ぼこ爺のまだら雑記

じじいがブログをはじめました

地震の巣に生まれ、活断層の上で天国行きも運命だわ

2012-11-07 12:35:41 | 日記

 朝刊一面トップに「名古屋中心部に活断層か」と大きな見出しが・・・。だがボコ爺は冷静にこれを読むことができた。このところ全国至るところが活断層、かつだんそうの記事のオンパレードだ。それも40数基ある原発の大多数が活断層の上に鎮座していると、マスコミが暴きたてる。

 ならば原発を全部停めるとなれば、特例法案で歳入したものがみんな吹っ飛ぶ。その上、火力、水力、太陽光、風力とあらゆるエネルギーを駆使した発電所を最大限活用ともなれば、相当な値上げしても追っつかないし、国家予算の大幅な食いつぶしにもなりかねない。

 そんな風に思い詰めると、小手先であれ大手先であろうと手立ての方法はないだろうと諦めるしかない。この先の世界の趨勢はもっと低迷が続く傾向にあって、少なくともボコ爺の目の黒い内に、あの金余りのような好況はやってこんだろう。

 冒頭に戻すと、ボコ爺の住まいである名古屋郊外の小さな田園都市ででも、絶対に活断層という船に乗っかているに違いない。この地はかって120年前、濃尾平野北西部の大地震で、死者7000人余と14万戸の家屋倒壊の被害があった地域だから(地震でできた根尾大断層)いつ再びあるかもしれん。

 今になって、識者や国も、そしてマスメディアが騒ぎ立てるのは、もう遅いといっても過言ではないだろう。済んだことをとやかく騒ぐより、われわれも同じく、立ち止まって落ち着くことだと思う。日本国中の活断層のひび割れだらけの船に乗せられているのを、よーく銘記すべきだろう。耐震を施したどんな高層ビルであっても、或いは地下街や地下鉄も、もし船の底が破れ抜けたら、ひとたまりもないと、想像しただけでも慄然とする。

 だがボコ爺の私は生来から《運命論者》または《宿命論者》である。神ならぬ身である以上、どんなに人智を尽くしても、その定めには絶対に逆らうことは出来ないのであると信じている。人の運命は切り開いて変えれるともいうが、所詮はこの世に呱々の声をあげて生を享けたその瞬間から天国に召される時までの「悲喜」や「善悪」などの定めがあると信じている。

 例えば人身事故に関わることでは、不測の交通、火災事故、水難や転落など然り、また普段は耐震構造物に居ても、たまたま対策の無い建物に居て倒壊の下敷きになるかもしれん。若しかすると畳のへりに躓いて顛倒することも。かように自分では予測できない時に、そこの場所でケガや死亡の運命が待ち受けている。

 これには絶対に抗し切れない、そして逆らえない運命(宿命)の定めだと信じているのですわ。とは言え、様々な予防措置を無視すべきでないし、遵守することは肝要である。今こうしてブログの記述が終わり、《投稿ボタン》をクリックすしたとき、何事も無くても、あっても、これがこのときのボコ爺の運命ですわ。

     愛知県や岐阜、三重もヒビ割れの船に乗っとるがね

    

 

 

 

 

  


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