ぼこ爺のまだら雑記

じじいがブログをはじめました

入浴時の年寄りの身は、自分で守る工夫をせないかんわ

2013-02-12 15:32:32 | 日記

 立春とはいえ、まだまだ寒気は厳しい昨今である。とりわけて朝晩は結構寒さが身にこたえる。
ぼこ爺は、毎晩午後8時ごろに入浴しているが、我が家の浴室は北東側にあって日当たりは殆どない。
だから浴室の手前の洗面所では脱衣の前から身震いする。

 よくTVや新聞の記事で、高齢者は脳卒中や心筋梗塞予防のために、浴室や脱衣場を温めての入浴せよと報じている。まさにその通りである。そこで昨年から、脱衣所(洗面所)を電気ヒーターで暖房するようにした。
だがついうっかりすると、入浴を後回しにして30分以上ヒーターを点け放しのままがしばしばある。
たしかに冷えた洗面所は相当に暖まるが、不経済だ。

 たまたま100円ショップで、プラスチック製のカゴと折りたたみ式の台を見つけた折、吾ながらのアイディアが浮かび、金210円を投じて買ってきた。さっそくその晩から実行することにした。バアさんは、またオカシナことやるといった表情をして文句をいうのを無視して自然暖房を決行。

この方法は、浴槽に湯が入ると脱衣して、湯に浸かる。
これは当たり前の段階だが、私は次の工程を考え実行した。
①あらかじめ自室の暖房で着衣のまま暖まる②スポーツシャツと股引と靴下を着用のまま洗面所(兼更衣室)へ③浴室のドアーを開けて乾燥した敷きマットをタイルの床に敷く④そのまま浴室に入ってドアーを閉める。⑤そのとき手に持ったカゴと台を浴室の端に置き、脱衣をする。

 このとき脱衣の前に浴槽の蓋を開けておけば一層暖かい。
⑥脱衣したら浴室のドアーを半開きにして脱衣カゴと台を折りたたんで洗面所の床へ。こうして身体の芯が暖まっている状態で入浴するという按配だが、暖房機は全く必要ない。
入浴を済ませてバスタオルを纏い、洗面所で拭って着衣すれば身体の芯はポカポカである。

 何だこんなこと極く当たり前だがねと、バアさんは宣う。だが、ぼこ爺にとっては大発見のつもりでいる。
そのとやかくいうご当人も、済まし顔でマネをしている。
それでもチョッとした工夫で、節電して身体も芯まで暖まり、しかも冒頭の脳卒中た心筋梗塞など高齢者の突発的な病症事故の予防ともなればよいと思っている。
ちなみに、浴室脱衣は1分だから衣類に湿気はない。

 この脱衣カゴと折りたたみ台を浴室に持ち込んで

  脱衣する

         洗面所兼脱衣所は冷えている

                

 

 

 

 

 


たまには、見て、聞いて、尋ねて習得することは心が和むわ

2013-02-07 16:10:25 | 日記

       研究員の遺跡説明

 当市の広報で遺跡の見学説明会があるのを知り、年寄りの勉学のためにと現地にでかけた。思ったより見学者が多く、中年のオバちゃんも多く、ここでもパワーを見せつけられた。
現地に着くと、すでに採掘調査が終わり、元通りに埋め戻す前の説明会である。

 ぼこ爺の住まいの市の規模は、県下でも尻から勘定して何番目というほどの小さなマチである。市の真中を流れるサクラ堤の川の畔は多くの縄文人が生活していたので周辺には小規模だが、古墳や古代遺跡が多く散在している。
その殆どは発掘調査も終わって、数々の研究がされている。
今回のこの遺跡は道路拡張の工事の際に発見されたもの。

 この遺跡の2mほど下層からは、縄文時代から中世の鎌倉桃山時代の生活様式が伺える。当然にこれに伴って様々な土器、什器、木片などの生活必需品が採掘されて、その一部が仮設棟に陳列してあった。これまでも市内で発掘現場を見てはきたが、殆どが見過ごしてきた。今回は行政が正式に市民の公開説明会を開催したもので、一歩前進と言ったところか・・・。

 いずれにせよ、こうした遺跡があり、まだ未発見も多々あると思うが、これから発見の機会があれば、市の広報でPRして欲しいと願うのは、老い先短いわがぼこ爺だけだろうか。
いずれにせよ、現場を見て、説明を聞いて古代のロマンを想像し、チョッとした
悠久の歴史を垣間見ることが出来た。
こうしてひとときの安らぎを、満喫できたのである。

    質疑応答            住居の基礎穴

     

 出土品を合わせて接着      数々の出土品

    

 

 

 

 


定番の待ち合わせ場所が、一つ減ったがね

2013-02-01 14:03:45 | 日記

 

 2,3日前の新聞に、待ち合わせ場所として人気があった「ニッサンギャラリー」が3月末で撤去すると報じていた。
いううまでもなく、ここは名古屋中心の栄地下繁華街にあるクリスタル広場の真ん前にある。そしてここは絶好な待ち合せ場所としても良く知られ、我々世代でも格好いい場所である。

 そこでここを指定する時、クリスタル広場よりもニッサンギャラリーといったほうが互いに通用するようだ。しかも相手待ちで時間の余裕があれば、ギャラリーのクルマを見て回れる。
ときには担当のギャルから声をかけられることもあるが、暖冷房も効いて快適である。もし待ち疲れたら図々しく腰掛ける。
一抹の淋しさはあるが、今後は「クリスタル広場」と言おう。

 そこで名古屋市内の中心地で、ぼこ爺も利用したことがある待ち合わせ場所をインターネットで調べてみた。
そんなものには縁がなくても常識程度に知ってみては如何。
そのほか代表的な場所では、名古屋駅コンコースの東のエスカレーター下の「金の時計」だ。そして新幹線改札口前の「銀の時計」だ。その他エスカ前の「ナナちゃん人形」栄の「ナデァ
パーク」「三越百貨のライオン像前」「オアシス21広場」はみなに知られている。

 しかし昨今は、ケ-タイやスマホ全盛の時代で、なにも殊更にこのような場所を指定しなくても、衆目に晒されるのが嫌なら、これらの通信手段で会えるから、ジジイが余計な考えをせんほうがいいかもしれない。余談ではあるが、ぼこ爺が若かりしころ、10分15分過ぎても彼女が来ない。あれこれと不安が募る。ようやく顔を合わせたときの安堵感は今も忘れられない。もっとも私が遅れたことで揉めたことも。また彼女に限らず、連絡手段がないまま1時間も待ち続けたこともあった。

 今のご時勢ではどうだろうか。互いに連絡手段の端末を所有しているのを承知しているのでイエスノーの即断がでる。
それだけに
案外ドライかもしれない。したがって待ち合わせ場所は手近かでどこでも直ぐ決められる。
あの彼女が遅れて待つ間の「ドキドキ感」。また遅れた、
大事な相手を待ち続け、内心の不満を抑えつつ笑顔で対応したことなど、今では懐かしい想い出のひとコマである。

 

3月で終わるニッサンギャラリ(正面奥)

 手前がクリスタル広場      名古屋駅の金の時計

 

名古屋駅の銀の時計(新幹線側)  ナナちゃん人形

 

 

 

 

 


嗚呼・・・あのチンジャラジャラの音が懐かしいわ

2013-01-30 13:28:55 | 日記

一見して住宅地図みたいで、何がなんだか判らん

  

 新聞の折込で、数軒のパチスロの広告が毎日ある。
私には全く興味がないから、みんな一瞥して素通りである。だから店舗名は知る気もしない。ほぼ毎日だから広告費が随分かかるだろう。でも新聞店は得するだろう。

 

 翻って昔々の独身時代に、一時パチンコに没頭したのを思い返してみた。そのころの男の娯楽は、映画、キャバレー、ストリップそしてパチンコぐらいだ。なかでも手っ取り早いのは、何と言っても「パチンコ」だ。ご他聞にもれず私も会社を退けて6時ごろにはパチンコ台の前に立っていた。

 

 そして(軍艦マーチ)のレコードの擦り切れ音のリズム(?)に乗って、玉を入れてレバーを弾き、盤面の釘を縫って落ちて穴までの行方を目が追う。そして得点に応じた玉数が「チーン・・・ジャラジャラ」と受け皿に溜まる。そうした一連の動作は今の機械に弄ばされているょうなものではなく、まこと人間的だと思う。まさに裏で操作する店員との熾烈な戦いで一喜一憂する展開はこれぞ人間的であったように思う。

 穴の入り口で玉がつかえたり、入ってもジャラジャラとでないとブザーボタンを押し続ける。それでも店員が来ないと、盤面のガラスを叩く。あまり執拗にやると店員と揉める。
今は座り心地の良さそうな椅子に腰掛けてゲームをするが、当時は立ちんぼうだった。それでも終了の9時半に「別れのワルツ」がスピーカーから流れるまで、立ったままパンをぱくつきながら時の経つのもッ忘れて熱中したこともあった。今思えば、ただただ若かったなぁの一語につきる。

 しかし結婚、そして子どもの養育、さらに職務が多忙になってくると、ごく自然にパチンコから遠ざかってしまった。でもこんな経験は少なからず誰しもが経験されただろう。
そこで私自身大袈裟にいえば、パチンコは今日までの50年間は(パチンコ無知の未体験)の空白期間だといえる。
言わばパチンコ歴は殆ど無いといっても過言でないと思う。

 2年ほど前、友人に何度も誘われたが、自動化されてギラギラした蛍光灯(今はLEDらしい)の真下のパチンコマシンに恐れをなして店外に脱出。それだけに到底単独ではお邪魔できない。深夜なにげなく見たTVで、3人のタレントがパチンコとスロットルが合体の「パチスロ」で競い合っていた。

 そのときの店内の状景をみると、コンピュ-ター制御で総てが動いているようだ。スラリとしたギャル店員が景品交換主なようだ。他の店員はロボットに使われているようだ。  
まるでロケット打ち上げコントロール室みたいに思う。
これでは今更ぼこ爺はパチンコ屋の軒下すら行けない。
それだけに戦国武将やタレントらが出現する機械をコントロ-ルする(されてる)ことには恐怖感を覚えるのである。

 だからこの広告のパチンコ群地図を見てもさっぱり判らんし、誘われても棺桶に足を突っこむまで、お断りである。

玉を一つづつパチンと弾いてジャラジャラと受け皿に貯まるのが楽しかった、あのころのパチンコ台

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


自慢の腕も、もう遥かに遠い存在になってしまったわ

2013-01-27 14:16:43 | 日記

  本箱の上下の間隔が大きいので、中間に棚板をつけようとしたが、ホームセンターに適当な寸法の棚受け金具がない。ならば自作しかないが、久しく工作から遠ざかっている。といっても友人に頼みにくい。

 大小金槌、万力、金鋸、グラインダー、電気ドリルや半田ごてなど、ノコギリ、ノミ、カンナなどや小物類。そうした工具道具類がまあまあある。これらを使って児童らに教えていた、ジュニアサイエンス(科学のモノづくり教室)の教材用の材試作品を数多く作る為、フルに活用していた。

 だが加齢とともに肉体の衰えに伴い、数年前から、これらは後輩のスタッフに委ねていた。 
それでも自作しか
方法がないので作ることにした。
作業は10ミリ×3ミリのアルミ板を万力に挟んで、所定寸法に切断。さらにステーと本箱の側板に取り付ける穴を電気ドリルで穿孔。そして万力に挟んで所定の寸法に折り曲げ、木の棚板も切断加工して作った。

 こうした一連の作業は技術的、時間的には、一昔前までは2~3時間ぐらいで出来たが、この度は1日中もかかってしまった。しかも出来栄えも良くない。とくにつくづく痛感したのは、たった4箇所に3ミリのネジを締め付けるのに、何度も指先でナットやワッシャーなどがつまめず、何度も落としてはつまむことで手間どった。

 そして、ようやく棚板の取り付けも完了。まあまあの出来だが、やっぱり手先の老化現象を現実に体験して、かって自他共に器用さを自認していたこの腕は一体何処に行ったのか・・・と、チョッピリ寂寞感を抱いたのである。それでもこんな拙い文章でも書けるよう、脳内の衰えの進まないように祈りたい。 

ーこれだけの金物の加工に1日中もー    

ーあぁ3ミリの小ネジ、ナット、座金がつまみ難いー