ぼこ爺のまだら雑記

じじいがブログをはじめました

嗚呼・・・あのチンジャラジャラの音が懐かしいわ

2013-01-30 13:28:55 | 日記

一見して住宅地図みたいで、何がなんだか判らん

  

 新聞の折込で、数軒のパチスロの広告が毎日ある。
私には全く興味がないから、みんな一瞥して素通りである。だから店舗名は知る気もしない。ほぼ毎日だから広告費が随分かかるだろう。でも新聞店は得するだろう。

 

 翻って昔々の独身時代に、一時パチンコに没頭したのを思い返してみた。そのころの男の娯楽は、映画、キャバレー、ストリップそしてパチンコぐらいだ。なかでも手っ取り早いのは、何と言っても「パチンコ」だ。ご他聞にもれず私も会社を退けて6時ごろにはパチンコ台の前に立っていた。

 

 そして(軍艦マーチ)のレコードの擦り切れ音のリズム(?)に乗って、玉を入れてレバーを弾き、盤面の釘を縫って落ちて穴までの行方を目が追う。そして得点に応じた玉数が「チーン・・・ジャラジャラ」と受け皿に溜まる。そうした一連の動作は今の機械に弄ばされているょうなものではなく、まこと人間的だと思う。まさに裏で操作する店員との熾烈な戦いで一喜一憂する展開はこれぞ人間的であったように思う。

 穴の入り口で玉がつかえたり、入ってもジャラジャラとでないとブザーボタンを押し続ける。それでも店員が来ないと、盤面のガラスを叩く。あまり執拗にやると店員と揉める。
今は座り心地の良さそうな椅子に腰掛けてゲームをするが、当時は立ちんぼうだった。それでも終了の9時半に「別れのワルツ」がスピーカーから流れるまで、立ったままパンをぱくつきながら時の経つのもッ忘れて熱中したこともあった。今思えば、ただただ若かったなぁの一語につきる。

 しかし結婚、そして子どもの養育、さらに職務が多忙になってくると、ごく自然にパチンコから遠ざかってしまった。でもこんな経験は少なからず誰しもが経験されただろう。
そこで私自身大袈裟にいえば、パチンコは今日までの50年間は(パチンコ無知の未体験)の空白期間だといえる。
言わばパチンコ歴は殆ど無いといっても過言でないと思う。

 2年ほど前、友人に何度も誘われたが、自動化されてギラギラした蛍光灯(今はLEDらしい)の真下のパチンコマシンに恐れをなして店外に脱出。それだけに到底単独ではお邪魔できない。深夜なにげなく見たTVで、3人のタレントがパチンコとスロットルが合体の「パチスロ」で競い合っていた。

 そのときの店内の状景をみると、コンピュ-ター制御で総てが動いているようだ。スラリとしたギャル店員が景品交換主なようだ。他の店員はロボットに使われているようだ。  
まるでロケット打ち上げコントロール室みたいに思う。
これでは今更ぼこ爺はパチンコ屋の軒下すら行けない。
それだけに戦国武将やタレントらが出現する機械をコントロ-ルする(されてる)ことには恐怖感を覚えるのである。

 だからこの広告のパチンコ群地図を見てもさっぱり判らんし、誘われても棺桶に足を突っこむまで、お断りである。

玉を一つづつパチンと弾いてジャラジャラと受け皿に貯まるのが楽しかった、あのころのパチンコ台

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


自慢の腕も、もう遥かに遠い存在になってしまったわ

2013-01-27 14:16:43 | 日記

  本箱の上下の間隔が大きいので、中間に棚板をつけようとしたが、ホームセンターに適当な寸法の棚受け金具がない。ならば自作しかないが、久しく工作から遠ざかっている。といっても友人に頼みにくい。

 大小金槌、万力、金鋸、グラインダー、電気ドリルや半田ごてなど、ノコギリ、ノミ、カンナなどや小物類。そうした工具道具類がまあまあある。これらを使って児童らに教えていた、ジュニアサイエンス(科学のモノづくり教室)の教材用の材試作品を数多く作る為、フルに活用していた。

 だが加齢とともに肉体の衰えに伴い、数年前から、これらは後輩のスタッフに委ねていた。 
それでも自作しか
方法がないので作ることにした。
作業は10ミリ×3ミリのアルミ板を万力に挟んで、所定寸法に切断。さらにステーと本箱の側板に取り付ける穴を電気ドリルで穿孔。そして万力に挟んで所定の寸法に折り曲げ、木の棚板も切断加工して作った。

 こうした一連の作業は技術的、時間的には、一昔前までは2~3時間ぐらいで出来たが、この度は1日中もかかってしまった。しかも出来栄えも良くない。とくにつくづく痛感したのは、たった4箇所に3ミリのネジを締め付けるのに、何度も指先でナットやワッシャーなどがつまめず、何度も落としてはつまむことで手間どった。

 そして、ようやく棚板の取り付けも完了。まあまあの出来だが、やっぱり手先の老化現象を現実に体験して、かって自他共に器用さを自認していたこの腕は一体何処に行ったのか・・・と、チョッピリ寂寞感を抱いたのである。それでもこんな拙い文章でも書けるよう、脳内の衰えの進まないように祈りたい。 

ーこれだけの金物の加工に1日中もー    

ーあぁ3ミリの小ネジ、ナット、座金がつまみ難いー

 


恒例・大須アメヨコ電気街のウインドショップ研修記

2013-01-22 19:48:37 | 日記

 

 19日は「アマチュア無線家グループ」の毎月第3土曜日に催される、大須アメヨコ電気街のぶらぶらウインドショッピングの日でした。

このグループのメンバーは総勢18名で、それぞれアマチュア無線の局長で、通称ハムといいます。メンバーのアマチュア歴は40年以上の経歴の持ち主(ちなみにぼこ爺は55年)で、8割はリタイヤしたOM(オールドマンの略でハム用語)揃い。いずれもコールサインが「JA2○○○」や「JH○○○」といったプリフィクスであって1~2級アマチュア無線技士の資格揃い。

 そんな連中も、下は65才から上は85、6才(ぼこ爺ともう一人)と、決して若くないジジイ連中の集まりである。現役時代は、銀行員、営業マン、バス運転手、そして電気関係技術者など職業もまちまちだが、無線を通じて知り合い、今日まで交際が続いている。

 かっては、忙しい現役時代にもかかわらず、若さと聡明な知恵で、真夜中でも遥か遠い国のハムと交信してエンジョイしていたが、リタイヤすれば尚更にアクティブになると思いきや、年々低下してきてしまった。
いうまでもなく、ぼこ爺も同じ傾向をたどり、今はVHS(超短波帯)だけで、グループの仲間や近距離のハムとの交信だけになってしまった。

そこで冒頭に戻り、大須の定例ミーティング(ハムではコーヒーブレーク)で午前10時に集まり、三々五々フリートークで和気あいあいと語り合う。以前は当然にアマチュア無線談義が主体だったが、最近はパソコン関連の技術談、そして昨今はスマホの技術話しになってくると、もうぼこ爺にの出る幕はない。

 それでも聞いているだけでも、知恵が吸収できて勉強になるから楽しい。ときどき変な質問をして失笑されるが。やがていつもの電気店めぐりでウインドショッピングモードだ。あちこちを覗き、面白そうなものを衝動買いしたり、互いに小田評に興じる。そして昼食タイムになると、これもお決まりの飲食店で800円の定食を摂る。そしてお値打ち品の自慢や批評談義に華が咲くが、殆どはパソコン関連の部品などの中古品やジャンク物だ。

 だが折角買ってもあまり活用されないものが多いようだが、高価でもないから執着もない。2,3年前までは、かって隆盛だった第1、第2アメヨコビルの電気街も必要があるハムが覗くぐらいである。
 

 それでも毎月1回、ジジイ連中、否OMの集まりは、何の制約の無いフリーで、勝手に喋り、自慢し、批評し、そしてお値打ちと勝手に思い込んで買い、昼食で和気あいあいと過ごすひとときは、高齢者には最高の賜物ではないだろうか・・・と思っている。

1955年 開局当時の無線室  
無線の送信機や受信機は真空管式。周辺機器や
テープレコーダーなどは殆どが自作だった。
まだ29歳の勢いがあって、楽しくアクティブだった。

第一アメヨコ電気街ビル   何かオモロイものは?

  

これは珍しいと・・・衝動買い  きょうは鰻のミニひつまぶしで

     

 

 

 


どんなものでも「ラー」とつけば箔が付きますかね~

2013-01-15 11:51:11 | 日記

 昨今、好みの化粧品、衣類、嗜好品や物、地名にほれこんで、それを使いこなして精通するギャルたちを「○○ラー」と尊称(?)するようだ。
例えばフランスの「シャネル」の愛好者を《シャネラー》「グッチ」なら《グチラー》「ドリーム」は《ドリラー》「ボージョレ」なら《ボジョラー》といったぐあいで、まだまだ数え切れんし、ぼこ爺では到底わからん。

 そこで判ったことは、舶来であれ国産あれ、それを愛好する人には「ラー」の尊称をつける、或いはつけられることで、一枚箔がつくようだ。最近、美容健康に酢がいいからと、「お酢ラー推進委員会」なるものが発足した。まぁこれは酢のメーカーの作戦だろうが。ひところ山を愛して登る女性を「山ガール」車大好きは「シャガール」などを、よく耳にした。勿論いまでもだが。同様に「○○ラー」とつけられた女性は、まことにいい気分らしい。

 こうして列挙していると、フト凡脳にあることが浮かんだ。そうかそうゆうことかと・・・・。
英語はからっきしダメだが、名詞のお尻に(er)がつくと「何々をするもの、または人」になる。
レスリングは「レスラー」ボーリングは「ボーラー」スケートは「スケーター」走るなら「ランナー」運転者は「ドライバー」などなど、これも書き出したらキリがない。

 だから「ラー」とは目新しいものでないと思う。
それなら自己流に色々とつけてみた。
名付けて(ボコジイ風ラー語)だ。
パソコン好きは「パソラー」デジカメは「デカラー」スマートフォンは「スマラー」酒やビールは「サケラー」「ビアラー」飛行機なら「ヒコラー」そのほか「マジャラー」「パチラー」はいかが・・・?。寝ころび好きは「ネコラー」お喋りやは「シャベラー」もおもしろいが。
まぁキリがないからここまでにしたい。

 ならばシメくくりに、吾がぼこ爺は「ボケラー」と改称してもよいか・・・とも。だが、あんまり変なことを羅列すると、さしずめ「ボケラー」とか「アホラー」の尊称を拝受することもなりかねない。
いろいろ御託を並べたが、この辺で「オワラー」にして終止譜にしておくとしよう。

 《シャネル大好きの》  《ボージョレ大好きの》

  シャネラー       ボジョラー       

 

 

 


だんだんとアウンの呼吸が合わんようになってきたわ

2013-01-10 14:09:27 | 日記

  あぁ今年もボコ爺は、またまた悲哀を蒙る1年となるだろうか。
たしかに歳を重ねるにしたがい、物ごとに疎くなるのは否めないし
ましてや目は緑内障を患い、右目だけの一つ目ジジイ。そして聴力の低下で補聴器をつけても言葉の内容を取り違えたり、聞き漏らしたりする。挙句に筋力も弱くなって、物をよく落とす。

 それらのフアクターが重なって動作が緩慢になってきたから他人さまでは歯がゆいだろう。
しかも日常,否応なしに一つ屋根の下のバアさんにしてみれば尚更のことだろう。

 それだけ多大な迷惑を蒙らせとると思うだけでも切ない。だが肉体的欠陥と衰えはもう挽回不可能だと言えるし、勢いのあった若さ漲るあの時代はもう戻らないことは言うまでもない。

  そんな状態の年寄りは、4,5年ほど前から、あの若き時代のツーカーが段々と通じなくなる気配となってきた。そして昨今では夫婦が互いに一歩具体的に言わないと、どちらも瞬時に理解しにくくなった。
もう目と目や仕草だけでは、その意味を読み取ることも疎くなってきたようである。

 したがって「あれ、それ、これ、あっち、こっち」だけでは、瞬時に理解できない。つまり「主語」がない《阿吽の呼吸》が合わなくなったということ。当然、長年連れ添ったのだから、細かく言わなくとも・・・と思われるが、もう私たちは往々にして呼吸が合わないことがある。

 それゆえに、日常で誤解、曲解などがありながら、何となく腐れ縁で生活しているということだろう。
あっち、こっち、向こうに、此方に、下のほう、上のほう、あの棚の上、横、そこの引き出しの中・・・」などなど、自分で判っているつもりが、うけるぼこ爺は、ウロウロしてしまう。

 まぁ私にもままあることだから、お互い様かもしれない。そして一瞬名詞をド忘れしてしまうのは誰しもあるかと言えるかもしれないが。「もうムチャクチャでござりますがな」と昔々一世を風靡した、漫才師の(花菱アチャコ)のギャグだが、若しかすると私たちジジババ夫婦はいささか当て嵌まるようにも思うがね。

 日に2回の点眼と補聴器を着用しても、阿吽の呼吸が合わんがね