元世翬の気学観測

運気の流れを気学で読み解く

「浅沼元世翬の気学観測」第四十三話

2019年08月01日 | FM”レディオモモ”での放送
(変えられる運命と変えられない運命)
人には変えられる運命と変えられない運命があります。変えられない運命とは生まれた時に決まっている環境です。例えば生まれた国がどこであるか。親、親族にどういう人がいるか。祖先にどういう人がいたか。さらに生まれ育った家の自然環境。学校がどこにあるか、教育行政が充実しているかなどの社会環境。こうした環境は生まれたときに土台が決まっており、自分の力で変えていくことはほとんどできません。一方変えられる運命とはまだ形になっていない段階のものです。簡単に言うと人が抱く思い、望み、夢、構想は変えられる運命に入ります。まだ形になっていませんから変更も可能です。私たちは生まれて数年経つと保育園、幼稚園、小学校と学校に通いはじめ友達を作ります。この時付き合う友達は自分で選ぶことができます。学校を卒業すると就職します。どういう仕事を選ぶかについても基本的には自分で決められます。そして気の合う人が見つかると結婚します。ここでも自分の意思が大部分反映します。このように自分で選ぶことが出来るものはすべて変えられる運命に入ります。

(二つの運命は表裏一体に動く)
変えられない運命は生活基盤となり、変えられる運命はこの基盤を元に新たな人生を積み上げていく世界です。二つの運命は表裏一体の関係で、善し悪しでは判断できません。国の補助、教育、インフラ、医療、災害救助など、こうした様々な行政サービスは実の所自分の力では変えられない運命の基盤によって成り立っていますが、何かあった時はこの運命基盤から我が身を守ってもらえます。一方、変えられる運命はこうした生活基盤の上に積み上げていく自己実現の世界です。拘束がなく自分の意思が自由に反映する世界ですから一見夢と希望に満ち溢れているように見えます。ところがこうした運命は自己責任で作り上げているだけに、いざと言う時は守られにくくしばしば厳しい現実に直面します。こうして二つの運命には一長一短があり、どちらに偏ることなくバランスを取っていくことが運勢を安定させるカギとなります。

(運命、宿命、立命の違い)
人には二つの運命があると言いましたが、この二つの運命の傾向から三つの運命観が現れていきます。それが運命と宿命と立命です。運命は気学的な解釈をすると、暦のスケジュールに従って動いていく人それぞれの運勢です。これに対して宿命は予め定められたもので、その定めから逃れられがたい運命です。宿命は環境的に逃れがたい状況がほとんどですが、例えば未来に起きることを知り、このことを堅く信じることでこれから先の行動や考え方が縛られてしまう状態も宿命になります。人は知らず知らずのうちにこの宿命観に囚われます。これに対し立命は自分の持つ気質や命運を知り、自分の弱点や欠点を改め、より良い人生を作り上げていく生き方を表します。

(気学が進める運命観)
三つの運命観の内、気学は立命を勧め、宿命観から脱すべきことを教えます。自分の未来の大枠は決まっているものの、その内容については自分自身の力で変更し色づけしていくことが出来ます。すべての人は人生のスケジュール表を持って生まれます。このスケジュールは決められたものでありながら、細部まで正確に定められたものと、大まかで緩やかに定められた部分の二つがあります。気の世界は暦通りに動いていても、命運を無理やり押し付け縛るようなことはしません。むしろその人の持つ能力を最大限活かすために、様々な角度からサポートしてきます。自分が生まれた時に決めたスケジュール表と著しく合わないことを始めたり、あるいは本筋から外れた道に迷い込んだりすると、気の世界は間違っていることを陰に陽に知らせてきます。本筋から外れるとその人の生活環境に様々な支障やトラブルが起き、人生が立ち行かなくなります。

(立命を生きるために必要な事)
立命すなわち自分の運命を理想の位置に変えていくために必要なことは何でしょうか。それはまず自分の運勢をよく知っておくことです。自分自身が持つ欠点と利点をよく知ると、定められた宿命に左右されにくくなります。明確な目標を定めると、それ以外のことに気を取られなくなります。こうして変えられないと思っていた宿命の影響が弱まり、自分が打ち立てた運命が主導権を握って進んでいきます。暦にはその人の能力を開花させ、新たな道を踏み出すために必要なことを教えてくれる人物がいつ現れるか書かれています。その人は確実に現れますが、その人が現れた時、自分がどういう状態であるかによってその人物との縁の強弱が決まります。自分が持つ能力を最大限生かす方向に進む限り、その援助者はピッタリのタイミングで現れ、その能力を開花させるための協力を惜しみません。人生を決定づける人物は自分が立命を持って歩み始めたときに現れると言ってもよいのです。


(浅沼気学岡山鑑定所) 

浅沼元琉の気学観測

FM"RadioMOMO"の『浅沼元琉の気学観測』コーナーでお話ししたことをまとめました。