妻一人 子一人 と 一匹

2005.9.26 『妻一人 子一人』としてスタート
2010.3.18、2021.8.28、2023.3.26 改変

引っ越しドキュメント

2023年04月01日 22時48分34秒 | Weblog

工業高校で取得した資格、知識を生かしてフツーのサラリーマンに落ち着いてくれないかなぁ・・・

という親の淡い期待をよそに、中学時代の修学旅行で体験入学した専門学校に進学すると堂々宣言したのは、

去年の今頃だったろうか。

実家の両親に頭を下げ、とりあえず2年間の居住地を確保し、姉と兄に来春からのことをメールで伝えたところ、

姉からの返信は、ババの負担が大きくなることになるからという理由により、長男の実家で暮らすことには

異議を唱える内容であった。

その後ジジから、「朝食を提供するから一食500円の食費を請求する」という通告をきっかけに、

家賃交渉がスタートする。”悠々自適の年金暮らしなのだろうから、家賃くらいおまけしてくれないか・・・”

とひそかに期待していたのだが、そこは私が甘かった。

”光熱水費込みで月二万円” この妥協案を実家に突き付けることとなった。家計からは、扶養手当分の一万円を補助。

その話とは別に、自分のスマホ代、小遣いは自分のバイト代から捻出するという我が家で定めていたルールもあった。

今年の冬休み、その案を持って本人自ら実家に赴き交渉に入ることとなった。

しかしここで大問題が発生。何があったか知らないが、ジジがご機嫌ナナメだったらしく、

「一年間のアルバイト禁止」という条件を出し、孫のやろうとしてることになにやら口を出してきたというのである。

理由は学業に専念するためだとか何とか言っているようだが、そんな条件はこれから青春を謳歌しようとしているであろう

若者にとって、手足をもぐようなものである。そんな条件はとてもじゃないが了承できない。

その日の夜は、長男との長いLINEの応酬が繰り広げられた。

ここにきて長男の実家暮らし計画は頓挫かと思われたが、ご老体はイライラを吐き出してすっきりしたのか、

翌日は急に態度を軟化させ、なんだかよくわからないうちにとりあえず話はまとまってしまった。

あの元教員のご老体、次男である私や長男と議論してみたかっただけなのではなかったのだろうか・・・。

たった一晩で精神的にヘトヘトになってしまったが、2泊3日大都会での街ブラを満喫し帰還した長男と私で、

駅に隣接しているフードコートで報告会を行った。長男には、「ジジはまた何を言い出すかわからないから、

いつでも引っ越せるようにしておきなさい」と忠告しておいた。

3月1日、高校の卒業式。 終了後は二人でランチ。

移転後当面の小遣いは貯まった様子で、親に尻を叩かれながら引っ越し準備を始めていた頃、

長男の実家暮らしにはてっきり静観していると思っていた兄からのメールには、

「実家に暮らすのはやめたほうがいい」と一言。続けて「もう遅いけど・・・」ときた。

そのとおり、もう遅いのである。

なぜそう思うのかの理由は、どこにも書いていない。自分で考えろ、ということだろう。

まぁ兄らしいメールだと思った。

3月18日は、次男の誕生日を兼ねて長男の送別会を開催。焼肉食べ放題。

引っ越し前日晩の食事は豪華だった。刺身、カニ、イクラ、てんぷら。日本酒がおいしかった。

さすがは母親である。やるときはやる。

そして引っ越し当日、右ひざが痛い。前日の荷物の積み込みの時、階段を往復しているうちにやってしまったらしい。

実家2階の8畳の部屋におけるだけの荷物といっしょに、朝8:15出発。

高速道路を使わなかったので、いつもは2時間ちょっとのところを3時間も要してしまった。

実家には、痛い足を引きずりながら来年米寿のババが大はしゃぎだった。

これが姉の言う「負担が大きくなる」ということだろうか・・・。

老体に過度な興奮状態を与えることは、確かに負担をかけることになるから、姉が言ってることもわからないわけではない。

同じく来年米寿のジジは、おねむの時間だったらしい。何かしゃべるにしても、フガフガ言っているようだった。

 

とにかく両親は二人とも老けていた。年相応である。ここまで生きてこれたんだから、すでにTHE大往生であると思う。

最晩年は、初孫とひとつ屋根の下で暮らすのはいかがだろうか・・・そんな私なりの親孝行のつもりなのだが・・・

 

荷物搬入には時間がかからなかったが、転入手続きに向かった区役所では、なんと90分待ちだった。

待ち時間を利用し二人で昼食に出かけた。引っ越しそばならぬ引っ越しハンバーグ。

お腹を満たし区役所に戻るとすでに呼ばれた後で、番号札を取り直すことになってしまい、なんとまた90分待ち。

この待ち時間に付き合っていたら帰宅するころには日が暮れてしまうので、急遽ここで長男とお別れ。

実家に戻り、私一人で隣のいとこへのご挨拶を済ませた。

聞こえているんだか聞こえていないんだか最後まで分からなかったが、

”長男をくれぐれもよろしくお願いしますね!”と老人二人に大声で繰り返し、私は安住の地へと帰路についた。

 

区役所のロビーで「じゃぁ、元気でな」と肩をたたくと、「あぁ、がんばるわ」と返してきた長男。

普段から仏頂面でありとあらゆることにグダグダと文句つけているのヤツなのだが、

この時は、”なあんだ、しっかり青春してやがるじゃないか”と思った。

少し嬉しい瞬間だった。