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諷漫亭に寅○様が、若島氏について書かれている。(『寅金の伝言板』 3/30)
若島氏が、京大の数学の大学院(の数理解析コース†)に入られる頃に接点を持ちましたが、今ネトったところ1952年生まれだから、それは75年頃だったのか。その後どういうことが起こって英文学に移られ誇りある京大文学部教授にまでなられたのかは知りませぬが、将棋の素養が有るどころか、当時既にその道で有名だったらしいのに、数学の教授団はそのことを全く知らなかったのではないか?(大学院進学後それが知られたことも有って指導教授と割と早く上手く行かなくなった可能性も否めない。後述)
コンピューター・情報数理という当時の新奇の学問分野に一時的なりとも関わった人には、随分珍しい人種が居るが、若島氏も、その筆頭の方やも知れませぬ。もう還暦を超えられたことになるが。
この人の(数学の)大学院の指導教授は後に数研‡の所長を務めて停年後間もなく亡くなったが、若島氏がどういう学生だったか、教授との相性がどうだったのか、小保方さんとは逆の意味で、存命中に聞いて置くべきでした。
(蛇足) 今なら、コンピューター・情報数理のコースは勿論、現代史的な意味を殆ど失った(から学生募集などを含めて如何に魅力を出して生き延びるか考える立場に在る)純粋数学中心の数学のコースでさえ、教授に招かれるやもしれませぬ。
蛇足の蛇足 若島氏が大学院に進学した頃の数研には、未だ初代の教授団が全員居た。所長は3代目で、福原満洲雄、吉田耕作と世界的に知られた東大退官者が2代続いて君臨した後の、京大側待望の人物だった(ご本人は阪大出身)。教授の中に中野茂男(恐らく京大御出身)という立派な方が居られ、イリノイ大の竹内外史氏(数学基礎論・論理学。東大出身で海外流出)と、日本の数学者の2大碁打ちで、4段として絶大な誇りを持って居られた。(当時のアマチュアの免状は、囲碁でも今からは想像もつかないほど辛かった。)
其のマタ蛇足 若島氏の指導教授は、高須達氏(東大出身で一旦海外流出)。この方はコンピューター・情報数理の学者本流には全く例外的なことだが、付き合いで止むを得ず稀にブリッジの4人目に座られる以外、一切のゲーム、パズルに無縁だった。
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†研究・指導は数研(‡)。
‡数理解析研究所。日本における数学の「理研」。規模が小さいことと大学院教育の関係で京大に所属している。(写真)