電車内で嬌声が否応なしに耳に入ってくる。ギャル連中が「アイフォーン5」に換えたとか、これからだなどなどと姦しい。そして「アプリ」だ「ダウン」をしたと言って得意顔の大声。そんな甲高な黄色い声がひっきりなしに、補聴器を通して耳に入ると、こちらがダウンだ。
そのスマホは、これ1台で何でも役立つという、まるで万能薬のような効能書に錯覚させられる。パソコンに比べればたしかに操作が簡単だから、ネコも杓子もと急速に普及していく。目的のアプリケーションソフトをダウンロードすれば、魔法のように言うことを聞いてくれる。そしてダウンロードの料金も専門的な特殊なアプリでなければ、それほど高価ではないから若年者でもとっつきやすい・・・・が、ネットの通信料金が相当かかるようだ。
とにかく欲しいと思うものは、この「魔法の鏡」が助けてくれるし、ある程度の欲求も満たしてくれるので、今後も急加速でケイタイから移行していくであろう。私が知る範囲でも、電話やメールは勿論、辞書、地図、書籍、飲食や買い物の品選びと行く先案内や予約。そして料理のレシピなどなど枚挙にいとまがなく、その殆どが応えてくれる。ただいい気になって重宝がると、月末の請求額を見てビックリするだろう。
最近のものでは、外出先からエアコンや防犯監視カメラ監視や操作が出来るリモコンにもなる。もうこうなると、今も、そしてこれから先は、もっと高度化されることになるだろう。そして自分の手足のように働いてくれる「魔法の鏡」が素直に役立ってくれる。そして極端に言えば 、男は女を女は男を必用としないという事態になると地球はどうなってしまうのかと、まことにオソギャあ事態になっていく・・・・と、想像するだけでも背筋が凍りそうだ。
つい最近の新聞に、「スマホで墓参り」をする人たちが増えつつあるという。すでに「スマホ」に取り込んである墓と遺影の画像を呼び出し、宗派別40種のなかから選んで、僧侶の読経や木魚などの鳴り物を「スマホ」から流す(アプリ)が好評で、すでに1万件も売れているいう。たしかに彼岸や盆の墓参りができない現代人に受けているというが、わがボコ爺には何とも解せないし、スッキリしない。万障繰り合わせてでも、墓前で先祖や故人に手を合わせて詣でるのが当然である。不可能のなら自宅で遺影と水と供花して手を合わすことで、慰霊になるのだが。
それをいかに便利な世の中であっても、墓参の変わりに「魔法の鏡」で事足りるという発想もおかしいと思う。業者がアプリを開発しても儲けようとする意図は理解するが、何もここまでもと思いたくなる。今やお財布ケータイや口座振込みも当たり前。もし今後、畳の上に座して(いや寝転んで)すべて「スマホ」事足りるといった事態になって人間本来の能力、体力そして気力までが喪失するとなれば、「スマホ」の機能を野放しにしてはいかんと、年寄りの冷や水的な懸念を抱いているんだわ。
ちなみに、わがボコ爺は現状の「パソコン」そして「ケータイ」のキーを叩いて、事足りているので、ガラスを撫でる「スマホ」などの端末機器は、棺桶に足を突っ込むまでには使うこともないだろう。
「 私たちはこんなに軽いかね」とご先祖様が嘆くわ