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メタボ人の独り言

長崎 蝶 写景 イチモンジセセリ

2009-06-21 | 
長崎は、国内でも支石墓が多い地域である。

この墓制は、朝鮮半島由来のものだ。

朝鮮半島との結びつきを感じる。

もちろん国境や日本人、朝鮮人の区分もなかった時代のことだ。
人々は自由にどこにでも移動し、そして暮らすことができた時代。

現代もこうでありたい。

EU(欧州連合)が一つの解だろうか?


小高い台地にある貝塚近くに支石墓があった。

貝塚を作った人々の長だろうか?

日本人は、文字を使い始めてから外国の文化を器用に取り入れてきている。
しかし、文字がない時代に海外の複雑な情報と道具で構成されている文化を取り入れることは可能だたのだろうか?

どうやって支石墓を墓制として取り入れたのだろう?

取り入れたのではなく、
朝鮮半島からやってきた人々(渡来人)の墓制そのものではなかたのだろうか?

この支石墓を墓制は、僕達のの墓制へどのように繋がっているのだろう?

墓の上に大きな石を置くことは、
自然石ではないが、
そして墓標(文字)があるが、
現在の墓石として
僕達に連綿として繋がって来ているのだろうか?

好奇心が廻る。

イチモンジセセリ」が畑のスイカの苗にとまっていた。
縄文時代にスイカはなかっただろうが、
「イチモンジセセリ」はいたのだろうか?
この蝶の食草は「イネ、ススキ」。
「イネ」は、微妙な時期だが、「ススキ」は、この時代にあったのだろうか?
それとも稲作とともに日本にやって来たのだろうか?

「遺跡にあった説明版」


(2009.05.24 天久保遺跡にて 西海市 )

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