ぼこ爺のまだら雑記

じじいがブログをはじめました

10人10色というが灰色は幾つ色があるのかな

2012-04-30 16:30:43 | 日記

 あっと言う間にもう1年の3分の1が過ぎてしまったが、とりわけて年寄りには月日が経つのが早いと感じますわ。それだけに霊界からのお迎えも、そんなに遠くないと思うようになったわ。だが何らかの持病はいくつか抱えている中で、少々眼がそして耳が不自由だが、四肢は動ける。観光や買い物そして友人との交流を深める機会が有り難いと思う。4月は投稿数が少ないまま月末を迎えてしまったが、まあご覧下さい。

 そこで人との交流の中で、初対面の片は色でいうならば、(このお方は何色系かな?)と、まことにブシッケに推量することがある。だがその時点ではお互いに取り繕っているから殆ど判らないが、やがて交流を重ねてくると、次第に個性色が判ってくる。たぶん誰でもそんな風に慮って交際をしていくのではないだろうか。ただ色といっても、人それぞれに色別感覚の違いは有ると思うが。

 ちなみに自分好みの色で性格判断する方法は、本やインターネットで調べることができる。しかしこれは自分自身の性格を知る目安であって、他人様から見れば、どんな色系の性格だろうと判断されるだろう。そこで考えなければいけないのは、自分はどんな色目で見られているか・・・である。そこで私の自己性格診断をインターネットで調べてみた。数10色のなかから好きな赤・緑・金の3色を選んで診断してみた。

 (赤)情熱的で夢中になれるものがあると、寝る時間も惜しむほど没頭する。そして仕切り屋タイプだが熱し易く冷め易いので長続きしない。(緑)人間関係において争いごとが嫌う平和主義者。周囲と調和して和やかさを醸し出す。(金)華やかで、目立ちがり屋で情報蒐集分析力に優れ頭の回転がよい。良い活躍の場を与えてもらうと人に役立つことに一生懸命になる・・・などなど。その他にも結果があるが割愛する。そこでこの結果を見る限り、まあ当たらずとも遠からじで、的を得た結果だと思う。ただ頭の回転がよいのは大きな的外れだかから念のため申し添えておきます

 反面、他人様の性格を色分けして推量しながら交際することは間違っていないと悟ったのである。つまり自分の好きな色と合致した人であると好意が持てて信頼できる人物だと思いたい。そんな色群のなかで最も忌み嫌う色こそ(灰色・グレー)である。多分誰しもが好まない色ではないだろうか。つまり灰色は黒白はきりしない曖昧色と言える。だが人にはほんの少しだけグレー部分があったほうが、万事良く調和が図れ、円滑に進めていけるのではなかろうか。あまりにも清廉潔癖な真っ白では寄り付き難い。諺にいう《水清くして魚住まず》と。少なくとも私個人的にはそのように思ってるわね。

 その最たる直近で、政界の大物といわれる国会議員の無罪判決だ。法的には確たる物的証拠などがないからである。吾々庶民の90%近くがキナ臭いと感じているのに、結果は証拠不十分で無罪とは・・・。せっかく民間人の感覚で検察審査会が上級審裁判まで持っていったのに・・・。そこで、この御仁は色なら何色に該当するか?・・・と。さる大物知事が曰く「限りなくブルーの灰色決着だ」と。左様、まさにその色だが私は80%だ。

 人それぞれで率が違うかもしれないが、確かに限りない灰色決着となってしまった。天網恢恢疎にして漏らさずと、何時の日か逃れられない証拠が見つかり、80%の灰色が100%に変色、すなわち黒色になる日がそんなに遠くないと思っておりますがね。

 あの大物政治家の色は私は80%だ。皆さんは何%ですか

 


モチはやっぱり餅屋でなきゃあかんがね

2012-04-22 19:50:39 | 日記

  世の中、異質のものを取り付けたり、合わせようとしても、なかなか本当の性能が発揮できんことを改めて認識したのである。つまり人や動物、そして社会の中では間尺に合わんが何とかこらえて調和しようととして、みんなが丸~るく収めようと努めていると思っている。もしその均衡が破れると、喧嘩や紛糾を生じたりして、挙句の果てにドンパチが始まる方向に突っ走ってしまう。

 だが、これが物ともなるとそうは問屋が卸さない。つまり物という無機質なもの同士は、何とか合わせたように認識しても、いつかは破綻を来たすかもしれない。単純にいうと合わんもんは合わんということだ。原発事故でも、これまでの長い間に様々なトラブルが頻繁に有ったと聞く。その時、形状、寸法、品質など類似のもので応急処置をして、異常がないからとそのまま使い続けていたのが随所にあるようだ。その挙句のこのたびの震災津波によって図らずも露呈した。

 ・と何だか難しい文章から始まったので、引き続いて後は読みたくないわと言わんでくだされ。私は2.3年前から高齢者特有の耳が遠くなってきた。(いや自分はそうでないというお方も・・・)我が家のテレビは、家内バアさんの部屋とそして私の部屋にあって、それぞれが好きなもんを勝手に観てるという按配である。だが、私のTVの音が大きいので耳障りだとバアさんのうるさく言う決まり文句がしょっちゅうだ。

 そんなことから騒音(?)対策として、当初は耳穴に差し込むから始まって、耳宛式のイヤフォンで聞いていたが、価格やメーカーの違いで耳障りの感触の優劣を味わった。しかし仰臥したり横向きになって寝転び視聴していると、次第に耳の周りの疼痛で落ち着かなってしまう。それには外付けのスピカーの音量を落として聞くのが最良と考えて、手持ちにある各種の小型スピーカーの活用することにした。

 しかしそれぞれの機器の用途に合ったスピーカーだけに、パソコン、アマチュア無線、オーディオそして安価な外付け用など。結局はテレビには合わず、小さく音を絞ると聞き難い・・・が我慢をしていた。そして3日ほど前のこと、名古屋で用事を済ませ、時間に余裕があったので、久しぶりに《東急ハンズ》へ行き、家電コーナを見て回った。すると小さなブースに格好のいい「TV用みみもとスピーカー」なるものが展示してあるのを発見。価格はも手ごろで気付いたときには現物がハンズの手提げ袋の中にあった、

 帰宅して着替えもそこそこに、早速函を開け、現物のリード線をTVのジャックに差し込む。(単三2個または5Vアダブター使用) 正面のスイッチボリュームを回す。クリチカルに音量調整が出来る。また音質も高音、低音の切り替えもできるから音質も聞き易い。音楽は低音のいい音だ。とにかく1680円と手頃の値段とは思えないくらい音の強弱にあった耳障りのいい音質である。物には、うまく合った物同士でないといかんと痛感。

 これでバアさんの文句もなくなり、これからの夏に向かって開放された部屋であっても、気兼ねなくぼこ爺の耳を和ませるスピーカーと供にできることにホットしたがね。そこでくどく言わさてもらえば「もちはやっぱり餅屋でなきゃあかんがね」と・・・。   

 いろいろなスピーカーで試したが 

              帯に短しタスキに長しだわ               

   

やっぱり専用のスピーカーがエエわ 高さ12cm

  


サクラが散って、いつもより老いの身にひとしお侘しさが募ってきたわ

2012-04-15 14:51:02 | 日記

 

風に乗って花びらが散る散る   花筏が侘しく流れて 

                                                                                     

  散策道一面が花畳    ハトがエサと間違えたか?                                                                  

        

 わが町の中心を流れる川の両岸散策道の1500本のソメイヨシノ桜が今年も絢爛と咲き誇った。今年は全国的に開花が4,5日遅れたが、それでも多くの観桜客が訪れた。

 そして立ち並ぶ屋台など露店の食べ物を頬張りながらシャッターを切る風景はいつもと変わらない。そんなサクラ祭りの10日間の行事が終わると、待っていたように大役を果たしたサクラが散りはじめた。

 昨日のそぼ降る雨で叩かれた花びらが風に乗って川一面に広がったり、集結したりして、花筏となって下っていく。この筏の行く先は何処だろう。伊勢湾を抜けて太平洋へ。そして南の島へ・・・といつも思っていた。

 だが今年はどうゆうものか、きっとそこらの草むらや石垣に引っかかってやがて朽ち果てるだろうと思うようになった。それはまさしくわが人生に置き換えたような思いである。そんな花筏の末路を思い描くと一抹の侘しさが余計に募る。

 そして遊歩道一面も、まるで小雪を思わせるような花畳となって続いている風景を眺めてシャッターを切った。ふと周りを見たが、人影すら目に映らなかった。あの喧騒から再び静寂が戻ってきたが、いつもと違う侘しさが伝わってきた。

 やはり老いの身のせいかもしれない。そんなとき数羽のハトがエサと勘違いしたのか、道の花びらをつついている光景が微笑ましい

 


皺くれジジイが柔らかお手ての感触に浸ったがね

2012-04-11 16:23:43 | 日記

  昨日、甥の息子である二男夫婦が5ヶ月の男の赤ん坊を抱いて吾が家にやってきた。近くのサクラも満開で観桜をかねて赤ん坊のお目見え披露である。何年かぶりに見る乳児は5ヶ月とは思えないほど丸々として愛くるしい。聞けば体重3800グラム出産だという。

 しばし落ち着いてから、吾れぼこ爺はウン10年ぶりに、そっとモミジの手に指先をおそるおそる触れてみた。そのときモミジの5本の葉がジジイの指をしっかりと握りしめたのである。それも離すもんかと力強く握っている。私も負けじと掌全体でモミジ手を包みこんでしまった。その弾むように丸々とした柔らかなモミジ手は、もうすっかり忘れていた二人の孫の赤ん坊のあのときの感触が伝わってきた。

 そしてフト気がつくと、赤ん坊の羽二重もちのホッペに賞味期限が切れた私の皺だらけの頬が触れていた。そのときあの懐かしいオッパイの甘酸っぱい香りが鼻腔をくすぐる。すでに抱っこして満足している家内バアさん曰く「どんな気がする?。オジイちゃんの頬っぺたと手のヤスリで痛がるで、ほどほどにしときゃあ」と一方的になじる。

 そう言われて半月前を思い出した。東京の大学3年生の男の孫が帰省した折、我が家にも2日間逗留して帰り際、私に握手してきた。痛いほど握りしめた孫の手はごつごつして、まさに大人の手の感触であった。(わ~大人になったんだなあ)と内心では感慨ひとしおだった。もうあの乳幼児そして子供時代の弾力ある感触を味わうこともないだろう・・・と思っていた。

 それがはからずも羽二重餅とモミジ饅頭のやわやわの肌に触れることができたのだがね。まだ二人の孫は大学生で独身だ。結婚は相当先だから、おそらくひ孫の顔をみること無く、あの世行きかもしれん。そう思うとこの赤ちゃんの肌触りをたとえ一晩でも浸っておこうと、この晩の入浴で、手だけは石鹸で洗わなかったが・・・そんな気持ちを判って欲しいとは、チョッと欲深いかねえ。

 モミジまんじゅうの可愛い手

 


使わなきゃ損だぎゃあと言うなかれ

2012-04-07 16:30:29 | 日記

  アァ・・・いつにまにかぼこ爺は85才の超高齢者の部類になったてまったわね。先月の22日が誕生日だが、自分自身は気付かない。しかも家内バアさんも気付かず、娘夫婦も然りである。ところが・・・二人の孫の一人は電話で、もう一人はメールで誕生祝いの言葉を贈ってきた。恥ずかしながら孫に教えられて知ったというお粗末さである。

 そこで85才になると市から「タクシー乗車券」の支給を受けることになった。これは24回乗車(1ヶ月当たり2回)のチケットで、初乗り運賃だけはタダだ。それ以上の差額は客が実費を支払う。それでも初乗り運賃の680円だけでも市が負担してくれるのは有り難い。

 そこで近所の先輩老人はこんなことを言う。「おみゃあさんも、やっと貰えるようになりゃあしたナモ」。それを聞いて、有り難いと思う反面、何だか侘しい気持ちにもなった。それだけお迎えが近くなったという証拠の割引切符を貰ったようなもんだがね。「せっかく市が呉れたもんだから、余さんように使い切りゃあよ」と先輩は宣う。

 タクシーで遠方に出かけることはあまり無いし、市内のほとんどの場所は歩きか自転車だ。自宅から私鉄の駅までは初乗り運賃で済む距離だから確かに有り難い。だが降雨や体調が不調ではない限り使いたくない。 だから先輩の老人達が言う、使わな損だといった気持ちにはなれない。彼らはこんなことをやる。1,3キロ先の公民館へは徒歩で十分の距離だが、年下の老人達を交えてタクシーに満席(5人)で乗って公民館に行く。当然初乗り運賃で済み、キッップを使った老人はイイ顔をする。そしてこんな遣りかたを先輩老人たちが使いまわしていく。

 公民館だけでなく、初乗り運賃の距離までの施設やコーヒー店まででもやっとるようだ。老人を労わる手段の一環ではあるが、わがぼこ爺は今ひとつ合点がいかんですわ。貰ったら使わなソンだという感覚の持ち主にはなりたくない。よく考えればこれは決してタダじゃない。これも含めて福祉に使う費用の元は「税金」で賄われていることを、よう考えないかんではないかと・・・・。

 ともかく権利を間違って行使するばっかではいかん。年間で全部使わんでもエエし、使ってもほんとに必要なものに使うべきだと思う。よくある年度末の駆け込み公共工事やその他の行政を無駄だとお上を非難するよりも、老人福祉が最優先だと声高に叫ぶ、老人も納税者だ。だからよく己を省みて《お与えものは使わな損ソン》だといった心根は捨てて欲しいと願う85歳になった後期高齢者の一人である、ぼこ爺っである。

 こんなことを書いている最中にフト思った。降雨のなかで両手に荷物を持って駅まで行くのには、自転車あるいは歩きは出来んから当然タクシーに乗る。近々そんな事態があれば、さっそく「タクシー乗車券」の第1号が有効に行使できるのではないか・・・と。

タクシー料金助成利用券の表紙(一部塗りつぶし)