〔5月の運気〕
2025年は気学的に見て非常に大きな節目となる年です。36年前に訪れた同じ巳の二黒土星年とは大きな違いがあります。なぜなら運気とは流れに意味があり、この流れでこの十二支と九星を迎えるということに特別な意味があるからです。2025年の変革は今年我々がいかに自己変容を遂げるかにかかっています。この自己変容は今までの世の中の価値観から完全に離れ、自分独自の価値観と視点を持ち、世の中を見ることができるようになることです。こうして初めて政治も経済も文化もアカデミズムも、正しい視点を持つ国民に主導権が移っていくものと考えます。
2025年の転機を迎えるにあたり、5月の国民の動きは一つの試金石となります。5月は来年の十二支および九星と同じ巳の二黒土星が中宮に入るからです。5月のポイントは国民がすべての決定権を握るという点です。その伏線として組織の利害に挟まれた一国民が良心に基づき意思表示する動きが出てきます。そこに真実を究明する九紫火星と、情報伝達を司る四緑木星が協働し、国民を意味する二黒土星の意思表示を促します。四緑木星には天道のエネルギーが加わり、世間の人々が方々で真実の情報に触れ、これを異口同音に口走るようになります。5月に起きることは2025年に起こり得ることの縮図と言ってもよいのです。さらに5月から6月、7月と国民の力が安定的に増し、7月には幹部の交代による組織の刷新が起きてくることでしょう。
〔世の真相を見抜く〕
世の中の真相は決して表には出てきません。易は裏を見よと教えていますが、世の真相は裏に隠れており、裏を見て初めて表の取り繕い様が分かってくるのです。気学が捉える事実認識は離宮(りきゅう)に存在し、その事実認識を裏付けする真相は対極の坎宮(かんきゅう)に存在します。離宮にはすべての人が共通して認識できる事実が現れ、坎宮はその人しか知らないこと、その人のみの事実が現れます。その人のみの事実とは心の動きであり、心が捉えていることです。心の動きは他人には見えませんし、いくら説明しても客観的に理解することは出来ません。この世界は初めから表と裏の見え方が違い、置かれているスタンスが違います。
では心の動きは外から確認することは出来ないのでしょうか。その動きは見えなくとも形に現れたものは確認することができます。気の世界は物質化という現象がありますから、例え心の動きが見えなくとも、その心の動きが行動になり、行動は物質を動かし、それが形跡として残ります。ここに至って初めてその人の心の動きを推察することができるようになるのです。例え真相は表に現れなくとも、表に現れた形から裏の心の動きや考えの中身を推測するということは可能です。
今世の中で起きていることの真相をどれだけの人が理解しているでしょうか。多くの報道は確かに世の中の様々な出来事を伝えていますが、それは表の報道であり、決して裏の真相を伝えているとは言えません。世の中の真相はすべての人が自分自身の推測によってしか分かり得ないのです。今世の中で常識とされている事のどれだけが真実を言い当てているでしょうか。私たちの行動の規範はどれだけ真実に沿ったものなのでしょうか。今一度立ち止まって考えてみる必要があります。
今現時点で正しいと思っている物理法則が数十年後に書き換えられている可能性はあります。今当たり前とされている治療法が、数十年後には完全な誤りであったと認識される可能性は十分あります。今当たり前とされている歴史が、数十年後には科学の進歩と新事実の発見により、まったくの誤りであったと認識される可能性も十分あります。では私たちは何を根拠にこれらのことを学んでいるのでしょうか。誤った認識をもとにどうやって日々を生き抜くことができるのでしょうか。
世の真相をきちんと知っておくということは、私たちが地に足を付けて生きていくうえでの第一条件となります。誤った事実を受け取ったままで、どうして上手く地に足を付けて進んでいけるでしょうか。世の中の不自然な出来事や物事の進め方を見れば、真実が多分に歪められていることに気付かなければならないでしょう。
世の真相をきちんと理解することと、自分の人生を自分軸で打ち立てることは同じことです。他人が作った価値観で世の中を見ている限り、自分の命運を本来の形で活かすことは出来ません。自分軸とは自分の思いと自分の真実が裏付けになっている価値観です。それがある限り、外に現れている光景に惑わされることはありません。自分軸がきちんとできると、自分の視点によって世界をしっかり見ることができるようになります。そこでは他人の価値観に揺り動かされることはありません。他人の見方を気にすることもなくなります。自分がどう感じたか、どのように認識したか。そのことのみが真実を見抜く目となります。
自分軸でその価値を見抜き表現したものはすべてオリジナルの作品となります。オリジナルとはその人の真相が形に現われたものです。自分軸をもってオリジナルのものを世に作り出していく。ここに至ってはじめて世の真相が明確に見えてくるものと私は考えています。
〔運勢学を必要とする時代へ〕
2024年以降はおそらくすべての人が何らかの形で運勢学を必要とする時代になっていくでしょう。なぜなら2025年という運気の節目に当たり、私たち一人一人が自分の価値観を持たなければどこへ進んでいったらよいか分からなくなるからです。そのためには今までとは異なる視点から自分を見つめなおすための学問がどうしても必要になります。運勢学を何らかの形で持っていないと、今後の我々の歩みはおぼつかなくなると私は考えています。
運勢学は宇宙の法則を掴み、我々の人生との関係性を示し、自分の歩み方を発見する意義を示しています。残念ながら既存の学問ではこれを補うことはできないでしょう。既存の学問は意図的な社会形成のために構築された意が強く、宇宙の真理そのものに焦点を当てていないからです。もちろん既存の学問も物理や数学のように、究極のところは宇宙の法則に繋がるものもありますが、それが人事に降りてこない以上、やはり学問としての限界は明らかなのです。
本当の学問は何を探究しても必ず宇宙の法則と人事が繋がります。気学にしても、その基盤となっている易学にしても、常に宇宙の法則と運気の繋がりを明らかにします。気学が示す後天図は宇宙の法則の基本的原理を示していますが、この原理が分かると、暦を用いてあらゆる人事に応用できるようになるのです。本当の学問は具体的事象であれ、抽象的事象であれ、何を尋ねられても人事すなわち人が抱える悩みや問題に対して客観的に答えられるものでなければなりません。
*
自分の運勢を知るということは、自分を客観的に知るということであり、それは自分という存在が周囲との繋がりと協調の中で保たれていることを知ることでもあります。運勢学の基本は自分を知ることですが、それは謙虚になることと言い換えることができます。運勢学を極めた人はその時点から自分を前面に出そうとしなくなり、身の回りとのバランスを考えるようになります。それがいかなる微細な事柄であってもその偏った部分を見抜き、その行く末を按じ、自らの言動を自らの力で矯正していきます。
運勢学はそれぞれの人が持つ命運を明らかにし、その命運に合致した歩み方を示してくれます。言い換えれば自分の命運から人生の目的を掴むことができるのです。そのために運勢学はそれぞれの人の現在地を示し、その道筋が本来の道筋と合致しているのかを明らかにしてくれます。
運勢は自立によって成り立ちます。命運は自立するエネルギーによってしか正しく起動しません。誰一人として自分以外の命運に立ち入ることは出来ません。もとより命運はその人のみが顕現させることのできるエネルギーであり、その人のみがハンドリングできるものです。宇宙は干渉を欲しません。干渉は偏りに加担します。自分で選び自分で決断するということが、宇宙の循環に与する極めてシンプルな作法になるのです。
運勢学を一つ持つことの意義は、本当の自分を知り、自分の価値観を持ち、自分の力で生きていくことにあります。それが本当の意味での自立であり、周囲の動きに流されない自分の確立なのです。自分が確立すると何ものにもぶれない生き方ができるようになります。そして自分の価値観の軸から外れた判断や行動をしなくなります。それは同時にいかなる時も本当の自分を表に出して歩いて行けるという自信に繋がります。
運勢学は数か月、数年ではとても習得することは出来ません。本当の運勢学を自分のものにするためには一生涯の研鑽が必要です。もとより学問とはそういうものです。学問は必ずその都度新しい見識が加わり、他の学問との整合性を得ながら、進化していくものです。深く掘り下げれば掘り下げるほど、その都度次の扉が開き、次の課題へと進んでいくのです。
本当の学問を究める道に入ると、これをやることに何の意味があるのだろう、これが何の役に立つのだろうと言った疑問が湧かなくなります。なぜならそれを探究していること自体に価値があると感じるからです。
運勢学は成果という俗世の利害から隔絶しています。なぜなら宇宙の法則そのものを探究することが最終目的だからです。だからこそすべての事象に応じることができるのです。すべての事象に応じることができるからこそ、すべての出来事が同じ法則の元に動いていることを見抜き、人の躓きもこの法則から外れた時に現れるのだと見抜くことができるのです。
浅沼気学岡山鑑定所
2025年は気学的に見て非常に大きな節目となる年です。36年前に訪れた同じ巳の二黒土星年とは大きな違いがあります。なぜなら運気とは流れに意味があり、この流れでこの十二支と九星を迎えるということに特別な意味があるからです。2025年の変革は今年我々がいかに自己変容を遂げるかにかかっています。この自己変容は今までの世の中の価値観から完全に離れ、自分独自の価値観と視点を持ち、世の中を見ることができるようになることです。こうして初めて政治も経済も文化もアカデミズムも、正しい視点を持つ国民に主導権が移っていくものと考えます。
2025年の転機を迎えるにあたり、5月の国民の動きは一つの試金石となります。5月は来年の十二支および九星と同じ巳の二黒土星が中宮に入るからです。5月のポイントは国民がすべての決定権を握るという点です。その伏線として組織の利害に挟まれた一国民が良心に基づき意思表示する動きが出てきます。そこに真実を究明する九紫火星と、情報伝達を司る四緑木星が協働し、国民を意味する二黒土星の意思表示を促します。四緑木星には天道のエネルギーが加わり、世間の人々が方々で真実の情報に触れ、これを異口同音に口走るようになります。5月に起きることは2025年に起こり得ることの縮図と言ってもよいのです。さらに5月から6月、7月と国民の力が安定的に増し、7月には幹部の交代による組織の刷新が起きてくることでしょう。
〔世の真相を見抜く〕
世の中の真相は決して表には出てきません。易は裏を見よと教えていますが、世の真相は裏に隠れており、裏を見て初めて表の取り繕い様が分かってくるのです。気学が捉える事実認識は離宮(りきゅう)に存在し、その事実認識を裏付けする真相は対極の坎宮(かんきゅう)に存在します。離宮にはすべての人が共通して認識できる事実が現れ、坎宮はその人しか知らないこと、その人のみの事実が現れます。その人のみの事実とは心の動きであり、心が捉えていることです。心の動きは他人には見えませんし、いくら説明しても客観的に理解することは出来ません。この世界は初めから表と裏の見え方が違い、置かれているスタンスが違います。
では心の動きは外から確認することは出来ないのでしょうか。その動きは見えなくとも形に現れたものは確認することができます。気の世界は物質化という現象がありますから、例え心の動きが見えなくとも、その心の動きが行動になり、行動は物質を動かし、それが形跡として残ります。ここに至って初めてその人の心の動きを推察することができるようになるのです。例え真相は表に現れなくとも、表に現れた形から裏の心の動きや考えの中身を推測するということは可能です。
今世の中で起きていることの真相をどれだけの人が理解しているでしょうか。多くの報道は確かに世の中の様々な出来事を伝えていますが、それは表の報道であり、決して裏の真相を伝えているとは言えません。世の中の真相はすべての人が自分自身の推測によってしか分かり得ないのです。今世の中で常識とされている事のどれだけが真実を言い当てているでしょうか。私たちの行動の規範はどれだけ真実に沿ったものなのでしょうか。今一度立ち止まって考えてみる必要があります。
今現時点で正しいと思っている物理法則が数十年後に書き換えられている可能性はあります。今当たり前とされている治療法が、数十年後には完全な誤りであったと認識される可能性は十分あります。今当たり前とされている歴史が、数十年後には科学の進歩と新事実の発見により、まったくの誤りであったと認識される可能性も十分あります。では私たちは何を根拠にこれらのことを学んでいるのでしょうか。誤った認識をもとにどうやって日々を生き抜くことができるのでしょうか。
世の真相をきちんと知っておくということは、私たちが地に足を付けて生きていくうえでの第一条件となります。誤った事実を受け取ったままで、どうして上手く地に足を付けて進んでいけるでしょうか。世の中の不自然な出来事や物事の進め方を見れば、真実が多分に歪められていることに気付かなければならないでしょう。
世の真相をきちんと理解することと、自分の人生を自分軸で打ち立てることは同じことです。他人が作った価値観で世の中を見ている限り、自分の命運を本来の形で活かすことは出来ません。自分軸とは自分の思いと自分の真実が裏付けになっている価値観です。それがある限り、外に現れている光景に惑わされることはありません。自分軸がきちんとできると、自分の視点によって世界をしっかり見ることができるようになります。そこでは他人の価値観に揺り動かされることはありません。他人の見方を気にすることもなくなります。自分がどう感じたか、どのように認識したか。そのことのみが真実を見抜く目となります。
自分軸でその価値を見抜き表現したものはすべてオリジナルの作品となります。オリジナルとはその人の真相が形に現われたものです。自分軸をもってオリジナルのものを世に作り出していく。ここに至ってはじめて世の真相が明確に見えてくるものと私は考えています。
〔運勢学を必要とする時代へ〕
2024年以降はおそらくすべての人が何らかの形で運勢学を必要とする時代になっていくでしょう。なぜなら2025年という運気の節目に当たり、私たち一人一人が自分の価値観を持たなければどこへ進んでいったらよいか分からなくなるからです。そのためには今までとは異なる視点から自分を見つめなおすための学問がどうしても必要になります。運勢学を何らかの形で持っていないと、今後の我々の歩みはおぼつかなくなると私は考えています。
運勢学は宇宙の法則を掴み、我々の人生との関係性を示し、自分の歩み方を発見する意義を示しています。残念ながら既存の学問ではこれを補うことはできないでしょう。既存の学問は意図的な社会形成のために構築された意が強く、宇宙の真理そのものに焦点を当てていないからです。もちろん既存の学問も物理や数学のように、究極のところは宇宙の法則に繋がるものもありますが、それが人事に降りてこない以上、やはり学問としての限界は明らかなのです。
本当の学問は何を探究しても必ず宇宙の法則と人事が繋がります。気学にしても、その基盤となっている易学にしても、常に宇宙の法則と運気の繋がりを明らかにします。気学が示す後天図は宇宙の法則の基本的原理を示していますが、この原理が分かると、暦を用いてあらゆる人事に応用できるようになるのです。本当の学問は具体的事象であれ、抽象的事象であれ、何を尋ねられても人事すなわち人が抱える悩みや問題に対して客観的に答えられるものでなければなりません。
*
自分の運勢を知るということは、自分を客観的に知るということであり、それは自分という存在が周囲との繋がりと協調の中で保たれていることを知ることでもあります。運勢学の基本は自分を知ることですが、それは謙虚になることと言い換えることができます。運勢学を極めた人はその時点から自分を前面に出そうとしなくなり、身の回りとのバランスを考えるようになります。それがいかなる微細な事柄であってもその偏った部分を見抜き、その行く末を按じ、自らの言動を自らの力で矯正していきます。
運勢学はそれぞれの人が持つ命運を明らかにし、その命運に合致した歩み方を示してくれます。言い換えれば自分の命運から人生の目的を掴むことができるのです。そのために運勢学はそれぞれの人の現在地を示し、その道筋が本来の道筋と合致しているのかを明らかにしてくれます。
運勢は自立によって成り立ちます。命運は自立するエネルギーによってしか正しく起動しません。誰一人として自分以外の命運に立ち入ることは出来ません。もとより命運はその人のみが顕現させることのできるエネルギーであり、その人のみがハンドリングできるものです。宇宙は干渉を欲しません。干渉は偏りに加担します。自分で選び自分で決断するということが、宇宙の循環に与する極めてシンプルな作法になるのです。
運勢学を一つ持つことの意義は、本当の自分を知り、自分の価値観を持ち、自分の力で生きていくことにあります。それが本当の意味での自立であり、周囲の動きに流されない自分の確立なのです。自分が確立すると何ものにもぶれない生き方ができるようになります。そして自分の価値観の軸から外れた判断や行動をしなくなります。それは同時にいかなる時も本当の自分を表に出して歩いて行けるという自信に繋がります。
運勢学は数か月、数年ではとても習得することは出来ません。本当の運勢学を自分のものにするためには一生涯の研鑽が必要です。もとより学問とはそういうものです。学問は必ずその都度新しい見識が加わり、他の学問との整合性を得ながら、進化していくものです。深く掘り下げれば掘り下げるほど、その都度次の扉が開き、次の課題へと進んでいくのです。
本当の学問を究める道に入ると、これをやることに何の意味があるのだろう、これが何の役に立つのだろうと言った疑問が湧かなくなります。なぜならそれを探究していること自体に価値があると感じるからです。
運勢学は成果という俗世の利害から隔絶しています。なぜなら宇宙の法則そのものを探究することが最終目的だからです。だからこそすべての事象に応じることができるのです。すべての事象に応じることができるからこそ、すべての出来事が同じ法則の元に動いていることを見抜き、人の躓きもこの法則から外れた時に現れるのだと見抜くことができるのです。
浅沼気学岡山鑑定所