韓国・巨済(コジェ)市 公式ブログ

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歴史/沿革

2010年06月08日 | 一緒に行く巨済オススメ旅行
紀元前・三韓時代、弁韓12ヶ国の中で 盧国と言い、西暦757年新羅景徳王の時初めて “巨済郡”と称した。



三韓時代

BC : 三韩时代弁韩12国中称为渎卢国 蕃王所在都城为沙等



新羅時代

520 AD : 新羅・法興王7年、小国に改称

532年 : 新羅・法興王19年、官国の一部

677年 : 新羅 30代 文武王17年、裳郡と称する

757年 : 新羅 35代 景徳王16年、巨済郡に改める 高麗時代

983年 : 高麗 6代 成2年、岐城県と称する县



朝鮮時代

1414 : 朝鮮 3代 太宗14年、居昌郡に避難し、済昌郡と称する

1422 : 朝鮮 4代 世宗4年、倭寇の侵犯が終息して回軍

1423 : 朝鮮 4代 世宗5年、巨済城築城の命を受けて巨済県と改称

1432 : 巨済城落城で県衙を沙等城に移す

1470 : 朝鮮 9代 成宗元年、巨済に7鎮を置いて万戸兵政を募る

1489 : 朝鮮 9代 成宗20年、巨済府に昇格して文武を統轄することによって7鎮の統轄営で岐城館を建てる

1592 : 壬辰倭乱(文緑慶長の役)の際、巨済城が陷落し、1663年 朝鮮18代 顕宗 4年に県衙を巨済に移転する

1895 : 朝鮮 26代 高宗3年、巨済郡に昇格 独立以前

1910 : 朝鮮 28代 純宗4年、韓日併合後の1914年3月18日に行政区域改編で竜南郡、鎮南郡、巨済郡が廃合されて統営郡と称する



大韓民国の時代

1951 : 10月14日、法律第271号巨済郡設置に関する法律公布で、1953年1月1日に長承浦臨時庁舍で復郡開庁する

1956 : 10月1日、郡役所を巨済に移転

1959 : 2月22日、東部面猪仇出張所を設置

1963 : 1月1日、一運面巨済出張所を新県面に設置する

1967 : 8月12日、長木面外浦出張所を設置

1971 : 4月8日、巨済大橋が開通する(1965年6月5日起工)

1973 : 10月、玉浦造船所、1974年4月竹島造船所を起工

1975 : 10月1日、長木面猪仇、亡蛙島が鎭海市に編入

1977 : 7月1日、河清面七川出張所を設置 1979 5月1日、新県面が邑に昇格

1983 : 2月15日、東部面猪仇出張所区域を大統領令第11027号によって南部面に昇格し、巨済郡は2邑9面2出張所を管轄する

1986 : 12月1日、郡条例第948号によって長承浦邑玉浦出張所を設置

1987 : 1月21日、郡条例第959号によって郡直轄の長承浦出張所を設置

1987 : 10月20日、郡条例第986号によって沙等面加祚出張所を設置

1989 : 1月1日、法律第4050号によって長承浦邑が巨済郡から分離して長承浦市に昇格

1995 : 1月1日、法律第4775号によって都市・農村の統合形態の市設置で長承浦市と巨済郡が統合し、巨済市となる