goo blog サービス終了のお知らせ 

Cogito

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

山口泰子さん

2017-06-10 20:43:54 | 日記
山口さんがなくなったという訃報が届いた。山口さんはふぇみん(婦人民主クラブ)の代表も務められた方だ。山口さんとは合成洗剤追放から始まって、婦権、人権、反原発、平和と、様々な分野で一緒に活動してきた。親しい人たちがだんだんなくなっていく。順番だ、仕方がない、とは思ってはいるが、憲法改正が眼前に迫っている今はいなくなっては困る人だった。
冥福を祈るとともに、私もおっつけ行くから、来世で会ったら、また一緒に活動しようね、とつぶやいた。このオバサン、来世なんて全く信じていないくせに。

家にいる

2017-06-10 20:17:10 | 日記
腰痛になって、足をギクらんして、おとなしくしていた。座っていることが多かったのでまたまたいろいろ調べている。

科学の進歩は目覚ましいね、実に楽しい。人類、ホモサピエンスのの発生は、定説ではアフリカ東部、エチオピア付近で19万年前とされてきたが、今回それより10万年以上古い30万年前の化石が発見され、それもモロッコの方だとニュースにあった。人類が世界に広がるのに東部の方が地理的にふさわしいと考えられていたこともある。私の勝手な言い分だが、アフリカからヨーロッパに入るなら、ジブラルタル海峡を通った方が近いだろう。しかも人類のゆりかごはアフリカ全土に広く分布していたそうだ。そのうちサイエンスゼロで取り上げるかもしれない。もっともゼロは30分なので深追いできないのは残念だ。
宇宙ではもっと様々な発見が続いている。系外惑星の発見が続き、恒星並みの高温の惑星も見つかったようだ。これもコズミックフロントで取り上げてくれるだろうな。

友人たちに神楽坂の写真を送りながら、神楽坂のことを調べていた。善國寺の石虎さん、あのかけた部分は戦災のためだとは読んでいたが、それが東京大空襲だとは想像だにしなかった。記録によると、牛込神楽坂も全滅し、善國寺も灰燼に帰したそうだ。となると石虎さん、歴史の証人、あれだけの損傷でよくぞ生き残ったものだ。

パンを焼いた。いつもスーパーカメリアを使っているが、たまたまカメリアを見つけたのでカメリアで焼いてみた。他の分量はすべて同じ。スーパーつきとナシと、グルテンの含有量が違うはずだから、どのくらい違いが出るのかと楽しみにしたのだが、出来上がりはほとんど変わりがなかった。同じメーカーではたいした違いはないのかも。国産小麦で試してみよう。粉は買ってはあるのだが。

ガーナ

2017-06-04 14:58:01 | 日記
先日から頭のすってんてんにガーナ傷を負っていた。血が出ていたが見たときはもう乾いていた。昨夜そこから膿が出ているのに気が付いた。ティッシュで拭き、消毒薬をかけた。すると痛かったらしく起こって出て行ってしまった。ずっと寝ている。化膿して熱でも出しているんではないかとみると、おてんこが山のようにふくらんんでいる。触るよぶよぶよしている。中で化膿しているな、明日、医者に連れて行こう。午前中ならやっているから。
朝、9時を待って電話をして予約を取った。10:40分予約。10:30過ぎ家を出た。ガーナはおとなしい。
猫の傷って傷口がすぐにふさがってしまうので、中で化膿するのだそうだ。傷口をもむとすぐ傷口があいて、膿が出た。中を消毒液で洗って、注射をした。この間はお尻だったけど、今度は頭、少しは強くなったのかな。

神楽坂 横丁散策

2017-06-02 21:39:43 | 日記
昨日の通り雨が嘘のよう。朝からいい天気だ。昨夜は市ヶ谷の私学会館に泊まった。9時近く宿を出て、すぐそばの市ヶ谷駅から電車で1駅、飯田橋で下りる。牛込橋を渡って、神楽坂を登り始める。ネットの中に神楽坂散歩があったのでそれを参考に、ロイヤルhストの横を右に折れ、神楽坂仲通り。そこを進むと左手の芸者新道に気が付いた。ここはかつて色町であった時代芸者さbbたちが行き来した道とかで、江戸時代からの坂道。真ん中がゆったりとした石段になっている。石段の上に通行禁止の立て看板と柵。でも上らずに通り過ぎた。突き当りを上り、左に曲がった。地図を見ながら、横丁を探す、というより石畳の道を探す。本多横丁に出た。本多横丁をゆっくり眺め、神楽坂に出ると善國寺だ。毘沙門さんを祀ってあるようだ。赤塗りの門があり、お国本殿がある。左右に狛犬がいる。あれ、あの狛犬、ライオンみたい、という声に近寄ってみると、なるほど犬ではない。説明を読むと石虎と書いてある。石虎なんて、はじめてみた。しかし迫力がある。喜んでカメラを向けて撮っている。上の写真はその一枚左手にいる吽形の虎さんだ。後で調べると、善國寺は徳川家康開祖となっているが、日蓮宗の寺だった。

もう少し上まで行くと、同じように散策しているご夫妻に出会った。彼らは細い道を通って行く。私も続いて人ひとりやっと通れるような道を行くと、幅はやや広くなり、風情のある横丁になった。盛んに写真を撮っている若い男性が、私もやたら撮ってているので邪魔しないように手を止めてくれた。「勝手に撮っていますから気にしないでください」と声をかけると「初めてですか?」と聞いた。「そうです」「ここは神楽坂で一番古い通りです」「この通りなんていうんですか?}「兵庫横丁です」「あ~、ここが兵庫横丁ですか。どこにあるのか探していたんです」青年は先に行った。ほどなくさっきのご夫婦が戻ってきた。「あそこが山田洋次監督が泊まっていた宿だそうですよ」「どこ?」なんて、しゃべっているとさっきの青年も戻ってきた。「このお兄さんが詳しいですよ」というとご夫婦も「この方に教えていただいたんです」
もっとも私たちは戻らずそのまま下に。湯葉のお店の前を通って、イタリアンのお店も見つけて・・でも朝なのでどこも準備中。食事をしたり、お茶をするには、午後の方がいいな。

横丁の写真はたくさん撮れたが、このブログは一枚しか張り付けられないのでおもしろくない。
それにしても、静かな道だったが、横丁巡りがこんなに楽しいとは思わなかった。