ぼこ爺のまだら雑記

じじいがブログをはじめました

だんだんとアウンの呼吸が合わんようになってきたわ

2013-01-10 14:09:27 | 日記

  あぁ今年もボコ爺は、またまた悲哀を蒙る1年となるだろうか。
たしかに歳を重ねるにしたがい、物ごとに疎くなるのは否めないし
ましてや目は緑内障を患い、右目だけの一つ目ジジイ。そして聴力の低下で補聴器をつけても言葉の内容を取り違えたり、聞き漏らしたりする。挙句に筋力も弱くなって、物をよく落とす。

 それらのフアクターが重なって動作が緩慢になってきたから他人さまでは歯がゆいだろう。
しかも日常,否応なしに一つ屋根の下のバアさんにしてみれば尚更のことだろう。

 それだけ多大な迷惑を蒙らせとると思うだけでも切ない。だが肉体的欠陥と衰えはもう挽回不可能だと言えるし、勢いのあった若さ漲るあの時代はもう戻らないことは言うまでもない。

  そんな状態の年寄りは、4,5年ほど前から、あの若き時代のツーカーが段々と通じなくなる気配となってきた。そして昨今では夫婦が互いに一歩具体的に言わないと、どちらも瞬時に理解しにくくなった。
もう目と目や仕草だけでは、その意味を読み取ることも疎くなってきたようである。

 したがって「あれ、それ、これ、あっち、こっち」だけでは、瞬時に理解できない。つまり「主語」がない《阿吽の呼吸》が合わなくなったということ。当然、長年連れ添ったのだから、細かく言わなくとも・・・と思われるが、もう私たちは往々にして呼吸が合わないことがある。

 それゆえに、日常で誤解、曲解などがありながら、何となく腐れ縁で生活しているということだろう。
あっち、こっち、向こうに、此方に、下のほう、上のほう、あの棚の上、横、そこの引き出しの中・・・」などなど、自分で判っているつもりが、うけるぼこ爺は、ウロウロしてしまう。

 まぁ私にもままあることだから、お互い様かもしれない。そして一瞬名詞をド忘れしてしまうのは誰しもあるかと言えるかもしれないが。「もうムチャクチャでござりますがな」と昔々一世を風靡した、漫才師の(花菱アチャコ)のギャグだが、若しかすると私たちジジババ夫婦はいささか当て嵌まるようにも思うがね。

 日に2回の点眼と補聴器を着用しても、阿吽の呼吸が合わんがね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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