ボーア人(Boer)ダイヤモンドの発見に大きく係わった人種ボーア人
ボーア人は1600年頃から南アフリカを支配したオランダ系移民が土着のアフリカ人となった場合の呼称。
オランダの支配していたケープタウン周辺にだけ住み着いていた白人層と白人層との間に生まれたアフリカ人とのハーフもボーア人と呼ぶ。
ダイヤモンドの加工でも大きな力を持ってい有るオランダがダイヤモンドの産出国の最初の支配者と言うのも興味深い事ですね。
実際3~4世代にわたってアフリカで住暮らしているオランダ人にとっては血はオランダでも祖国はアフリカであってオランダは異国と言っても過言ではない状況だたと推測されます。
実際3~4世代にわたってアフリカで住暮らしているオランダ人にとっては血はオランダでも祖国はアフリカであってオランダは異国と言っても過言ではない状況だたと推測されます。
1600年頃のオランダによる東インド会社は日本の徳川幕府ともつながりが深く、大坂夏の陣で大阪城の天守を破壊した大砲がオランダ製である事からも、この地を抑える事は以東エリア、インドやタイ、中国など東アジアへの海洋交易の覇権に結びついたことは容易に想像できます。
〇アメリカ独立の余波はアフリカまで波及して世界の覇権を塗り替えた
状況が一変したのは1795年頃から、アメリカの独立戦争の裏で繰り広げられたフランスとイギリスの対立に巻き込まれたオランダは本国では無く本国以外の支配地域(植民地)をイギリスの攻撃によってほとんど失ってしまいます。
事実上壊滅していたオランダ海軍ではイギリスによる海上封鎖と遠隔地攻撃を防ぐ手立てはありませんでした。
オランダはこのタイミングにケープタウンをイギリスに攻め落とされ占領されてしまいます。
オランダはこのタイミングにケープタウンをイギリスに攻め落とされ占領されてしまいます。
8年後の1803年に一度奪還しますが直後の1806年にイギリス軍に再占領され、1815年のウィーン議定書によってケープタウンは正式にイギリス領となるとケープタウンにはイギリス軍艦が押し寄せ、200年以上続いたオランダの支配は終わりを告げます。
移住してきたイギリス人に住む場所を奪われた土着のボーア人は海沿いからアフリカ内陸へ移動を余儀なくされます。
こうしてホープ港の権益はイギリスに奪われてしまったのです。
しかし土着のボーア人達はオランダへ戻る事はしませんでした。
オランダは海軍兵力の回復が出来て居なかったためにアフリカに支配地域が無くボーア人達は行き場を無くします。
そこで沿岸部を諦め住み慣れたアフリカで新天地を求めて内陸へ移動していったのです。
それまでアフリカは文化の無い不毛な地で、内陸にはわずかな農作物と奴隷くらいしか交易品の無い土地だと考えられていました。
それまでアフリカは文化の無い不毛な地で、内陸にはわずかな農作物と奴隷くらいしか交易品の無い土地だと考えられていました。
実際に文字文化の無いアフリカには広大で不毛な未開の地が広がっているだけと考えられていました。
現在のナミビア(西アフリカ)はドイツ領、東アフリカはポルトガル領と沿岸部は船の補給港として重要な地とされていたのです。
現在のナミビア(西アフリカ)はドイツ領、東アフリカはポルトガル領と沿岸部は船の補給港として重要な地とされていたのです。
その為イギリスは土着のボーア人が内陸へ移動しオレンジ自由国とトランスバール共和国の2国の独立を指せたことも気にも留めていませんでした 。
〇金鉱山とダイヤモンド鉱山が発見される
事態が一変したのは1860年代、オレンジ川のほとりでボーア人の農夫の子供がダイヤモンドの塊を拾います。
そしてそれは立て続けに大きななダイヤモンドの発見となって連鎖します。
最初のダイヤモンドを鑑定士た識者が「オレンジ川周辺には同じようにダイヤモンドが有る可能性が高い」と発言すると、オレンジ川のほとりにはいつしか世界中のトレジャーハンターが大挙して押し寄せるダイヤモンドラッシュが起こります。
ボーア人達がイギリス人に追いやられたアフリカ内陸部はダイヤモンドを含むキンバーライト等の漂砂地域が多く点在していたのです。
しかもトランスバール共和国では金鉱脈まで発見されイギリスをはじめとした欧米列強が見落としたアフリカ内部は地下資源が大量に眠る夢の地である事が判明するのです。
ボーア人達がイギリス人に追いやられたアフリカ内陸部はダイヤモンドを含むキンバーライト等の漂砂地域が多く点在していたのです。
しかもトランスバール共和国では金鉱脈まで発見されイギリスをはじめとした欧米列強が見落としたアフリカ内部は地下資源が大量に眠る夢の地である事が判明するのです。
〇遂にアフリカでダイヤモンドの鉱脈が見つかる
そしてついに1880年にはダイヤモンドの一次鉱床がオレンジ自由国内で発見されます。
するとイギリスはこれを黙って見過ごすわけにはいかなくなり、ボーア人達に不平等な交易を強制し政治的な圧力をかけると共に支配地域を奪い取ろうと画策しボーア戦争が勃発します。
初代デビアスの総帥でアフリカのナポレオンと呼ばれたセシル・ローズ等の活躍で1902年にはオレンジ自由国とトランスバール共和国はイギリスによってあえなく滅ぼされてしまいます。
この時トランスバール共和国の自治権の存続とは以前の献上物としてイギリス王室に世界最大のダイヤモンド”カリナン”が献上されています。
この時トランスバール共和国の自治権の存続とは以前の献上物としてイギリス王室に世界最大のダイヤモンド”カリナン”が献上されています。
しかしセシルローズの支配するダイヤモンドのエキスパート・デビアス系では無くボーア人にゆかりのオランダのダイヤモンド加工業社によってカットされ(この加工業者は以前にも歴史的なサイズのダイヤモンド原石エクセルシオールを10分の1以下にクリーピング加工したことが有る)
3,000カラット以上のダイヤモンドは1,000カラット程度のサイズに割られ最終的に530.2ctに加工されてしまいます。(このダイヤモンドは偉大なアフリカの星 【The Great Star of Africa】と呼ばれます。)
3,000カラット以上のダイヤモンドは1,000カラット程度のサイズに割られ最終的に530.2ctに加工されてしまいます。(このダイヤモンドは偉大なアフリカの星 【The Great Star of Africa】と呼ばれます。)
オレンジ自由国とトランスバール共和国は共に南アフリカ共和国の行政区に取り込まれて地方自治権として存続する事となるのです。
現在も南アフリカの白人層の中にはオランダ人系は多く居てその方たちのルーツはボーア人なのです。