ぼこ爺のまだら雑記

じじいがブログをはじめました

ハサミで切り刻んだら・・・腹の虫が納まったわ

2012-06-11 15:32:05 | 日記

 

 一週間ほど前に家内バアさんが、裁縫用裁断バサミをに換えたので、お下がりを頂戴した。長年愛用していたが、娘から新品をプレゼントされたものである。しかし中古のお下がりとはいえ、厚手の紙が軽く切れるので、今まで使っていた切れ味の悪い愛用のハサミは、早速分別回収ゴミ行きに決定。

 そこで、切れ味を試してみることと相成った。ちょうど手元にプリント不良で破棄するA4サイズのP.P.C紙が3枚あったので、短冊形に切ってみた。さすがに裁縫の裁断用だけあって、中古で老いたりとはいえシャキッと切れる。

 翌日、朝刊新聞にどっさりとついてくる広告に一通り目を通したあと、ふと広告を切ってみようという衝動に駆られた。切れ味もいいから束にして切ってみようと5,6枚重ねて切ってみたが指は痛くない。こうなればもっと細かく刻もうと、ぼこ爺の悪巧み心が沸いてきた。あとはハサミ任せ、指任せでどんどんと切り刻んでいった。気付いたときは紙吹雪が山になっていだ。

 その紙吹雪の山を眺めていると、おやおやこれはどうしたことだ・・・と言いたい現象が起きた。それは三日前、ある人に理由もなく罵倒されので、どうにも腹の虫が納まらぬままこの日まで引きづっていた。そんな状態のなかで、この紙吹雪つくり(?)が、いつの間にか腹の虫を追っ払ってくれたのである。おぁこれぞ大発見とばかり、この日を境にほぼ毎日、最低5,6枚の広告刻みで紙吹雪づくりと相成った・・・というわけである。

 こうして指や手を動かしているときは、我を忘れて無心になれるのである。よく考えれば、人は何かに夢中になっていると世の憂さを忘れ、ときにはストレスも吹っ飛んでいくようだ。つまりこの広告紙吹雪作りこそ、吾がぼこ爺にとっては、まさしく怒りを納め、ストレスも解消といった、ゼニのかからん精神健康法であるかもしれない。

 ただ、部屋のあちこちの片隅に掃除忘れの紙吹雪の残骸をバアさんが見つけて文句をたれるのを耳にすると、チョコットばかりわだかまりが残るが、まぁしょうがないわ。

  これで憂さ晴らしができるわ

 

 


もう一遍言うけど、自分の身体髪膚は親の授かりものだ

2012-06-08 13:03:06 | 日記

  刺青(イレズミ)論について、数人の方からコメントがありました。中には世間知らずのジジイはもっと勉強せよとか、いまは当たり前に是認されとる現象だから、目くじらを立てるな。・・・・などなどといったお説を頂戴しました。

 至極ごもっともなコメントだと思います。これについては、ぼこ爺でも今のご時世では決して奇異ではないと認識しているつもりですが・・・。たとえば、この先のフアッションの世界では、アット驚くタメゴロウみたいに変遷するかもしれんが、まぁそれなりに悪くはないと思っています。

 ちなみに顔あるいは全身に化粧やイレズミを施すのは、未開の原住民のフアッションでり、異性に関心を持たれたいと願うのは、当然な行為ではないだろうか。そんな人間の本能が古代から現代まで形態を変えながら推移してきたのは当たり前だと思う。それが肩、腕や手足の一部に、キャラクター風のタトウ(刺青とはいわない)をすることも理解できるが・・・。

 しかし、このようなフアッションがもてはやされる今の社会でも、なかなか是認し難い風潮が強い。江戸時代に犯罪の数だけ、イレズミを増やす罪人。ヤクザや暴力団員が庶民に対し、示威したり誇示するための刺青など、イレズミニに対する罪悪感のイメージがあって、一般の庶民感覚からすれば受け入れ難いのも事実である。それが公僕である公務員は自己の立場を思慮すればやるべきでない。だから市民の目に触れる部署から移動させるのは当然ではなかろうか。

 そこでぼこ爺は再度強調したい。自分の身体髪膚は自分であっても自分のものではないということ。たとえ憎い親であっても、この肉体は両親そして祖父母はたまた先祖から受け継いだに肉体には変わりがない。仏典では、事故の怪我や病気の手術で身体を傷つけることは大罪だという。ましてや自分の意思とはいえ、いれずみ(タトウ)を他からの施術でやることは、いかがなものかを訴えたかったのであります。

 

 

 


1銭でも払うお客さまには親切丁寧に応対してください

2012-06-06 10:03:31 | 日記

 昔、「お客様はカミサマです」と言った大物歌手がいた。当時ぼこ爺は自動車の販売会社で、お客様と対応する機会が少なからずあった。だがすべてのお客さまと円滑に和気あいあいと接するというわけにはいかない。心で泣き、あるいは胸中の憤りを抑えて顔で笑って対応したことも、しばしばあった。とくに相手企業との交渉事では成り行き次第で、思わず声が荒立つ寸前ということを思い出す。

 2.3日前の新聞、あるいはTV報道で、格安航空(LCC)会社の『スカイマーク』がお客様にたいして画期的(?)な対応を発表したことを伝えた。その中味を見てぼこ爺は唖然としたのである。前月の8日のブログでも少し触れたが、LCC航空は狭い座席、ノー飲食サービス、遅れや欠航お構いなしといったことは、まぁ安いから諦めて寛容できるであろう。しかし今般、他のLCC航空会社に先駆けたやり方を、たぶん他の各社もほぼ同様に追随するだろう。

 そこで、今般スカイマークが発表した、乗客サービスの内容を間単に列記すると・・・●荷物の収納は客がやれ●乗務員は気にさわる客には厳しく叱る●乗務員のメーク、ヘアースタイルなどは自由●会社支給の衣類を着用する以外の服装自由●私語の文句は受け付けん●泣き叫ぶ幼児の苦情も受け付けん●地上乗務員よりも客室乗務員の指示優先●機内の苦情は一切受けない。文句があれば「お客様相談センター」に不満を言え。まぁ、ざっとこんな具合だ。これじゃまるで軍用機の壁際の座って、上官の言うままにしろと同じだ。

 いや、軍用機の兵隊はタダだ。客はいくら安くてもゼニを払って乗っている。そしてこのLCC機には有り難く乗せて頂いている・・・と言ったほうが当たりかもしれんがね。そこでフット思い出した。あの忌まわしい戦中戦後の食料難で田舎まで汽車に乗って必死な思いで買出しにいったことを。ゼニを払って、超超満員のスシ詰めの木箱のような客車(貨物車並み)に乗ったことを。そして駅員にボロカスに叱られてだ。  まぁこれとは比較できんが、またそんな時代に戻たったらえりゃあこったわ・・・と、ぼこ爺の頭をよぎったがね。

こんなやり方がうまくいくと、他のLCCまでもやりかねない。そして大手の会社までも模倣する。もしかすると世界中が・・・と思っただけで、しわがれジジイの身体が凍りついた。どどのつまりは新幹線も高速バスも、そして客船までもと際限なくいったらどうなるだろうか。しまいには乗り物だけに留まらず、社会の総てで、ゼニ(税金)を納めた挙句に、叱られ、どやされ、そして文句も言えない社会構造になったら、どないになるんだと、寝床で悶々としてしまいそうだ。  まぁ万が一でもそんな事態にはならないであろうし、単なるジジイの世迷いごとだわ・・・と、一笑に付してくだされ。

 格安のLCC航空が、あの買出しの汽車みたいに

 ゼニをとって放ったらかしせんように願いたい・・・   

              

 

 

 

 


親から授かったこの身を汚すとは・・・とんでもハップンだ

2012-06-04 16:31:25 | 日記

  大阪市の橋下市長が、市の職員で『刺青(いれずみ)』を彫っているものは申告せよと、お触れを出した。調査の上でそれなりの処置をするという。まあ首にはできないが、来客の受付窓口担当者の配転、移動(左遷とは言わないが)は当然だと思う。申告を無視もしくは拒否したものは、厳しい処置をするという。

 そもそも公僕といわれる役人がイレズミとは、まさに言語道断と言いたい。わが国では、刺青(タトウ)を入れている者はを決して好感を持たれない・・・というよりも敬遠や忌避される。 ぼこ爺が幼少のころ、(戦前)浴場で倶利伽羅紋々のイレズモを身体いっぱい入れた散切り頭のオジサンを良くみかけた。湯の中ですれすれに寄ってくると、声にもならん声を出しながら、慌てて洗い場へ逃げたことが再三あった。とにかく子供心に恐怖を抱いた。

 暴力団対策法が平成20年に施行されて以来、ホテル、集会場、劇場など、また大衆浴場や海浜などには、イレズミの連中を排除する機運が高まり、随分減ってはきたが、彼らは内に向かっての鼓舞、外には示威を示す手段として、イレズミは効果的だとしているようだ。だが昨今は、イレズミをアクセサリーの一部として若い世代に蔓延しており、これは世界的風潮のようだ。だから昔のような背中、腹部、でん部ではなく、肩、手、足で部分的なイレズミを入れて仲間同士が競い、自慢しあっている。それが大阪市の職員にも蔓延しているようだ。

 しかしこのような公務員の風潮は、大阪市だけではないだろう。多分全国の市町村も然りではないだろうか。だが、一般市民はイレズミを入れてもらうために税金を出しているのではない。今夏は節電のためには、クールビジネスウェアーを羽織る事が余儀なくされる。そんなとき、手足や肩が露出すると、いくら可愛いキャラクターであっても、、市民に目を背けられるだろう。だから橋下市長が号令するのは、当たり前のことであろう。

 これは役所だけではない。一般の企業でも言えることである。だからイレズミは違法ではないが役所であれ民間であっても、労組がとやかく声高に叫ぶことは無いと思う。とにかく、羽織っていれば目に見えない部分に、小さなキャラクターや花、動物だからイイジャヤンと言う連中に言いたい。何であろうと親から授かった我が身のどんな部分であっても傷をつけるなと。例えば、小さな怪我でも親は痛いのだ。あえて言えばイレズミは、自傷行為であるといっても過言ではない。

 そこで或る仏教の教えを紹介しよう。『我が頭は父母の頭、我が足は父母の足、我が十指は父母の十指。我が口は父母の口なり、たとえば種(タネ)と菓子(コノミ)と、身と影のごとし』

 ◆肩や腕だからエエというものじゃないわ 

            あんまり気分のいいものでないわ