2024年あけましておめでとうございます。
突然のご報告ですが、今回をもちまして当ブログは、
無期限活動停止とすることにしました。
スマホを所有して以来、パソコンをいじることがほぼ皆無となり、
ここのブログ更新は、他のSNSの手軽さに勝るところがひとつもなく、
1年も放置してしまう有様でした。
諸事情により、過去の記事の削除については現時点で考えておりません。
と言うわけで、長い間ありがとうございました。
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諸事情により、過去の記事の削除については現時点で考えておりません。
と言うわけで、長い間ありがとうございました。
話は今年の春にさかのぼる。
長男の入学式直前、実家のジジからクレームが入った。
「弁当を作りたいと言い出した。学校、バイト、こんどは料理か。お前たちは何を考えてるんだ。
好きなようにやりたいのだったら、もう預かることはできない」
??? 何のことだ ??? 二階のIHクッキングヒーターを使うことで電気代がかかることへの懸念か?
そのための家賃2万円に設定したじゃないか? なんだかわからないが、ご立腹の様子である。
ワンちゃんの散歩があったので、いったん電話を切って相手の言っていることをもう一度冷静に理解しようとしたが、まったくわからない。
確認のため再度連絡すると、今度は上機嫌な声のご老体。
あいかわらず長男のバイトに関しては反対であることは分かったが、なぜ料理をすることに異議を唱えるのかはわからぬまま、
「入学式当日に長男と話し合う」、とだけ伝え電話は終了。
専門学校の入学式後、長男とミーティング。ここで驚愕の事実を知ることになった。
長男:「弁当を作るなんてひとことも言ってない」
・・・ますますわからなくなってきた。
「『料理をしたい』と言ったら、いつもの昔話からはじまって、電気代がかかるとかなんとかさんざん言われた挙句、
最後はいつもの『好きなようにやりたいのならここには置いておくことはできない』と言われた」らしい。
もうウンザリという顔の長男。事情は何となく分かった。とりあえず、今後ジジの前で料理の話はやめておけと忠告し、私は帰路についた。
この一部始終を職場からババに連絡。4月の電話代は、びっくりするほど高くついてしまった。
年老いて気が短くなるのはやむを得ないとして、これに加えて妄言で絡んでくるのだから、たまったものではない。
ジジよりはまだいくらか頭がシャンとしているであろうババには、こういった言動がエスカレートするようなら
すぐ連絡をくれるように伝え、加えて、長男のことはくれぐれも放っておいて欲しいと頼んでおいた。
それからというものの、私の懸念をよそに実家の家主からのクレームが入ってくることはなく3か月が過ぎた。
長男の夏休みが近づいてきたころ、突然ババから職場の昼休みに連絡がきた。長男の1学期(という言い方が正しいのかわからないが)が終わり、ババ曰く「ジジとは『これでひと区切り』と話をしているとのことだった。
!? ひと区切り ???
これは老夫婦のどちらかが体調を悪くしたのか? ということか思い、尋ねてみたがそうではないらしい。
具体的に、年老いた二人の状況を教えてほしいと聞いても核心をついた言葉が出てくることはなかった。
はっきりしたことを言わないのはわが家系の”お家芸”である。
それから数日後、今度は兄からメールが届いた。
内容は、「父の体の調子が悪そうだ。心身ともに限界がきているのではないか」というもので、
長男は別居をするべきだという結論だった。
ババから、二人とも体調が悪いということではないと聞かされていたのはつい先日のことである。兄が誤認しているのか、ジジかババが事実と違う発言をしているのか・・・
め ん ど く さ い
兄からのメールに第2報には、老夫婦二人から聞いたお互いの言い分が記載されていた。
内容はともかく、二人とも「長男との同居が始まってから・・・」と言っていることは共通していた。
かくして私の50歳の誕生日に長男が帰省。
状況を聞くと、ババからは「ジジは健康そのもの」と聞いているとの証言。
しかし、孫との同居に楽し気にウカれているババに対して、ジジは正面切ってこう言い放ったそうだ。
「オレは楽しくない」
兄の証言、「心身ともに限界」の、「心(=精神面)」で相当ストレスを感じているということは事実のようだ。
これはもう答えを出さなければいけない時が来ているってことなのかな・・・と思った。
ただ、長男の推測では「ジジが体力的にキツいのかもしれない」とも言っていた。
そんなわけで実家の墓参りを予定していた8月20日、最終的な結論を出すことになりそうな予感がしていた。
長男には「結果はどうなるかわからんが、とりあえず部屋を探しておけ」と指示した。
長男は久々の実家生活を満喫し、札幌の”伏魔殿”へと戻って行った。
長男が帰ってから、間もなくしてババから連絡があった。
「兄貴からのメールで『ジジが心身ともに限界のようだ』とあったんだけど・・・」と切り出すと、
「あぁ、(兄は)考えてくれてるのね、実は・・・」と、
春以降、救急車を呼ぶほどではないが2度ほど心臓の調子が悪くなったらしい。
?長男の夏休み前の電話はいったい何だったんだ?
?長男に言っていた「健康そのもの」ってどゆこと?
気遣いという名の二枚舌・・・そんな言葉が頭をよぎったが、これで兄貴のメールにあった「ジジが心身ともに限界」という推測は間違いないであろうことは了解した。
「そういうことなのであれば、別居に向けて覚悟はしておいたほうがいいね」と私が言うと
「お金を用意しておきなさい」とババが返してきた。
?! そ、そんなに切羽詰まった状況なのか?!
早く言ってくれよぅ~~~
もう私の心は決まった。とはいえ、長男の一人暮らしにかかる費用をどうしようか、というのが急遽最大の課題として容赦なく突き付けられることとなった。
がしかし、ここで幸運が巡ってきた。妻の実家の墓参りの日のことである。
妻の姪、つまり長男のいとこが職場の寮を出て自宅通いになるから、いらなくなった家電や生活用品を譲ってくれるというのだ。
これ以上にないほどの予期せぬ助け舟に、歓喜の思いをおさえきれなかったというところに水を差すような電話が入った。
長男が「ジジから、食事の支度を忘れたババが『面倒を見る自信がない』と言い出し、これからは食事の支度をすべて自分でするように言われた。だから家賃を半額にするって・・・」
なぬ? またわけがわからんことを言い出したぞ。
め ん ど く さ い
最初っから「実家の2階の部屋を2年間だけ使わせてくれるだけでいいからお願いします」
「部屋を使う以外のことは自分でやります」「どうか放っておいてやってください」と再三言っていたハズだ。
にもかかわらず、ついに微塵も聞き入れてもらえることはなかった。
孫を世話するとか面倒見るとか、そんなのいらないんだってば。
それなのにまだこの期に及んでこの人たちは・・・
これで、8月20日がどうやら”訣別の日”となることが決まった。
8月20日、予定よりも早く実家に到着すると、ババがお墓参りの準備で買い物に出かけていたため不在だった。
横から口をはさんでくる人物がいないことは、ジジにとっても私にとっても好都合である。
まずは私が、夏休み前のババからの不可解な電話に端を発したこれまでの経緯を話し、長男に近いうち転居させることを伝えた。
たいそうジジはご満悦のご様子。いつものごとく饒舌にフガフガと長い話が始まり、ゴミ屋敷化している部屋を私に見せ、自虐的に語りかける余裕までご披露なさった。
話が終わると、ババが帰宅。何が起こったかはよくわかっていない様子だったが、もう話は決まった。
あとのことはもう知らない。金輪際関わりたくないんだから。これでもう、クソまみれの遺体で発見されようが、暴れて二人で刺し違えようが、もう私の知ったところではない。
さっさと墓参りを済ませ、長男と二人で近くのファミレスでランチ&ミーティング。
帰り道、なんで自分がここまで煩わしい思いをしたのか考えた。
「そうか!あの家はもう私の実家ではなく、あのご老体の家なのだ!」
”もう実家ではない”と思った瞬間、憑きものがとれたかのように、ふっと気が軽くなった。
わたしが帰ってくるべき家はどこでもない、ここなのだ。
そんな夏の終わりの思い出でした。
工業高校で取得した資格、知識を生かしてフツーのサラリーマンに落ち着いてくれないかなぁ・・・
という親の淡い期待をよそに、中学時代の修学旅行で体験入学した専門学校に進学すると堂々宣言したのは、
去年の今頃だったろうか。
実家の両親に頭を下げ、とりあえず2年間の居住地を確保し、姉と兄に来春からのことをメールで伝えたところ、
姉からの返信は、ババの負担が大きくなることになるからという理由により、長男の実家で暮らすことには
異議を唱える内容であった。
その後ジジから、「朝食を提供するから一食500円の食費を請求する」という通告をきっかけに、
家賃交渉がスタートする。”悠々自適の年金暮らしなのだろうから、家賃くらいおまけしてくれないか・・・”
とひそかに期待していたのだが、そこは私が甘かった。
”光熱水費込みで月二万円” この妥協案を実家に突き付けることとなった。家計からは、扶養手当分の一万円を補助。
その話とは別に、自分のスマホ代、小遣いは自分のバイト代から捻出するという我が家で定めていたルールもあった。
今年の冬休み、その案を持って本人自ら実家に赴き交渉に入ることとなった。
しかしここで大問題が発生。何があったか知らないが、ジジがご機嫌ナナメだったらしく、
「一年間のアルバイト禁止」という条件を出し、孫のやろうとしてることになにやら口を出してきたというのである。
理由は学業に専念するためだとか何とか言っているようだが、そんな条件はこれから青春を謳歌しようとしているであろう
若者にとって、手足をもぐようなものである。そんな条件はとてもじゃないが了承できない。
その日の夜は、長男との長いLINEの応酬が繰り広げられた。
ここにきて長男の実家暮らし計画は頓挫かと思われたが、ご老体はイライラを吐き出してすっきりしたのか、
翌日は急に態度を軟化させ、なんだかよくわからないうちにとりあえず話はまとまってしまった。
あの元教員のご老体、次男である私や長男と議論してみたかっただけなのではなかったのだろうか・・・。
たった一晩で精神的にヘトヘトになってしまったが、2泊3日大都会での街ブラを満喫し帰還した長男と私で、
駅に隣接しているフードコートで報告会を行った。長男には、「ジジはまた何を言い出すかわからないから、
いつでも引っ越せるようにしておきなさい」と忠告しておいた。
移転後当面の小遣いは貯まった様子で、親に尻を叩かれながら引っ越し準備を始めていた頃、
長男の実家暮らしにはてっきり静観していると思っていた兄からのメールには、
「実家に暮らすのはやめたほうがいい」と一言。続けて「もう遅いけど・・・」ときた。
そのとおり、もう遅いのである。
なぜそう思うのかの理由は、どこにも書いていない。自分で考えろ、ということだろう。
まぁ兄らしいメールだと思った。
3月18日は、次男の誕生日を兼ねて長男の送別会を開催。焼肉食べ放題。
引っ越し前日晩の食事は豪華だった。刺身、カニ、イクラ、てんぷら。日本酒がおいしかった。
さすがは母親である。やるときはやる。
そして引っ越し当日、右ひざが痛い。前日の荷物の積み込みの時、階段を往復しているうちにやってしまったらしい。
実家2階の8畳の部屋におけるだけの荷物といっしょに、朝8:15出発。
高速道路を使わなかったので、いつもは2時間ちょっとのところを3時間も要してしまった。
実家には、痛い足を引きずりながら来年米寿のババが大はしゃぎだった。
これが姉の言う「負担が大きくなる」ということだろうか・・・。
老体に過度な興奮状態を与えることは、確かに負担をかけることになるから、姉が言ってることもわからないわけではない。
同じく来年米寿のジジは、おねむの時間だったらしい。何かしゃべるにしても、フガフガ言っているようだった。
とにかく両親は二人とも老けていた。年相応である。ここまで生きてこれたんだから、すでにTHE大往生であると思う。
最晩年は、初孫とひとつ屋根の下で暮らすのはいかがだろうか・・・そんな私なりの親孝行のつもりなのだが・・・
荷物搬入には時間がかからなかったが、転入手続きに向かった区役所では、なんと90分待ちだった。
待ち時間を利用し二人で昼食に出かけた。引っ越しそばならぬ引っ越しハンバーグ。
お腹を満たし区役所に戻るとすでに呼ばれた後で、番号札を取り直すことになってしまい、なんとまた90分待ち。
この待ち時間に付き合っていたら帰宅するころには日が暮れてしまうので、急遽ここで長男とお別れ。
実家に戻り、私一人で隣のいとこへのご挨拶を済ませた。
聞こえているんだか聞こえていないんだか最後まで分からなかったが、
”長男をくれぐれもよろしくお願いしますね!”と老人二人に大声で繰り返し、私は安住の地へと帰路についた。
区役所のロビーで「じゃぁ、元気でな」と肩をたたくと、「あぁ、がんばるわ」と返してきた長男。
普段から仏頂面でありとあらゆることにグダグダと文句つけているのヤツなのだが、
この時は、”なあんだ、しっかり青春してやがるじゃないか”と思った。
少し嬉しい瞬間だった。
先週の話だが、WBC準決勝と決勝にはそれはもうシビれまくりだった。
メキシコ戦の日は休日だったので、プレイボールから劇的な幕切れまで、一球も見逃すことなく見ることができた。
村上選手の左中間オーバーのサヨナラヒットには、思わず立ち上がって「ワーーー!!」と叫んでいた。
翌日の決勝は、スマホアプリで試合経過を確認しながらの仕事だった。
最後に大谷選手が出てきたときは鳥肌がたった。
日ハム時代の2012年、優勝を決める試合を思いだしたのは言うまでもない。
あの頃は、私にはただ球速が速いだけのピッチャーという感じだったのだが、
今は体つきからして全然違う。最後の打者を速球で追い詰め、ギューンと曲がるスライダーで
三振を取って締める姿は、あの時よりも数倍進化しているように見えた。
打って、走って、そして三振もとってしまう様は、もはやマンガやアニメの比にならない。
そうだ、初代タイガーマスクがプロレスのリングに登場した時と一緒だ。完全に劇画を超越している。
帰宅してから、ダルビッシュ選手が登板した8回表と9回表の様子をYoutubeで再確認。
八回に一点取られてはいるものの、この投手リレーは何度見てもいい。
2番打者の近藤選手、防御率0.00の伊藤選手、チーム最年長のダルビッシュ選手、
まさに”千両役者”の大谷選手、そして侍ジャパンの選手をまとめ上げた栗山監督、
いずれもファイターズゆかりの人たちであることもまたうれしい限りだった。
使い古された言葉だが、感動をありがとう!ということ以外の言葉が見つからない。」
一年ぶりのご無沙汰である。
休止していた理由はまた別の機会に書くかもしれないし、書かないかもしれない。
ブログタイトルは、2010年3月から『妻一人 子二人』、2020年8月から
『妻一人 子二人 と 一匹』、そして今回から『妻一人 子一人 と 一匹』に変更となった。
長男が進学でとりあえず家から出たためである。また帰ってくるかもしれないし、
もう帰ってこないかもしれない。
長男の部屋が空いたおかげで、ブログを書く部屋ができたのが、再開の一番の理由だ。
・・・なんてこと言ってて、続かなかったりして・・・
というわけで、ブログ再開のご挨拶でした。
体によろしくないとわかっていながら、ラーメンのスープを
ついつい飲み干してしまう。よっぽど好みに合わなかった時以外は
まずゼンツユである。塩分、脂質の過剰摂取は百も承知なのだが、
今のところこのラーメンゼンツユ生活は止められないそうにない。
先日、いつものようにスープを飲み干したところ、おばあちゃんの店員が
待ってましたとばかりに近づいてきた。片手になぜかラーメン丼を携えている。
その丼は、中曽根元首相が来店当時に使った物だそうだ。
店内の中央奥には、中曽根さんがラーメンをすすっている写真が。
ゼンツユした人には、その丼と自分の丼のツーショットを
撮影できるという一日5名限定のサービスだというのだ。
中曽根さんの功績、ご長寿にあやかって云々の説明があった。
好物のラーメンを写真に収めるのが習慣で、この日も食べる前に
スマホで撮影していた姿をそのおばあちゃんに見られていたらしい。
おばあちゃんの話に相づちを打ちながら、摩訶不思議な時間は終了。
つらいときはこの写真を見て元気を取り戻してほしいとのことだった。
次は味噌ラーメンも試してみてくださいと宣伝も忘れないおばあちゃんだった。
NHK朝ドラ「カムカムエブリィバデイ」で二代目ヒロイン役の深津絵里さん、
放送前に何の予習もしていなかったから、まさか18歳の役で登場してくるとは
思ってもみなかった。昔から実年齢が私と同世代あることは知っていただけに、
さすがに“十代の役はムリがあるんじゃないの?”と思っていたら、毎日見ていると
だんだん1960年代に青春時代を生きるティーンに見えてきてしまうから
女優さんてホントスゲーなぁと心から思う。
幼い頃、映画「あぁ野麦峠」を見て、主演の大竹しのぶさん演ずるヒロインが
結核で命を落とすシーンで、「このひとホントに死んだ?」
と思った時と近い感覚だ。
妻が息子たちに、ドラマのゆいちゃんを指して「このひといくつに見える?」
と別々に聞いたところ、2人とも実年齢より若作りしているらしいことには気付いたらしく、
それぞれ「33歳」と答えたそうだ。
まさか自分の母親と同年齢だとは思いもよらず、2人とも感嘆の声を上げたらしい。
朝ドラの放送も再開し、各局お正月特番から平常の放送に戻ってきたが、
私の頭の中はまだお正月気分が抜けない。...とこの時期毎年言っている。
今年もあっという間に終わるんだろうな...とコレも毎年恒例のボヤキである。