感想など、自分が自分の感性で書いて、満足すればいいのではなかろうか。それならば、あえて2~3年日記で記録を求めるのでなく、そのときと、今との感性の違い(退歩はあっても進歩はないが)を見つけてこれからの参考になればそれでもいいが、ぼこ爺にとっては1年日記で十分だし、それもいつまで書けるかは神ならん吾が身では判らんですわ。

最近は乱文、乱筆に加えて下手くそ字の日記が

いつまで書けるかな?

 

 

    


かあチャンは今日も得をしたがね

2012-05-13 16:17:57 | 日記

  今日13日は母の日・・・とは知らなかった。昼少し前、宅急便が前後して2個が届き、家内バアさんが満面笑顔でいそいそと開梱している。バアさんが手にとったものは、少なくとも万円代の物だ。(内容は非公開)訳を聞くと二人の娘から母の日のプレゼントだと得意顔で言う。そこで(ああそうか母の日か)と納得・・・と言いたいとこだが、ぼこ爺の心中は穏やかならずだ。

 本来ならば娘同様に心から祝福すべきとこだが・・・。一昔前までは素直に「ご苦労代が貰えてヨカッタなあ~」と言えたのにと思うと、ジジイの浅ましさがでるとは、吾ながら情けない。以前は父の日には、娘達から時節に合うスポーツウエァーやベルト、靴下などをプレゼントしてまったが、ここ数年前からパッタリとなくなってしまった。だがバアさんには母の日のほかでも、としよりの日、そして名古屋のデパートで待ち合わせて娘の買い物に立ち会うなどのついでに、何かをプレゼントしてもらうという構図が年間を通すと結構あるようだ。

 しかしぼこ爺には、としよりの日に辛うじて千円未満のハンケチか靴下もしくは1級酒ていどのものを二人の娘が一品ずつ呉れるといった程度だ。だがよくよく考えれば、成長した孫がある母親である娘たちからみれば、いつまでも父ではなく、おジイであるから致しかたがないだろう。それに比べれば、バアさんは何時まで経っても母としての存在であるかもしれん。なにしろ腹を痛めたバアさんは、同様な経験をした自分たちからの見る眼はいつも母親であるからだ。

 まぁ愚痴るわけではないが、殆どの父親たるものは現役時代は、家族のために哀しみや怒りの渦中にあっても我慢してやってきたはずだ。だが家族のものはそのようなイキサツを深くは知らないだろう。話を戻してぼこ爺は思う。娘たちよ、母には最大限を尽くしなさい。そしてジジイのことは、健康であって欲しいと思ってもらえれば十分であるから。やがてそれほど遠くない日にお迎えが来た時だけ、ささやかでもいいから父としての供養をしてくれればいいと、秘かに願うものである。

  これが母の日のプレゼント (数年まえ)

                           

   ああこれが年寄りの日のプレゼント(昨年)

                                               

 


安いヤツはそれなりのワケがあると承知せなあかんわ

2012-05-08 17:05:07 | 日記

 デフレ時代だから、みんな安くなるからエエぞといって大いに歓迎だというお方が随分いる。だがそうした人たちのなかで、どれだけデフレの恐ろしさを認識しているだろうか。今の世はほとんどが安売りの店をこぞって捜し求めるから、必然的に店の競争心を煽り、そのために窮地に陥り、そして破産という道を辿っていく。

 そんな危機にある業者を痛み付けんばかりに、消費者は(ここは高い、あそこは1円安いと声高に言って競争心を焚きつける。これでは真っ当な商いを否定されて、商いが立ち行かなくなってしまう。ぼこ爺は商売側に加担する気は毛頭にはないが、ときとして諸費者の一方的な言動にたいして憤りを感じる時がある。かって消費者は王様だとチヤホヤされ、それが現在までも続いている。

  めちゃめちゃ安売り広告で、世のオバチャン族が開店前から辛抱強く行列する光景を見受ける。そして売り手と買い手が和気あいあいとやり取りしているが、それには安くても決して損をしない裏工作が売り手側にあるからだと思う。損して得を取れというが、これらのバーゲンは損しないで得する部類だ。ぼこ爺にもこんな経験があった。家内バアさんが、カニが大安売りで半値以下で買い、鍋を囲んで、ぐいと一杯。だが見事に期待は裏切られた。箸で挟んだ足は殻だけで身がない。よく見ると身が汁のなかに溶けこんでいた。まだ汁が煮立ってもいないが・・・。結局カニの出汁だけだが、全く味気ないものであった。

 後日、通を自称する友人いわく。売れ残ると、冷凍倉庫(業者)が引き取り、再冷凍を何度も繰り返したものが店頭にならび、他の魚介類も同様なやりかたで安売りする。このような損しない裏事情がいろいろあるに違いないが、そんな詮索をしても仕方ない。、普段は日常に密着した食料品に目を向けがちだが、観光業界やこれに付随してバス業界も値下げ競争が激しい。直近の例では、関越自動車道の悲惨な高速バスの事故だ。他社の5千円台の運賃が、事故を起こしたバスの運賃が3千台という。調査が進むにしたがい、手抜きや管理体制の不備が暴露されてきた。人件費、管理費などを最低レベル以下に抑えて満席の客を乗せて運行するバス。不運に見舞われた乗客には申し訳ないが、安全を忘れ、少々窮屈でもただ単に安さだけの魅力だけだったかもしれない。

 またGWの期間中、格安航空(LCC)も大人気で、懸念される事故はないようだが、機体の故障で、運行遅れや欠航があったようだ。このようなことは航空業界ではしばしばあるが、大手の会社ではそれなりの対処がされている。ところが窮屈で機内無料サービスがなくても、安けりゃいいというLCC利用者も、トラブルが起きると、殆ど融通性がない。機体に余裕がないから遣り繰りできず、ホテルの手配もされない。結局は乗客自からが手配して実費を払うといったトラブルが随所にあったとようだ。

 まぁこれらのことは一例に過ぎないが、諺にいう「安もの買いのゼニ失い」に当て嵌まり、まさにその通りと言える。例えば100円ショップのスプーンやグラスなどの食器用品は、スーパーなどでは同じようなものが3倍近い値段だが、使ってみると明らかに品質や出来栄えがいいし、長持ちがする。したがって他のアイデア商品は100円ショップで買うが、食器類は買わないようにしている。そういったなかで、高価格の食品や菓子スイーツなどを売っているデパート地下売り場(デパチカ)では多くの客で賑わっている。当然に品質、味覚、形状などが、スーパー、コンビニと比較すると、格差がよくわかる。

このような消費者格差の二極分解は世界のどこでもあるから、目くじらは立たない。要は財布の中身次第で、安くも高くも判断すればいい。だが何度も言いたいが、「安いヤツはそれなりのワケがある」と十分承知すれば、何があっても責任を一方的に転嫁するのは、どうかと思う。反対に高価なものは、それなりに総てが揃って満足させる。まさに一流ブランド品然りでだ。要はよく言われるのに〖安全安心は高くても買え〗と。さてさて、かく申す吾がぼこ爺夫婦は、安い派か高い派のいずれに属するのかと問われれば、俗っぽく言えば、そのときの雰囲気次第の〖どっちも派〗とお答えしよう。

     安全・安心はゼニで買わなあかんで