月水食堂のお弁当

地産地消と昭和の香りをコンセプトにした安くておいしいお弁当を届けます。

一杯のにゅうめん

2011-10-23 16:31:22 | 日記
先日、メンバー&スタッフの昼食にカボチャと冬瓜を入れたにゅうめんを作った。

にゅうめんとはそうめんのあったか版。
優しい口当たりで素朴ながら心もぬくまる。これを食べると優しい眼差しのスニッカーさんを思い出す。

スニッカーさんは早朝と夜間の調理員だった。

私が若い頃勤めていた弁当屋は社員寮の中に厨房があった。昼の弁当は社内及び外注で多い時には2000食近くあった と記憶する。

私はそこで栄養士と同じ仕事をしていた。入って半年後、寿退社や突然の妊娠による相次ぐ先輩栄養士の退職により、本来三人~四人で担当していた仕事が新米の私一人にかかってきた。

新卒栄養士が入社するまで、それは想像を絶する数ヶ月だった。

今のようにパソコンで何でもこなせる時代でなく、献立表も手書き、毎週半ばの献立会議、栄養計算も成分表を片手に電卓で計算、発注はメニューに蛍光ペンで仕分けしながら業者に電話注文。

プッシュホンの電話と電卓を交互に使い、時に受話器を持ちながら計算器と電話を間違えて使い我に帰ることもあった。

事務所は一階にあり、2階の厨房に駆け上がりまた降りてという一日だった。

当時の責任は重かった。
課長は口ばかりの人で、私の激務を労いながらも6時前にはとっとと帰った。

私は毎晩8時過ぎまで仕事が終わらず、時に調子が悪くなるコピー機を蹴飛ばしたい衝動に駆られながら一人黙々と仕事をした。

すると、上からスニッカーさんがよく顔を出した。スニッカーさんは片手に丼を持ち、ニコニコ笑いながら
「頑張ってるね。腹が減ったろう」と照れ臭そうに丼を差し出した。

それは、私用に作ってくれたにゅうめんだった。

「いつも頑張ってるね。無理しちゃいかんよ」

スニッカーさんは社内で決してウケのいい人ではなく、 思ったことをはっきり言うため敬遠されてもいた。

どちらかと言えば異端児で偏屈者と陰口を叩かれていたが、残業をこなす私をどこからか見守り励ましてくれるおじさんだった。

金曜午後、メンバーたちと「涙そうそう」を歌いながら、ふとまたスニッカーさんを思い出し、瞼が熱くなった。