妻一人 子一人 と 一匹

2005.9.26 『妻一人 子一人』としてスタート
2010.3.18、2021.8.28、2023.3.26 改変

スケジュール管理

2021年05月30日 14時43分44秒 | Weblog

一回目の単身赴任が終わって4月から週末・週明けの長距離ドライブがなくなったので、時間的な余裕ができたと思っていたのだが、

せっかく増えたこの時間的な余裕をまだ使いこなせていない。

NHKの朝ドラは毎晩チェックできるようになった。3月までは夕食後に毎晩チェックしていたラジコのタイムフリーなどで聴いていたラジオ番組は、

朝晩の通勤中に消化。4月から始まった4Kリマスター版の「ウルトラQ」と「ウルトラセブン」、友人からレンタルした「アオイホノヲ」13巻、

「ザンボット3」のDVD全4巻、毎週録画しているお笑い番組、CSチャンネルで放送されている昭和~平成初期の新日本プロレスと大忙しである。

もう全然時間が足りない。「アオイホノヲ」を読んでいたら、全巻読破したくなるマンガのタイトルが次々に登場する。

宿題がどんどん積み重なっていく感じである。

近々CSチャンネルで「新世紀エヴァンゲリオン」の再放送も始まるらしい。ブログも書きたい、スマホゲームもやりたい。

・・・本業はどこへいった?・・・

 

そんなわけで、朝起きて就寝時間までの仕事以外の時間を本格的に管理していかなくてはいけないという事態に陥っている。

とってもしあわせな時間であることには違いない。

 

コロナ騒動のせいで大変なことになってしまった人たちにも、どうか早く日常が戻ってきますように(祈)・・・

 

 


数字

2021年05月29日 21時28分41秒 | Weblog

コロナ騒動にしても、オリンピックを開催するか中止するかの話にしても、

やれ感染者が何人とか開催する場合と中止の場合の損失額がどうとか、

全部数字に置き換えられる。どうやらこれが私のモヤモヤの原因らしい。

否応なしに「この数字を信じなさい!」といった情報を突きつけられる。

そんなに数字って万能なのか?

ホントかよそれ...

いやいやそれまちがってるかもしれんし...

こんなこと毎日考えながら暮らしてたらそりゃモヤモヤしてくるわけだ。

こういうのからは早く抜け出さなきゃいけない。

ていうかそういうものに近づかなければいいんだな。

実家の高齢の両親は、ワクチン接種の予約がとれたそうだ。

とりあえずよかった。

相変わらず医療従事者の方たちの仕事は大変なことになってるそうだ。

私はもしコロナウイルスを発症したら自力で治癒する自信がないので、

医療のお世話にならないためにも感染対策はできるだけのことをしていきたい。

”すうじ”とかけまして、日本の”せいじ”と解きます。その心は、

どちらもあてになりません。

あんまり上手くねーな...


日本特別自治区かState of Japan か

2021年05月24日 22時48分16秒 | Weblog
この状況下、某大国が南方から侵攻してきたらひとたまりもないだろう...

唐突だがこんな物騒なことを想像してみた。

同盟国はホントに護ってくれるのか。そこまで面倒みてくれるのだろうか。

かといってこの国には他国と戦争するだけの力はもうないような気がする。

コロナ騒動のおかげで経済はズタズタ。オリンピックはやってもやらなくても

きっと大赤字。未曾有の事態はまだまだ続くだろう。

果たして自力で立ち直れるのか。

日本という国がなくなってどちらかの大国のお世話になる日が

刻一刻と近づいて来ているような不吉極まりないことを思い付いた週明けでした。

ピークアウト(コロナのことではありません)

2021年05月16日 13時22分24秒 | Weblog

現在闘病中の「燃える闘魂」ことアントニオ猪木さんが新日本プロレスを旗揚げしたころからを振り返る番組がとても面白かった。

テレビ朝日に現存するもっとも古いとされているらしい猪木さんの試合のVTRは、まだ日本プロレス時代の1969年、

NWA選手権試合の対ドリーファンクJr戦だった。猪木さん本人がベストバウトの一つとして認めるほどの好試合で、

スター選手が華やかにリングの上を躍動する現在のエンタメプロレスとは全く異世界の古き良きプロレスが、そこでは繰り広げられていた。

その次にはNWF選手権試合の対タイガージェットシン戦、師匠である力道山の十三回忌興業を蹴ってまで

自分の団体の興行にこだわった1975年の対ビルロビンソン戦など、興味深いものばかりが特集されていた。

このビルロビンソン戦は、猪木さん本人はあまり気に行っていないという説があるらしい。

ジャイアント馬場さんが中心となって開催しようとした十三回忌興業、馬場さんとのライバル関係を貫くためには、

ライバル団体に顔を出してまで義理を果たすことより、自分の理想のプロレスを追求することを選んだということなのだろうか。

この一件で子弟関係にあった力道山家からは破門され、10数年の長きにわたって全日本と新日本の抗争が勃発したようだ。

なぜ文章がすべて伝聞調なのかといえば、私がプロレスを見始めたのは初代タイガーマスクが登場してきたころの1981年で、

それ以前のことや初代タイガーがテレビで見ることができなくなった1983年以降の新日本プロレスのことはリアルタイムで見ていなかったからである。

このころから2000年代に至るまでの20年は、プロレスが一番面白い時代だったと思うのだが、私は1991年頃までプロレス熱が再燃するまで遠ざかっていた。

あとからさかのぼってレンタルビデオで観たものの、やはりリアルタイムで見ていなかったことがとても悔やまれる。

初代タイガーマスクが「四次元殺法」で会場が大爆発するくらいに盛り上がり、そのあとメインに燃える闘魂が登場、横綱相撲で相手を仕留める。

当時小学生3年生で、ただ初代タイガーがかっこいいこと以外何にもよく分からなかったが、タイガー以上の猪木の強さは何となく伝わってきた。

”猪木は新日本プロレス、もしかしたら日本で一番で最強・・・”

しかし私が最強だと思っていた頃の猪木さんは糖尿病に苦しんでいるころで、全盛期はとっくに過ぎていたというのが前述の番組での解説だった。

それはビルロビンソン戦を見れば一目瞭然。結果はいわずもがな引き分け決着で終わるのだが、最後の数秒間の肘打ちの応酬はすごかった。

容姿端麗・筋骨隆々のプロレスラーたちが、縦横無尽に動き回り華麗な技を次々と繰り出す最近のプロレスもそれはそれで見ごたえがあるが、

私はそれとは反対の昭和プロレスの方が好みであることが改めてよーくわかった日だった。