多くの(「カッコつきの」『政治家』」が、「『政治』にはカネがかかる」と言う。これは多くの場合において間違いだ。厳密に言えば彼らの言う「金がかかる」というのは「政治に」ではなくて、「選挙で当選するのにはカネがかかる」と言っているのである。「金を使わないと当選は覚束ない」とも言っているのである。そして、その言説は正しい。金を使って愚かな大衆を動員し、似非な共感を集め、それを票に結びつけて当選する。「見識」ひとつで大衆を動員できるような教養の持ち合わせも人格もない。
筆者の乏しい経験においても、当選議員がその当選後に街なかで演説をしている姿など見たことが無い。見かけるのは落選した議員が捲土重来を願ってであろうか、無念の演説をしているのを見かけること程度である。しかし、当選者においては当選証書を地域選挙管理委員会に行って受け取る姿を映す地元放送局のTV映像で済ましているのが実情だ。「当選したらこっちのもの」というのであろう。
「政治に金がかかる」という言説の根拠は、政治家が政策立案のための調査研究するには、有能な秘書を多く雇わなくてはならないというのが論旨のようだが、日本の政治家が雇っている多くの「秘書」たちについてそういう能力があるとは思えず、また要求もされていない。常住選挙を政治と勘違いした政治家の下で次期選挙に勝つことが、それだけがために人が必要で金がかかる、そのことを政治にはカネがかかるといっているだけのことだ。そういう調査研究が必要だというのなら、政党が国民から頂いた巨額の政治資金を使って調査研究組織(シンクタンク)を作って常に「政策提案」したらよさそうなものだが、かれらが調査しているのは自党の支持率調査に巨費を投じているだけであって、常住選挙をもって政治活動と勘違いしているのみである。かくして、「金のかかる政治」は、掛かる金額分だけ悪化すると結論できるのである。
いまこの国の首都東京で行われている都知事選挙を見よ。もはや喧騒の極致に達してしまったように見える。ホワイトノイズの中から信号を見つけ出す能力を持つ稀有な選挙民のみが判断できるレベルにまで堕落している。戦後日本の「民主主義」の過熟した姿がこれであったとは? 「政治には金がかかる」という言説の正確な姿をここに見ることができる。
毎日新聞による最新の内閣支持率は17%、昨年7月(28%)以来12カ月連続で30%未満が続いている。この国の未来は昏い!