明治維新150年目の岐路に立つ日本」
前日の続き………
「美(うま)し国」日本の底力 著者:加瀬英明 馬淵睦夫
発行:ビジネス社 第1版発行 2017年10月1日
◎「混迷のときは原点に戻る」が鉄則
馬渕 幕末期の英傑に勝海舟がいますね。私が彼に感心したのは、はっきり言えばたった一つのことです。
よく知られているのは、江戸城無血開城の決断をしたということなんですが、私が強調したい彼の重要な信念は「外国からお金を借りない」ということなのです。
彼の回顧録である『氷川清話』などを読んでみますと、これが何度も出てきます。「外国から借金をしちゃいけない」と。
当時、彼がそう言い切っていたことは凄いことです。もし幕府がフランスからお金を借りていたら、あるいは薩長がイギリスからお金を借りていたら、と思うとぞっとします。
もし借金をしていたら、戊辰戦争も彼らの代理戦争になっていた可能性がある。しかも、その当時の借金をいまだに我々は返し続けなければならなかったかもしれない。
勝海舟は、そういうことを直感的に見抜いていた人なのではないでしょうか。
また、西郷隆盛との会談も、日本人独特の阿吽(あうん)の呼吸で、無血開城の合意に至りました。
そういうところが、やはり西洋の歴史でいう「革命」ではない証しなのです。
先ほども申し上げたように、これはやはり「復古」だということです。
そもそも、国の根幹を揺るがすような事件が起こった際、我々日本人の知恵、先祖の知恵というのは、いつも復古を目指します。過去に戻って、どう対応するかを考えるというという智慧だと思うんですね。
言葉では「王政復古」といいますが、加瀬先生もおっしゃったように、王政といってもヨーロッパ流の王政ではなくて、元々の日本の形を指しているのです。権威としての天皇がおられて、そのもとで行政機関が日々の政治をやる。そのように、天皇を国民が支えるという体制の「復古」を目指したのが明治維新であると、解釈することができるのではないでしょうか。
◎なぜ、日本語には「心」が付く言葉が400以上もあるのか?
加瀬 日本人は「心の民」だったとも思います。ところが文明開化で西洋の事物がわっと入ってきて、西洋の真似をするうちに、手段である真似を目的だと思い込んでしまい、だんだん心が疎かになっていると思うのです。
僕は物書きですから20巻もある国語辞典を持っています。あるとき「心遣い」とか「心づくし」とか、上に「心」が付く言葉を数えてみたら、なんと400以上数えてもまだ終わらない。
一方、英語のコンサイスの英和辞典を引いて、heartが付く言葉を引いたら、10ちょっとしかないのです。
「heart burn=胸焼け」「heart attack=心臓まひ」とかね。このことからも、我々日本人は「心」の民だということが分かります。
ところが最近は、日本人でも「心」ではなく「頭」だけを使って暮らしている人が多いのではないでしょうか。昔は心を用いて、みんな生きていたにもかかわらず……。
今、「AI(artificial intelligence=人工知能)」が話題になっていますが、ロボットはどこまでいってもロボットで、使うのは頭だけです。友達も家族もいません。
もっとも最近は、喫茶店などにもお一人様で行くらしいですね。昔は喫茶店といえば仲間と一緒に行くものでしたが……。
馬渕 そうですよね。私も時々喫茶店に行って勉強しますが、二人連れのお客さんでも、コーヒーを飲みながら互いにバラバラにスマホをいじっている光景をよく目にします。会話をまったくしないで……。それで、飲み終わったら出て行くだけなんです。
加瀬 高齢者の中にも、一人暮らしの人が増えていますね。ある調査によると、朝昼晩一人で食事をしていると、精神障害が起こるそうです。それで孤独死が多いわけですから。
いずれにしても、だんだん頭だけを使う社会になっていくというのは、空恐ろしいことだと思いますね。
馬渕 今ふうに言えば、いわゆる「理性」ばかりが尊重されて、感性というものがなおざりにされているということでしょう。
先生がおっしゃった「心」というものの大切さは、学校教育でも教えられていません。このままでは、本当にAI社会になってしまう……。
しかしながら、本当は人間には理性と感性、両方が必要なのです。明治時代もそうでしたが、日本は太古の昔からその二つが必要なんだということを、体で知っていたはずです。
言わなくても分かって生活をしていたところに、西洋文化という「理性文明」が入ってきてしまった……。そして、その相克がいまだに続いているのが、今日の日本の姿だという気がしてなりません。
加瀬 明治維新によって、近代国家ーー近代国家というのは嫌な言葉ですがーーが完成したことにより、簡単に言えば頭だけを使う社会になって、その成れの果てが今の日本なのではないかと思います。だから僕は、明治維新は余計だったということを、声を大にして叫びたいのです。
馬渕 今はまったく明治維新の頃と同様に、改めて日本の精神性を取り戻そうとするべき時期だと思います。
戦後民主主義は確かに居心地の良い時代を作りました。ただ、こうした太平の夢を貪っているときにこそ、加瀬先生や私のように、「本当にそれって正しいの?」「それじゃおかしいのではないか?」という声を上げる人が出てこなければいけない。
つまり、人間だけが持ち得る理性と感性の両方を磨き、今こそ精神武装をしなければならないと思うのです。
そして、太平の眠りから多くの人が目覚めていく、そのときこそ“第二の明治維新”が始まるのかなという気がします。
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”泰平の眠りを覚ます上喜撰 たつた四杯で夜も眠れず”
黒船来航の際に詠まれたもの。上喜撰とは緑茶の銘柄である「喜撰」の上物という意味であり、「上喜撰の茶を四杯飲んだだけだが(カフェインの作用により)夜眠れなくなる」という表向きの意味と、「わずか四杯(ときに船を1杯、2杯とも数える)の異国からの蒸気船(上喜撰)のために国内が騒乱し夜も眠れないでいる」という意味をかけて揶揄している。
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