立川志の輔師匠のエピソードで、こんな話を聞いた。
『高校生のころ一緒に住んでいたじいちゃんが、ある日テレビを見て笑っていた。
当時のブラウン管には、舞台の上で座布団に座ったおじいさんが何やらしゃべっている。
テレビの中のおじいさんを見て、ウチのおじいさんが腹を抱えて笑っているという、
なんとも不思議な光景が印象に残っていた』
その後大学に進学し上京して初めて、志の輔師匠のおじいさんがテレビを見て笑っていたものは、
「落語」だったということを知ったそうだ。多少デフォルメされているのかもしれないが、
そういうことだったらしい。
私は大学生になって初めて、マイ楽器というものを手にした。
音楽の授業や学芸会以外での音楽経験というと、たしか学校行事か何かのために結成されることになった鼓笛隊に
なぜか私も参加することになり、数週間か数ヶ月間ティンパニーを叩いていた記憶がある。
その鼓笛隊における打楽器パートは、おまけのような感じだった。
タイコの音程の合わせ方を教わっただけで、難しい譜面もなく自由にポコポコ叩いていた。
とても楽しい時間だった。小学校低学年のころだったろうか。
それから10年以上、どういうわけか楽器を演奏する機会にめぐり会うことはなかった。
大学入学と同時に自分だけの楽器を手に入れたが、人前でカッコよく演奏するという目標は、
わずか2年足らずで無残な結果に終わった。
でも、人前でカッコよく・・・の夢はなかなかあきらめられない。
そんな未練から、昨年電子管楽器を購入したのだが、現在はホコリが山のように積もった状態で放置されている。
最近では仕事から帰ってきて、落語を聞くか本を読むかしていたら、もう”おやすみなさい”の時間となる。
「働き方改革」なんて聞かれるようになっても、朝早くから夜遅くまで命を削るように働いている人々が
まだたくさんいるというこの時代に、なんなんだこのバチ当たりな生活は・・・。
しかし、もう私にはこんな楽しみ方しか残されていないような気がしている。
なんともわびしい春の夜である。