韓国・巨済(コジェ)市 公式ブログ

韓国旅行にもおすすめ!元気いっぱい巨済ガールが、巨済の魅力をお届けします!

アクセス

2010年06月15日 | 一緒に行く巨済オススメ旅行


●飛行機
ソウル(金浦) ⇔晋州(泗川)/55分所要
☎金浦空港:+82-2-2660-2114
☎泗川空港:+82-55-852-0768

●列車
ソウル⇔釜山
KTX 2時間50分所要/1日39台運行
セマウル号 4時間40分所要/1日9台運行
無窮花号 5時間30分所要/1日14台運行

ソウル⇔馬山
セマウル号 4時間45分所要/1 3台運行
無窮花号 5時間20分所要/1日2台運行

☎ソウル駅: +82-2-392-1324
☎釜山駅: +82-51-440-2516
☎馬山駅: +82-55-293-7788

●バス
▪ ソウル(地下鉄3号線南部ターミナル) ⇔古縣 : 4時間 30分(1日 20回)
▪ 大田⇔古縣 : 3時間 30分(1日 14回)
▪ 釜山(沙上) ⇔古縣 : 3時間 30分(1日 18回)
▪ 晋州⇔古縣 : 2時間(1日 17回)
☎ソウル南部ターミナル: +82-2-521-8550
☎大田東部ターミナル: +82-42-624-4452
☎釜山沙上ターミナル: +82-51-322-8301
☎晋州市外バスターミナル: +82-55-741-6039
☎古縣市外バスターミナル: +82-55-632-1920

●車
▪ ソウル方面から
ソウルTG→京釜高速国道・新葛JC-安城IC-大田ICを経て、飛龍JC→統営~大田・中部高速国道板岩IC→高麗人参ランド休憩所と咸陽、山清休憩所を経て、統営IC→巨済方面国道14号線(約368.98Km、約4時間所要)
▪ 順天、光州及び晋州方面から
晋州JCT→35番高速道路→東統営IC→14番国道→統営→巨済(晋州⇔巨済古縣洞の間約60km、40分所要)
▪ 大邱、釜山方面から
西馬山I.C→14藩国道→固城→統営→巨済(西馬山⇔巨済古縣洞の間約100km、1時間30分所要)

●旅客船
▪ 釜山⇔長承浦 : 50分
▪ 釜山⇔玉浦 : 50分
▪ 釜山⇔古縣 : 1時間10分

▪ インターネット前売り
http://island.haewoon.co.kr
http://www.seomticket.co.kr

●巨済遊覧船社案内 (遊覧船ターミナル)
▪ 長承浦遊覧船社 +82-55-681-6565
▪ 旧助羅遊覧船社 +82-55-681-1188
▪ 鶴洞遊覧船社 +82-55-636-7755
▪ 海金剛遊覧船社 +82-55-633-1352
▪ 海金剛海洋公園㈱ +82-55-632-8787
▪ 臥峴遊覧船㈱ +82-55-681-2211
▪ 毎勿島解運㈱ +82-55-681-3535

巨済市のシンボル

2010年06月10日 | 一緒に行く巨済オススメ旅行
市の旗



太陽は市民に情熱と希望を与えてくれるし、鴎はその市民が調和してお互いに助け合い、未来に向けて進んでいくこと、岩島の形は海金剛の秀麗な自然景観を強調し、波は四面の海を表わしている。

市の花



椿(ツバキ)
閑麗海上国立公園の風景を抱く巨済の象徴であり、赤いつぼみは市民の純潔と情熱を表わす。

市の木



海松
四季は変ってもその新緑は変らない市民の性格を表わし、海岸の海松は根気と男性らしいたくましさ、剛直さを表わす。

市の鳥



鴎(カモメ)
島と海を飾る市民の友であり、海洋観光都市へと成長する市民の力強い気概と和合と団結で永遠の繁栄を成すことを表わす。

市の魚



鱈(タラ)
水産資源を保護育成して水産物に対する関心を高め、海を守る巨済市民の勤勉・誠実さと進取的性格を表わしている。

位置/面積 気候

2010年06月09日 | 一緒に行く巨済オススメ旅行
位置/面積



韓国で二番目に大きな島として、経度は東が128゜ 45'、西が128゜27'、緯度は南端34゜40'、北端35゜02'で、東は釜山の加徳島と直線距離9kmに位置し、西は統営市と新巨済大橋を間に置き、北西の海岸は鎭海湾を挟んで鎭海・馬山・固城と向い合っている。 交通では蔚山から始まる国道14号線が釜山~馬山~統営~巨済大橋につながって巨済市の中心部を貫通、玉浦・長承浦の東海岸に沿って南部面猪仇里までつながる陸路と海上交通が非常に発達していて、高速旅客船が長承浦・玉浦-釜山を1日24往復で運行し、巨済~釜山、巨済~馬山なども1日4回運行している。

また、2002年着工して2007年頃完工する予定である巨済~釜山連結道路が開通して、統営~大田間高速道路が巨済まで延長されれば、釜山及び慶南の他の地域との交通が、さらに円滑になると予想される。

巨済の位置と面積
市役所所在地: 新県邑 巨済里 717番地

経度:東端 128°45'、西端 128°27'
緯度:南端 34°40'、北端 35°02'
島の周囲:414km(有・無人島を含む)


気候 (2004年統計)
1月 : 2.1、-2.1、7.7
2月 : 5.4、-0.4、11.1  
3月 : 8.1、2.6、13.7
4月 : 13.7、7.9、19.4
5月 : 17.5、13.2、22
6月 : 20.8、16、26.2
7月 : 25.4、22.5、28.9
8月 : 25.4、21.9、29.8
9月 : 22.2、18.7、26.2
10月 : 16.3、11.6、21.5
11月 : 11.6、6.7、17.4
12月 : 6.7、2、11.5
(平均、最低、最高)

歴史/沿革

2010年06月08日 | 一緒に行く巨済オススメ旅行
紀元前・三韓時代、弁韓12ヶ国の中で 盧国と言い、西暦757年新羅景徳王の時初めて “巨済郡”と称した。



三韓時代

BC : 三韩时代弁韩12国中称为渎卢国 蕃王所在都城为沙等



新羅時代

520 AD : 新羅・法興王7年、小国に改称

532年 : 新羅・法興王19年、官国の一部

677年 : 新羅 30代 文武王17年、裳郡と称する

757年 : 新羅 35代 景徳王16年、巨済郡に改める 高麗時代

983年 : 高麗 6代 成2年、岐城県と称する县



朝鮮時代

1414 : 朝鮮 3代 太宗14年、居昌郡に避難し、済昌郡と称する

1422 : 朝鮮 4代 世宗4年、倭寇の侵犯が終息して回軍

1423 : 朝鮮 4代 世宗5年、巨済城築城の命を受けて巨済県と改称

1432 : 巨済城落城で県衙を沙等城に移す

1470 : 朝鮮 9代 成宗元年、巨済に7鎮を置いて万戸兵政を募る

1489 : 朝鮮 9代 成宗20年、巨済府に昇格して文武を統轄することによって7鎮の統轄営で岐城館を建てる

1592 : 壬辰倭乱(文緑慶長の役)の際、巨済城が陷落し、1663年 朝鮮18代 顕宗 4年に県衙を巨済に移転する

1895 : 朝鮮 26代 高宗3年、巨済郡に昇格 独立以前

1910 : 朝鮮 28代 純宗4年、韓日併合後の1914年3月18日に行政区域改編で竜南郡、鎮南郡、巨済郡が廃合されて統営郡と称する



大韓民国の時代

1951 : 10月14日、法律第271号巨済郡設置に関する法律公布で、1953年1月1日に長承浦臨時庁舍で復郡開庁する

1956 : 10月1日、郡役所を巨済に移転

1959 : 2月22日、東部面猪仇出張所を設置

1963 : 1月1日、一運面巨済出張所を新県面に設置する

1967 : 8月12日、長木面外浦出張所を設置

1971 : 4月8日、巨済大橋が開通する(1965年6月5日起工)

1973 : 10月、玉浦造船所、1974年4月竹島造船所を起工

1975 : 10月1日、長木面猪仇、亡蛙島が鎭海市に編入

1977 : 7月1日、河清面七川出張所を設置 1979 5月1日、新県面が邑に昇格

1983 : 2月15日、東部面猪仇出張所区域を大統領令第11027号によって南部面に昇格し、巨済郡は2邑9面2出張所を管轄する

1986 : 12月1日、郡条例第948号によって長承浦邑玉浦出張所を設置

1987 : 1月21日、郡条例第959号によって郡直轄の長承浦出張所を設置

1987 : 10月20日、郡条例第986号によって沙等面加祚出張所を設置

1989 : 1月1日、法律第4050号によって長承浦邑が巨済郡から分離して長承浦市に昇格

1995 : 1月1日、法律第4775号によって都市・農村の統合形態の市設置で長承浦市と巨済郡が統合し、巨済市となる