ぼこ爺のまだら雑記

じじいがブログをはじめました

2日続けてジジババの年中行事ははだか祭でお参りですわ

2012-02-05 19:04:47 | 日記

  

   はだか祭本番前に男衆がお払いを受ける

                                           

 3日の節分行事もとどこうりなく済み、翌4日には、稲沢市のはだか祭で知られる「国府宮」にジジババが参拝に行ってきましたわ。これは「尾張大国霊神社難追神事(おおくにたまじんじゃ、なおいしんじ)が正式の神事名だ。一般的には「国府宮(こうのみや)はだか祭」という。難追神事は旧暦の1月13日であるから毎年日程が違うのだがね。(昨年は15日、一昨年26日)

 私たちのはだか祭参拝は半世紀近く前は、参道で勇壮なハダカ男の熱気に触れて気分が高揚した若い時代の年中行事であった。だが高齢な二人にはそんな気力もなく、危険も伴うので20年ほど前から、午前中に参拝を済ませ「難追布と神札」を買い、居並ぶ露店で串カツを2本ずつをたっぷりとソースに浸し、キャベツを突き刺して口にする。これもジジババのささやかな年中行事かもしれんがね。

 また帰宅の途中で、隣接の一宮市のある路地の「うなぎ屋」に立ち寄り昼餉の「うな丼」を頂くのも年中行事のひとつである。このうなぎ屋は現役時代、この地域の支店に勤務していたときからの贔屓の店だ。クルマに乗っていた頃は一家でしょっちゅう食べにきたが、今は年1回の七夕さんだ。半世紀の間に店主は3代目だが、ここに寄ると何かホットした気分になるがね。

 ちなみに、どんな店かチョット触れてみよう。外見は変哲もない日本家屋で、文字がやや剥げた「うなぎ屋」の看板だけで客が25人ぐらいで満席という古い店である。ただ連綿と守られているのは、名水で知られる「大垣」の淡水で育てられている「鰻」である。そして「鯉」や「鮒」もこの「大垣産」ものを仕入れていること。

 私たちの「うな丼」はいつも3段階の(中)である。ウナギもメシは適量で値段も手ごろだ。それでも適度の脂身と、しかも肉厚でタレもくどさがない。まあ一流の店に引けはとらないと思って堪能している。うな丼と吸い物、香の物で1,260円、鯉のあらい(刺身)400円、お銚子2本700円で2人で〆て3,600円ですわ。

 これで私たちジジババの「はだか祭」の神事祈祷と関連行事を済ませ、節分と2日続けて年中行事は終わったわ。帰宅して神棚に御神札を収納し、枕の中に難追布を入れてホッとしたわ。アリガタや・・・こうして行事につつがなく参加させてもらえたことを心から感謝の気持ちで一杯だぎゃあ。

 

《大鏡餅(50俵分)は本殿の中

手前の中鏡餅を撮影》    《1年を守った難追布をお返し》                                     

 

1、260円の名水大垣産のうな丼

 

 

 


年中行事の福は内鬼は外を今日もやりましたわ

2012-02-03 19:17:36 | 日記

 

 世間なみに、我が家も節分行事を恒例どおりやりました。昼前、紛失した皮手袋の代わりを求めてバアさんとスーパーマーケットへ出向いた。気に入った皮手袋を買ったついでにお値打ち品のセーターとカーデガンも買い、気分は上々だ。

 階下の食料品売り場で晩酌の肴などを買い、別のコ-ナーに目を遣ると3箇所が人だかりだ。「あれは何だ」と興味を示すと、「今日の節分に食べる恵方巻きの売り場だがね」とバアさん。当然我が家も買うので品定めだ。売り場は、惣菜コーナー、寿司コーナーそして臨時コーナーの3箇所で客たちがお思い思いに「恵方太巻き寿司」を物色の真っ最中である。

 ジジババ2人だけでは具沢山の太巻きはモッタイナイ。手ごろのもを買ったがバアさんは、3.4割ほど高いと言う。まぁ利によって賢しが商売だからしょうがにゃあわ。嫌なら買わん権利はこっちにあるでよう。ふと菓子のコーナーには恵方巻きスィーツが処狭しと積んである。これも便乗商売だわ。この戦法で、色々な具を詰め込んだ太巻きおでんを売ったら・・・とつまらんことが頭をかすめた。

 帰宅してイワシの買い忘れに気が付いたが寒いので二人とも外に出たくない。ならば冷蔵庫の「ししゃも」で代用とした。おっとと肝心な豆は・・・これは早めに煎り豆を買ってある。昼はさっそく太巻きを持ち、今年の恵方である甚目寺観音の方角に向かって一礼してカジリつく。だがジジイの口は小じんまり口」(?)で一気にほほばれん。食卓は具がこぼれて散乱状態になった。去年までは一口だったがな~・・・思わず悔しがったわね。くそっ・・・バアサンは済ました顔でほほばっている。

 夕方の5時過ぎ、毎日の仏壇の勤行をすませてから本番の豆まきを始めた。子供の頃亡父がねじり鉢巻で着物の裾を端折り、猿股丸出しでヒョットコ踊り姿で部屋のあちこちを回って豆を撒く。長男の私と二人の弟がオヤジのあとに続き、洗面器、鍋の蓋、尺八やハーモニカなをどをみんなが叩き、吹いたりと賑やかに家中を練りまわる。そして各部屋で、「福は内鬼は外」と囃子たてた恒例行事も敗戦直後の食料難で豆は貴重だ。それから数年は豆まき行事は途絶えてしまったが・・・。

やがて二人の娘に伝統(?)を踏襲しょうとしたが、若かりしバアサンと娘らの猛反対で、結局はこの伝統が・・・いや電灯の灯は完全に消えた。以来今日まで二人だけで静かな豆まき行事を続けてきた。そして今日もジジババだけで「恵方巻き」を食べ、小さなマスの「豆」を各部屋に4,5粒程度を「福は内鬼は外」と小声で唱えながら撒きまわりました。

あとは夕餉には刺身の盛り合わせやタラコ、そしてイワシの代用に「シシャモ」を加えて晩酌のほろ酔いである。そして夜10時頃に「節分そば」が胃袋に入れば、今年の我が家のささやかな節分行事が終わるのである。撒いた豆は明日、拾い集めて砂糖醤油で煮からめ、お茶のおやつで食べますわ。だがこんな行事が来年も果たしてできるのかな~・・・と、ふとそんなことが脳裏を掠めましたわ。 

 

  一口ではほほばれん恵方太巻き  この豆の数は私の歳以下だ

                                                      

                                                   

 

 

 

 


おかげで1月はお忘れものが無かった月でしたわ

2012-02-01 13:57:50 | 日記

  早いもので今年もあっという間に1月も終わった。幸いこれといったアクシデントもなく過ごせたようで、とりわけお得意の「お忘れカテゴリー」がなかったのは一歩前進かも・・。振り返ると昨年は両手の指では数えれないくらいの「お忘れ」があった。

 人は加齢とともに忘れっぽくなっていく。必要とする或るものを取りにいった場所が乱雑になっていたので、気になって整理する。終わってから自分がなぜこの場所にいるのかと思案する。しかも目的物も持たずにそのまんまで戻る。そして何を取りに行ったかも思い出せない。また3時間前の食事のメンディッシュのオカズが思い出せない。

 こんなことは私には日常茶飯事で、さほどに痛痒を感じませんわ。たまたま昨年の日記をほもどいてみると、なんとなんと「お忘れ記事」の多さに今更ながら驚きである。そこで一体どんな忘れごとがあったか改めて述懐しつつ、小恥ずかしながら抜粋してみましたので笑止千万でご覧下され。

 老眼鏡はどこでも置き忘れ 日記のお忘れ記事は赤傍線で                                                                    

《会合日を忘れた》 

 カレンダーの予定欄を見た家内に指摘され、会合場所へ急行するも終了20分前。会費を4000円出しても、殆ど飲食は口にできず、話題にも加われずだった。

《カメラや携帯などが入ったショルダーを置き忘れた》 

 デパートで買い物のあと、休憩椅子で一服。だが地下鉄乗り場でバッグ忘れに気付いた。休憩場所には無く、諦めたが案内された警備室に届けられていて一安堵。

《財布を忘れて足止めされた》

 初めての病院の支払いで財布の忘れに気付いた。急遽タクシーで家内を呼んで支払いを済ませて無事放免(?)。帰宅後夫婦間で何が起きたかは、ご想像あれ。

《観劇の前売り券が行方不明》

 ジジババが一張羅を羽織り自宅を出発直前のこと。有名な大物役者の芝居の観劇前売券が見当たらない。しばし互いに観劇券の保管のかずけあいになり一悶着。結局は券が見当たらず、観劇は断念。貧乏人には莫大な損害。未だ不明だ。

《貴重な薬をバスに置き忘れだ》

 病院で診療後、薬局で6種類の1か月分の高額な薬をもらってバスで帰途の際、傘に気をとられ、薬を置き忘れて下車。帰宅して置忘れに気付き、バス事務所にTEL。数時間後にどこにも無いという返事で諦める。翌日再度買い(?)に行った。

《カメラにメモリーカードの挿入を忘れた》

 科学のモノづくりを少年少女に教えているが、野外研修会の見学に引率。様々な場面を撮ってアルバムにするはずが、メモリーの入忘れで少数しか撮れなかった。

《遠距離先の喫茶店で帽子とメガネを置き忘れた》

 友人と、ある遠距離先の博物館を観覧後、駅近くの喫茶店で休息した。その日は陽気が良く、しかも友人との会話も弾んで気分良く帰宅した。だがいつものクセで帽子を脱ごうとして置き忘れに気付く。被り忘れて気が付かぬ自分が情け無い思いだ。しかしその喫茶店名も判らず、往復交通費が古ぼけた帽子とメガネの価値(?)を上回るので断念。これをがキッカケで新品になって災い転じて福になった。

《安物買いのゼニ失いだった》

 あるものをさんざんネバって値引きをさせて気分良く帰った。ところがバッグを開けるとブツが無い。店に問い合わせると、お忘れものを預かっているという。結局は余分な交通費が嵩み値切り前よりも値段が上回った。あぁ餅より粉が高かったわ。

《お塔婆を駅に置き忘れました》

 檀家寺の参詣を済ませて、お塔婆を風呂敷にくるんで地下鉄駅のベンチで電車待ちをしていた。電車に乗って4,5駅先あたりで家内からお塔婆を持っていないのを指摘された。二人は慌てて下車して急ぎ元の駅に戻ると、有りましたお塔婆さまが。あぁよかったと安堵する二人。こんなものは誰ももっていかんわと言った途端にバアさんから厳しいお叱りを頂戴しましたわ。

《暑中見舞いのハガキが寒中見舞いになるがね》

 8月中頃、15通の暑中見舞いハガキを翌日投函するつもりで引き出しに入れた。そして投函したと思い込んだまま引き出しに仕舞いこんでいた。12月になり年賀状づくりのため、その引き出しを開けてビックリ玉手箱・・・じゃない。溜まってた箱だ。

 こうして日記をひもどくと、まだまだあるが、書き出すと際限がない。これ以上白状すると大恥掻きだから、このあたりで打ち止めにしますわ。こんなみっともないのは、イイ歳こいて私ぐらいだろう。幸い1月は大事もないからこの調子で今年は《忘(ぼう)》の漢字一文字にならぬよう慎重に行動せなあかんと思うがおかげね。ダャレでいうならば、忘はぼうだから「ボ~ッ」としないことが肝要ですわ

 貴重品が入っていたショルダバッグ   

                      帽子と老眼鏡はお供だ