ぼこ爺のまだら雑記

じじいがブログをはじめました

運勢が大ハズレで、ドえりゃあ目にあいましたわ

2011-12-30 17:02:21 | 日記

週に!~2度は投稿すると述べていながら、10日以上ご無沙汰してしまいました。言い訳になるが、パソコンのキーを叩く気がしなかったということだわ。

さる20日、いつもと変わらぬ仕草で灯油を給油しようと、満タンの18リットルポリ缶を物置からテラスまで運んだときのこと・・・。もう2,3歩というところで6~7センチの段差があるテラスのコンクリート面にポリ缶の底を引っ掛けてしまった。

ポリ缶は急ブレーキがかかり、私は前へつんのめって顛倒。一瞬手を離したが時すでに遅く、そのままコンクリートの床に顔面を強打し頭が真っ白といった状態だ。つまり端的にいえば私は慣性物体であったというわけだがね。

ふと気がつき我に返ると、鼻頭と唇が擦過して出血とともに見る間に腫れ上がってきた。そして口内からも血がにじみ出てくる。すると袖周りが油で濡れており、ポリ缶が横倒しになって、給油口から油が流出しているのを見て夢中で缶を立て直した。

幸い出血量は少なく、うまく止血できたが、鏡の中のめくれ上がった唇と鼻頭を見て愕然とした。このままではよそ様には顔向けできん・・・と言うほどの歳ではないが、わがバアさんに言わせれば「ミニお岩」という。

口内はそれほどではないが、全部の前歯が歯茎からゆるんで飯粒が触っても飛びあがるほど痛い。とりあえず液状の食い物しか受けつけないが、幸い晩酌は消毒を兼ねて喉を通してくれた。翌日医者で処置をしたが「痛み止め薬で、あとは日にち薬だけ」と宣う

それからは外出もせず、朝昼晩の三食はほぼ流動食まがいが続き、やる気起こらずであった。1週間目からようやく固形物が噛めるように(若干痛いが)なり、正月で好物のタコ、田作り、はぜの甘露煮が口に出来そうでとりあえずホットしたがね。

・・・という訳でようやくこの駄文が書けるようになってヤレヤレといった気持ちだがね。それにしてもこのアクシデントの日は、新聞もTV。そしてインターネットのどの運勢もが、私の《最良の日》とうたっていたが、とんでもハップンだ。日頃運勢は心の支えぐらいにはしていたが、まさに「ドえりゃあ目」にあった師走の騒動だったわね。

 ● こんな風に横倒しで油漏れ(再現画像です)●

         

    

 

 


来年の年賀状は今回も思い切って減らすことにしたわ

2011-12-18 16:58:31 | 日記

来年「龍」の年賀状を25日までに出してほしいと郵便屋さんがいう。ようやくデザインの構想が纏まったのでいよいよプリントに着手することにしたわ。

今回はどこまで減らそうかと勘考した挙句、昨年より更に10数枚ほど減らすことにした。、定年退職してから今年で23年ともなれば、互いに交換する対象者もあの世に旅立ったり、病に臥せってどちらかが出さなっかたり、或いは夜逃げで音信不通となってしまったなどなど。こうして長い年月では極く自然に減っていくのは当たり前。多分年寄りになれば誰しもがそんな状態ではないかと思うけどね。

そんなことから最盛期の現役当時から比べると、今回で5分の1ぐらいになりそうだが。まあ年金受給者にはハガキ代、インク代などの費用節減にもなるで丁度ええわね。いまやパソコンだ、ケイタイだ、スマートフォンだ、そしてこれらを無線ランで駆使するご時勢で、年々年賀状の交換が減少してきたのは致し方ないがねえ。

だが、あと幾ばくかはこの世に生き長らえるとしても、そのときは2,3人の相手しか居らんかもしれん。そこで手が動かんでも代筆で年賀状を出す気が失せないよにしたいわと心底では願っておるけど・・・さてさてどうなりますかねえ。

近くにまだこんなクラシック型があるでよう

 

 


皆既月食を観てますますしんぴゃあになったわ

2011-12-13 15:52:31 | 日記

 一昨日の10日深夜、皆既月食が全国で観られて、それなりの話題が。《ぼこ爺》も少々鼻水をすすりながらデジカメをズームアップして観察。

 だが、「ぼこ爺」は日頃から地球の行く末を案じているだけに今回の皆既月食でますますしんぴゃあ(心配)が募ってきたわ。 昔々中国の周の時代に杞の国の人が天が落ちてくると生きた心地がないほど憂いて心配な日々を過ごしていたという故事から、心配事を「杞憂」というのは周知のことと思う。

 われわれがこうして生きる証として「太陽」無くしては語れない。その太陽も数10年に1度に皆既日食がある。ぼこ爺もこの歳までに小学生の頃と夫婦のハワイ旅行で、1991・7・6にワイキキビーチで偶然にも皆既日食を見たくらいだ。部分日食は何回もあるが、国内での皆既日食は長い人生のなかでもはなかなか観られない。

 そこで本題になるが、太陽が生命の根源だと言っても過言ではない。あの原発事故を契機に、世論や国家機関の大勢がにわかに原発不要論に傾き、その代替として《再生エネルギー活用論》が活発化してきた。そしてその最たるものが太陽エネルギーの活用だ。更に風力、水力、潮力、地熱などの再開発である。

 だが、シロウトのぼこ爺が常に危惧している(杞憂かも)のは、《太陽》が地球にもたらすエネルギーが年々低下してくるのではないか。文献では誕生から46億年、地球を飲み込んで活動を収縮しながら消滅するのは123億年先と記しているから、心配ご無用かもしれない。そもそも太陽は地球のような表面がなく、中心部では核融合反応が絶え間なく起きて、磁気力の作用で表面に突出して、熱と光を8,3分後に地球に到達するという。

 だが・・・だがである。それこそ天文学的数値の123億年の寿命をしんぴゃあするならもっと他の有意義なことを考えやあと思われるかもしれんが、ぼこ爺の杞憂がおいそれとは消えない。これもシロト考えだが、原発は人工的に作った太陽みたいなもんだ。すなわち太陽は原発の大親玉だ。その原発神話が崩れようとしている。それを思うと太陽の寿命は数100億年であろうと、いつ不測な事態がおきかもしれん。

 そこでぼこ爺が杞憂する締めくくりは・・・太陽エネルギーをふんだんに消費すると次第にエネ効果の低下を招く危惧。

◎太陽パネルでの発電、熱交換ができなくなるかもしれん。

◎風力発電は太陽熱と空気の相乗で発生する風ができなくなるかもしれん。

◎水力発電に不可欠な水量が、熱不足で雨との循環がでlきなくなれせんか。

◎潮流発電も太陽光低下が月の引力に影響して、潮流が変化するかもしれん。

◎地熱発電の地上水が地下水へ還流し難くなるかもしれん。

 というように再生エネルギーで所詮は《太陽サン》を酷使するとエネルギーの枯渇の進捗が早くなる。頼っている地球が急速度で滅亡に向かうのではないかと思うだけでも慄然とするわね。

 まあそこまで想定する必要もなく、ウン年先にはあの世界のお迎えが来るであろう《ぼこ爺》がしんぴゃあすることもないわ。と自らに言い聞かせるとするわね。

      12月10日午後11時30分ごろの月食   

              


物事の終わりがあるのは始めがあるからだわ

2011-12-08 18:05:19 | 日記

今日12月8日は〇〇記念日だ。

高年齢者には言うまでもないが、太平洋戦争の開戦記念日である。

だが真珠湾攻撃から端を発した開戦からちょうど70年経つと「開戦記念日」という語句は、今では人々の言葉の端にも乗らない死語に近い存在になってしまった。

だだマスコミだけは、毎年「何故戦争を始めたのか?」といった具合の記事や報道だけで済ませているけど・・・。

戦争が終わった「終戦記念日」は毎年のカレンダーにも印刷され、また天皇陛下と妃殿下の戦没慰霊祭など様々な行事が行われるので、いまでも認識されている。

何百万人の貴い命を奪った戦争の局面や敗戦に至るまでの経緯は大多数の年寄りは知っている。だが開戦までの経緯はあまりよく知られておらんようだがね。

それだけに「開戦記念日」の12月8日は見過ごされがちになるのが残念。

わたし自身は終戦の日の状況は勿論だが、開戦を知らせる大本営発表やその日の出来事にはいろいろな思い入れがあるが、ここでは省いておくわ。

結論からいうと、戦争が終わる終戦(敗戦)こそ戦争を始めた無謀な開戦がもたらした結果ではないだろうか。つまり物事には始末があるということ。諺に「始めよければ終わり良し」ともいうが、昨今「始め良くても終わりは不始末」が当てはまるような大企業の体たらくには、もって瞑すべしとでも言いたいですわ。

 


マジメ爺はお前さんのマタなんか覗く気もせんがね

2011-12-04 14:24:51 | 日記

私鉄に乗って名古屋まで用足しにでかけた。

 先席に座れず、向かい側の席に座れたが、次の駅で優

先席の1人が下車した。

私はその空席に座ろうと立ち上がったそのとき、その駅で

乗車したギャルがあたふたと空席にどかんと腰を下ろす。

しばらくすると、大きな頭陀袋(私の印象》から小物入れの

バッグを取り出し、次々と化粧品で顔の造作を始めた。

内心(何だこの小娘めが・・・手直しするほどのお面相じゃ

あるまいし)と思うのは私だけしかしれんけどかも。

すると口紅のフタが落ちて通路の私に近い辺りまで転がっ

てきたが、彼女は気付いていない。お節介は禁物でみんな

も知らぬ顔だ。だが電車のカーブするたびにフタがコロコロ

転がるとジジイはどうも気になってしょうがないわね。

そして私の手が届く位置まできたときガマンできず、腰を下  

ろしてしゃがむような格好でフタを拾った。

たまたましゃがんでいたので、下から見上げるようにして渡

そうとしたが、何を勘違いしたのが、両脚を貝殻のように

わせ、フタをもぎ取るようにして、一言も言わずに少し離れ

た席へ素早く移動してしまった。周りの人たちも困惑気味の

怪訝な顔な様子に見えたがね。

そこで何故だ???と反問して「ハッと」閃いたことは・・・。

(アッそうか私はスケベのエロじじいと勘違いされたのだ)

すると憤りが沸いてきた。(車内で化粧するような公共の

場も弁えん小娘め・・・おのれを知りゃあ!!)

昨今こんな状景をあちこちで見かけるが、あまり気に止め

んようにしていた。よもやこんな仕打ち(?)に会うと、今 

後こんな場面をみたら、ジット我慢できるんかなあ。

ということは・・見て見んのが賢明かもしれんと思うわ。 

  

     《これとそっくりの口紅だ》