ぼこ爺のまだら雑記

じじいがブログをはじめました

使わなきゃ損だぎゃあと言うなかれ

2012-04-07 16:30:29 | 日記

  アァ・・・いつにまにかぼこ爺は85才の超高齢者の部類になったてまったわね。先月の22日が誕生日だが、自分自身は気付かない。しかも家内バアさんも気付かず、娘夫婦も然りである。ところが・・・二人の孫の一人は電話で、もう一人はメールで誕生祝いの言葉を贈ってきた。恥ずかしながら孫に教えられて知ったというお粗末さである。

 そこで85才になると市から「タクシー乗車券」の支給を受けることになった。これは24回乗車(1ヶ月当たり2回)のチケットで、初乗り運賃だけはタダだ。それ以上の差額は客が実費を支払う。それでも初乗り運賃の680円だけでも市が負担してくれるのは有り難い。

 そこで近所の先輩老人はこんなことを言う。「おみゃあさんも、やっと貰えるようになりゃあしたナモ」。それを聞いて、有り難いと思う反面、何だか侘しい気持ちにもなった。それだけお迎えが近くなったという証拠の割引切符を貰ったようなもんだがね。「せっかく市が呉れたもんだから、余さんように使い切りゃあよ」と先輩は宣う。

 タクシーで遠方に出かけることはあまり無いし、市内のほとんどの場所は歩きか自転車だ。自宅から私鉄の駅までは初乗り運賃で済む距離だから確かに有り難い。だが降雨や体調が不調ではない限り使いたくない。 だから先輩の老人達が言う、使わな損だといった気持ちにはなれない。彼らはこんなことをやる。1,3キロ先の公民館へは徒歩で十分の距離だが、年下の老人達を交えてタクシーに満席(5人)で乗って公民館に行く。当然初乗り運賃で済み、キッップを使った老人はイイ顔をする。そしてこんな遣りかたを先輩老人たちが使いまわしていく。

 公民館だけでなく、初乗り運賃の距離までの施設やコーヒー店まででもやっとるようだ。老人を労わる手段の一環ではあるが、わがぼこ爺は今ひとつ合点がいかんですわ。貰ったら使わなソンだという感覚の持ち主にはなりたくない。よく考えればこれは決してタダじゃない。これも含めて福祉に使う費用の元は「税金」で賄われていることを、よう考えないかんではないかと・・・・。

 ともかく権利を間違って行使するばっかではいかん。年間で全部使わんでもエエし、使ってもほんとに必要なものに使うべきだと思う。よくある年度末の駆け込み公共工事やその他の行政を無駄だとお上を非難するよりも、老人福祉が最優先だと声高に叫ぶ、老人も納税者だ。だからよく己を省みて《お与えものは使わな損ソン》だといった心根は捨てて欲しいと願う85歳になった後期高齢者の一人である、ぼこ爺っである。

 こんなことを書いている最中にフト思った。降雨のなかで両手に荷物を持って駅まで行くのには、自転車あるいは歩きは出来んから当然タクシーに乗る。近々そんな事態があれば、さっそく「タクシー乗車券」の第1号が有効に行使できるのではないか・・・と。

タクシー料金助成利用券の表紙(一部塗りつぶし)